173 ちょっとした楽しみだったんだけどなぁ
体に絡みつく腕を振りほどいて、ベッドを抜け出した。
軽くシャワーを浴びて新しいサーフパンツに履き替える。黒字に赤のエンブレムが左上に入っているのがアクセントなんだろうな。
「まだ1時間以上も間があります」
「あまり、待たせちゃ悪いし、士官学校生のエキシビジョンもあるんじゃないかな? ここで待っているから、メイクをしておいで」
直ぐにシャワールームに駆けて行ったけど、王女達の言う様に時間はあるんだよね。
タバコに火を点けて仮想スクリーンを開き、会場の様子を眺めてみる。
大きなテントの下には、立派な椅子に腰を下ろした国王陛下とお妃様達が既に来ているようだ。
「もう直ぐにゃ」
アイスコーヒーを持って来てくれたのは、メープルさんだった。
まだ、準備もしてないようだけど……。ひょっとして、いつでも戦闘可能なんて言うんじゃないだろうな?
「お手柔らかにお願いします」
「リオ殿は、十分強いにゃ。でも、手は抜かないにゃ」
ニコリと笑みを浮かべて去って行ったけど、抜いてほしいところだな。
『戦闘形態への移行を6割まで高めます。身体機能は3倍ほどに上昇しますし、内臓器官は一時的に解除されます。あまり長く話せませんよ』
「巡洋艦の時と同じぐらいかな?」
『もう少し上です。獣機を相手にすると思った方が良さそうですよ』
それって、もはや人間やめてるんじゃないのか?
『それと、ちょっとリラックスしていてください。武技のプログラムをインストールします』
どんな武技なんだ? そう思った瞬間、体に電撃が走った。
『インストール終了です。カポエイラですから、この世界で同じ技を使う者はいないはずです』
「カポエラ?」
『脳内に音楽を流しますから、それに乗って体を動かしてください。行きますよ!』
突然、脳内に陽気な音楽が鳴り響く。かなりのアップテンポだけど基本は2拍子なんだろうな。
上半身を低くして、足が左右に移動する。
移動に合わせて、腕が自然と前後に移動するんだけど、これってダンスなんじゃないのか?
疑問が浮かんだ瞬間、俺の足が一歩前に出る。左右の移動に合わせるように体が回転すると、もう片方の足が空を切った。
なるほどね。そうなると……、前転する様に前方に飛び込むと両手を使って足を大きく回す。
腕の力だけで跳び上がるように元の体制に戻った。
再び、左右に動きながら攻撃のタイミングを計る。
『どうですか? 音楽に体が自然と動くでしょう?』
「ああ、そうだね。これなら無様に負けることは無いだろう。ありがとう」
ちょっと汗をかいてしまったが、準備運動だと思えば良いか。
後は、王女達の準備を待つだけだな。
すっかり温くなったアイスコーヒーを飲んでいると、カテリナさんがやって来た。
相変わらずの挑発的なビキニなんだけど、何の用なんだろう?
「すっかり会場の準備が出来てるわよ。国王陛下から起こしてこいと言われたんだけど、もう起きてたのね」
「いくら何でも、起きてますよ。今度は変な賭けなんてしてないんでしょうね?」
「色々と賭けてるわよ。前座の試合まで胴元がいるんですもの。でもそろそろということで……。ほら、王女達の準備も出来たみたいね」
奥から2倍は綺麗になった王女達がやって来た。
相変わらずビキニだけど、薄いパーカーを羽織っているのは、その後の宴会の為だろう。そう言えばカテリナさんもビキニの上に白衣を着てるんだけどボタンを1つも留めていないんだよねぇ。
3人の美女を連れて海岸に向かう。
屋上から見た試合場は、近づくにつれかなりの大きさであることが分かった。大きなコンテナがいくつも幕の後ろに置いてあるのは、終わったらすぐに宴会を始めるつもりなのだろうか?
「やあ!」
「なんの!」
幕の中から男達の叫ぶ声と、肉体のぶつかる音が聞こえてくる。
前座と言ってたけど、俺達が前座になってしまいそうな雰囲気が伝わってくる。
「失礼ですが、リオ公爵殿でしょうか?」
「あぁ、そうだけど」
浜辺を取り巻く幕の中に入ろうとしたら、屈強な体格のトラ族の兵士が敬礼をして俺達の名を確認してきた。
「お待ちしておりました。案内いたします」
「よろしく頼む」
兵士の後に付いて、幕の内側に作った大きなテントの中に入っていくと、フレイヤ達が既に椅子に座ってビールを飲んでいる。
アレクも少し後ろの方にいるみたいだな。俺の席は……。
「こちらにお座りください」
案内された場所は国王陛下やお妃様に混じってエミーとローザが座っていた。王女達はエミーの近くの椅子に座って、俺はトリスタンさんの隣に座ることになってしまった。
「ようやく来たな。もう直ぐ前座が終わってしまうから丁度良いと言えば良いのかもしれんが。それで、自信のほどは?」
トリスタンさんの言葉に周囲のお妃様の視線が俺に突き刺さるようだ。
「そもそも、軽く体をぶつけようとしていたんですけど……。かなり大掛かりになった理由が分からないんですが?」
「引退したとはいえ、メープル嬢は、かつて王宮の暗部を支えた人物。しかも無敗を誇る人物だ。私も何度か手合わせを挑んだのだが、全く相手にされなかった」
「メープルを知る人物は多い。だが、その実力を知る者は少ないというか、まるでいないのだ。闇に葬られた人物だけがその実力を知るということだな。引退して里に落ち着いておったのだろうが、ヒルダが担ぎ出してしもうた。まぁ、王都中が沸いておるよ。どちらが先に相手に一撃を与えるか、勝者は、どの程度続くのか……。賭けとはおもしろいものよ」
なるほどねぇ。いろんな賭けが行われてるってことだ。
今回は、勝てとは言われてないから、メープルさんと軽く演舞をすれば良いのかな? とはいえ、攻撃されたらこっちも受けて立つつもりだけどね。
「今は、士官候補生同士の戦いだ。白兵戦も有り得るということで、軍では一応訓練をしているのだが……」
「1対1の戦い等、早々あるものではない。とはいえ、彼らの覇気を見るには良い機会だ」
トラ族の男性同士が2mほどの棒を使って戦っている。
あれで一撃を受けたら骨が砕けそうだけど、両者とも筋肉質だからなぁ。筋肉で受け止められるんじゃないか?
「ヤァ!」
短い叫びと同時に繰り出された棒に、足を取られた相手が砂地に転倒した。すかさず駆け寄って、転倒した相手の首に棒を押し付ける。
「勝負あった! 勝者はオリバン!」
審判の判定に、腕を上げて勝利をアピールする若者に、皆が割れるような拍手を送っている。
「中々良い動きだな。特殊部隊に回しても良かろう?」
「トリスタンの好きにするがいいさ。さて、私も役目をせねばな」
国王陛下が腰を上げると、ヒルダ様が差し出した小箱から何か取り出して、勝者の元に歩いていく。
「勝負を見せて貰ったんだからな。商品ぐらいは出さんといかんだろう。負けた方にも、何らかの賞を与えているはずだ」
「色々と大変ですね。できればそっとしておいて欲しかったんですが」
「そうもいくまい。東の2つの王国にも同時放送が行われると聞いてるぞ」
話が大きくなりすぎてる。
ここで急にお腹が痛くなったと言って棄権したらどうなるんだろう?
「まさか、気後れしたのではあるまいな?」
「いや、そんなことは無いんですけど」
確かに、ここまでやっといて中止にでもなったらウエリントン王国が物笑いの種になりそうだ。
次の試合を見物していると、後ろから声を掛けられた。
振り向くと、きちんとした軍装に身を包んだ若い士官が立っている。
「次がリオ公爵殿の試合となります。準備はよろしいのでしょうか?」
「このままで臨むつもりだ。休暇中のちょっとした体の鍛錬ぐらいに考えてたからね」
「よろしくお願いします」と表情を変えずに士官が答えると、後ろに下がって行った。
やはり、バトルスーツを着てきた方が良かったのかな?
「あまり気にすることは無いぞ。私と試合をした時も同じような姿だったろう。要は過程であり結果だからな」
「兵士達も休暇中なら、水着で試合をすることがほとんどだ。今回は少し気負ってところがあるのだろう。バトルスーツなら衝撃をかなり吸収してくれる」
そういうことか。試合時の正式な服装というわけではないんだ。なら、このままで十分に戦える。
ところで、メープルさんはどこにいるんだろう?
さっきから探してるんだけど、見つからないんだよね。左手にたくさんいるネコ族のお姉さん達の中にいるんだろうけどあの特徴のある姿はどこにも無いんだよな。
歓声が上がり、審判が勝者の名を告げると、国王陛下が立ち上がり勝者の元に向かった。
いよいよ俺の番になる。
『アリス、本当に音楽に合わせて動けば良いんだよね』
『そうです。そろそろ始めましょうか。脳内の音楽のリズムがマスターを自在に動かしてくれます』
うんうんと聞いていたけど、ひょっとしてかなり危険な行為なんじゃないかな? こういうのを深層意識下での人格制御と言うんじゃないのか?
まぁ、それを行っているのがアリスなら問題は無いんだろうけど、カテリナさんだったら全力で拒否しないとね。
脳裏に二拍子とも4拍子とも取れそうな音が聞こえてきた。指先がそのリズムに合わせて小さく動く。
このリズムだな。うん、ちゃんと体が覚えているみたいだ。
突然、会場に大きな声援が起こった。
何だろうと、辺りを見渡していると、隣のトリスタンさんが笑みを浮かべて俺に視線を向ける。
「ほら、出番だぞ。お前の試合を見せてくれ。できれば勝って欲しいところだがな」
「今回の賭けは複雑だからなぁ。トリスタンもいくつか賭けているのか?」
「2つばかり。かなり悩むところですよ」
国王陛下と顔を見合わせてにんまりしている。まったく困った連中だな。ひょっとして……、ヒルダ様達に目を向けると俺の視線に気づいたのか小さく手を振ってくれた。ヒルダ様達もか。
士官が俺のところに来ると、綺麗な敬礼をする。
「リオ公爵殿、いらしてください」
「うむ」
席を立ち、国王陛下とトリスタンさん達に軽く頭を下げる。国王陛下が軽く手を上げて答えてくれた。
前の試合が終わって、きれいにならされた砂地を歩いて会場の中央に立つ。
周囲の歓声が凄いけど、俺の脳裏にはアップテンポの音楽が聞こえている。歓声で聞こえなくなる恐れは無いようだな。
周囲を眺めていると、前にも増した歓声が起こる。
ゆっくりと、俺の前に現れた人物に思わず目が見開く。
「これが本来の姿にゃ。いつもは仕事での服装にゃ」
どう見ても、フレイヤ達と変わらない容姿だ。これで御老体なんだからなぁ。それでも、フレイヤ達とは違いビキニというわけではない。セパレートに近いんだろうけど、露出は高いんだよなぁ。
「少しは鍛えてますから、打ち込みは構いませんよ」
「私もだいじょうぶにゃ。それでは、始めるにゃ!」
メープルさんが殺気を膨らませると同時に、後方にバク転を繰り返して距離を取る。
姿勢を低くして、音楽に合わせて左右に体を動かしながら間合いを確かめていると、メープルさんが面白そうに俺を見ながら両手を広げて後方に下がって行った。
一撃離脱で襲いかかってくるのだろうか?
トリスタンさんが瞬殺されたと言っていたから、かなり動きは速いのだろう。