013 体の秘密
2人乗りの小さなバギーをフレイヤが運転する。
屋根が無いから帽子を被ってサングラスで強い日差しを避けてはいるんだけど、このまま一か月もこの農園で厄介になってたら、たっぷりと日焼けをしそうな感じだ。
それにしても、農園って何だろう? そんなフレーズが頭の中で繰り返している。
野菜は良いだろう。穀物も……。だが、カモに良く似た家禽や2周りほど大きなウサギの飼育は農園なんだろうか?
喉が渇いたからと取って食べたリンゴに似た果物だって、果樹がずっと続いていた。
自動機械が、取り入れや水遣りをやっている。農園自体は4km四方の大きさらしい。
そんな自動機械の動きを、レイバンがモトクロスバイクに乗って見ている。先ほどすれ違った時には、腰にフレイヤの贈ったハンティングナイフを下げられていた。
ログハウス風の家に戻る時、今度は3輪バイクに乗ったソフィーに出会った。長い釣竿のようなムチと、ダックスフンドのような犬を3匹使って100羽を超えるカモを操ってる。
「家の手伝いをしっかりしてるんだね」
「私もやったわよ。結構楽しかったわ」
そう言って俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。
ムチを振りながらカモを操るフレイヤの姿は想像できるけど、アレクは自動機械の方を担当したんだろうな。弟に自動機械のメンテナンスを教えているアレクの姿は容易に想像できるんだが、フレイヤがソフィーに教えている姿は想像できないんだよね。
リビングに戻ると、シエラさんとイゾルデさんが俺達を迎えてくれる。
ソファーに腰を下ろすと、シエラさんが席を立って、皆にアイスコーヒーを運んできてくれた。
「レイバンも手伝ってるのね」
「おかげで、私達は暇になってしまったわ。アレクが早く孫を作ってくれればいいのだけれど……」
イゾルデさんがフレイヤを見てる。貴方でもいいのよ、と目で言ってるな。
「ちゃんと伝えとくわ。でも、相手が騎士となるとね」
「騎士の血筋は維持させないとね」
獣機には誰もが乗れるのだが、戦機には誰もが乗れるという訳ではない。
遺伝子の一部に特定のパターンを持ち、かつ脳波に関数的な揺らぎを持つことが必要になるらしい。それは突然変異で生まれたものかもしれないが出現率が低いことも確かだ。だが、その特定パターンを持つ騎士同士の子供であれば、出現率は10人に1人の割合で出現するらしい。
そういう意味で、騎士が複数の妻を持つことは珍しくないとイゾルデさんが話してくれた。
顔を赤くしながら、「まだまだ先よ……」とフレイヤが言っているのも、その思いがある事は知っているという事だろう。
フレイヤはその脳波を持たないらしいが、遺伝子は持っている。生まれた子供は、一般人よりも遥かに高い出現率で特定パターンを持つという事だろう。
だけど、俺は騎士らしいがそんな脳波を持ってるなんて聞いた事も無い。
動かしてるのは、戦機ではなくて戦姫だからかな。
農園の暮らしは、ある意味自然と一体となった暮らしだ。
日の出と共に働き始め、日暮で一日が終る。
美味しい食事を楽しみながら、皆で1日を振り返る。
ラウンドシップでは考えられないような、のんびりとした暮らしだ。
この暮らしを手に入れて直ぐに、レイトスさんが亡くなったのは残念な限りだが、この農園があったからイゾルデさん達は子供達を育てていけたんだろう。
子供達も自然を相手にして小さい頃から農園を手伝っていたから、責任感の強い人間に育ったようだ。
アレクは普段はあんなだけど、拾われた俺に色々と教えてくれたし、あの2人の女性達だってアレクの性格に惹かれたに違いない。
フレイヤが何時も俺を連れまわすのも、たぶん放って置けないと思ってのことに違いない。
そんなある日。
何時ものように、フレイヤと農園を散策しているとソフィーが急いでカモを移動しているところに出会った。
しきりに空を見ている。
「ファルコ? まだこの辺にいたのね」
フレイヤが手をかざして上空を探ってる。
「やばいのか?」
「大型のワシよ。翼長が3mもあるの。家禽は諦めるとしても、ソフィーや私達が危ないわ」
レイバンは農機具でもある自動機械が守ってくれるそうだ。獣機を寝かしたぐらいの大きさがあるから、その下に入れば安全だろう。
となると、ソフィーは誰が守るんだ?
「一応、バイクにショットガンは積んであるはずだけど……」
「ちょっと心許ないな。フレイヤも拳銃は持ってるんだろ?」
フレイヤが頷くとソフィーに向かってバギーを走らせた。
拳銃ではちょっと心許ないが、44マグナム弾ならそれなりに威力はあるんじゃないかな? それに、ソフィーだって心強いに違いない。
俺達に気が付いて、ソフィーもこっちに向かってバイクを走らせてくる。
あと100m位に俺達が近づいた時、大空から真直ぐにソフィーに向かってダイブする黒い物体を俺達は目にした。
「ソフィー!」
フレイヤの叫びが、俺の意識が途切れる前に聞いた最後の言葉だった。
・
・
・
体が動かない。まるで体が鉛に変わったようだ。懸命に努力しても指先が少し動く程度だ。目を開けているはずだが、何かで覆われているようで何も見えない……。
かすかに香水の匂いがするが、これは覚えがある。誰の香水だったかな……。
「どこで、この子を拾ったの?」
「荒野よ。それで、何もしなかったでしょうね?」
「少しは、私の研究に協力してもらったけど? タダなんだから、それ位は良いでしょう。それに誰にも内緒にしておくんだから。これを発表したら学会はどうなるのかしら……。たぶん誰も信じないでしょうね」
2人の女性が俺の近くで話している。
1人は間違いなくドミニクだ。この香水はドミニクだったんだな。もう1人の声は始めて聞く声だ。
「これを見て。今朝採取した血液よ。昨日まではこの子の肌は針をも通さなかったんだけど……。良く見て頂戴。これが拡大画像」
ドミニクが息を呑む声が聞こえた。
「これって! ……ありえないわ」
「マイクロメカトロニクス。俗にナノマシンとも呼ばれるものよ。更に拡大すると、こうなるの。ナノマシンに似ているけれど、更に小さいわ。私達の世界でこれを作れる者など存在しない」
「ナノマシンは、うちのドワーフ達も使ってるぐらいだから、ありふれた技術ではないの?」
「この画像を見れば違いが分るわ。左が戦機に使われているナノマシンよ。現代科学で複製が可能になった最小のナノマシン、重量の2倍のプラチナで取引されているわ。右が彼のナノマシン。どう? 私が興味を持つのも理解出来るでしょう」
「この事は……」
「貴方の母親よ。誰にも言うものですか! でも、この子はもう少し預かっておくわよ」
「また私達と旅が出来るんでしょう?」
「たぶんね。かなり元に戻ってるわ。数日で復帰するでしょう。そしたら連絡するから引取りに来なさい」
「お願いよ。今ちょっと手が離せないから、元に戻ったら連絡して頂戴!」
扉が閉まる音がした。
ここは、少なくともフレイヤの実家では無さそうだ。
会話から類推すると、ドミニクの母親の家らしいが、その母親は医者なのだろうか?
確か、最後に見た光景はダイブしてくる大鷲の姿だった気がする。
その後の記憶が無いというのおかしな話だ。そんな事を考えていると段々と意識が遠のいていく。
『マスター……。良かった。通常モードで次元歪曲移動を行ないましたから、心配していました。戦闘モードに移行して行なってください。通常モードでの動きは人間の動きとさほど代わりませんから体の負荷が大きすぎます』
「俺は、人間ではないのか?」
『人間ですよ。でも、この世界の人間とは少し異なります。限りなく私に近い存在ですが、私は作られた存在です。でも、マスターは人から生まれた存在なのです』
「2つ、疑問がある。1つはアリスと俺の存在理由。もう1つは俺達はこのままでいいのだろうか?」
『最初の疑問ですが、私達は他の惑星探査を目的に作られています。たくさんの姉妹が移民団の航宙船と共に宇宙に散っていきました。私が最後のモデルで同一体は他にはありません。マスターは何らかの原因で体に変調が起きた為に、その臓器や構造体を順次置き換えた形跡があります。最終的には今の体に落着いたと考えられますが、通常モードでは他の人間と区別することは不可能です。次の疑問ですが、問題は無いと思われます。私と似た戦姫と呼ばれる存在もあるようですし』
いつになく長い話をアリスはしてくれた。
どうやら、俺達は旅の途中で事故にあったらしい。体が2つに分割されても、俺達は生きていられるみたいだ。
だが、アリスのコクピットから落ちた俺は、体を幼児退行させることで五体を作り出し、あのドワーフの爺さんに拾われたと教えてくれた。
道理で両親の名も教えてくれなかったわけだ。写真すらないのが不思議だったんだがそんな理由があったんだな。
アリスもやきもきしながら俺の成長を見守ってくれたに違いない。さすがにヤードに無人の戦姫がやってきたら飛んでもない騒ぎになるだろうしね。アリスの自立電脳はそんなことまで考えることができるようだ。
だが、俺は自分を人間だと思っている。だけど体がかなり違っているようで、微少機械の複合体が俺のようだ。
ちょっと待てよ……。ヴィオラの船医が俺を診察してくれた筈だ。その時には何も言ってはいなかったな。
『通常モードでは、マスターを構成する微少機械は人間の各臓器や構造体に擬態しています。通常の検査では区別することは不可能です。今回は次元歪曲移動を行なったために一時的に戦闘モードに体が変化しました。そして、ドミニク様の母親は生体工学の権威者のようです』
やはり医者だったようだ。
それにしても……、俺の存在がそのような存在だったとはな。
体をいじられた記憶が遠くにあるのはそんな理由だったのかも知れない。
・
・
・
そんなある日。
俺の上半身が起こされて、目を被っていた包帯が解かれていく。
部屋の中は薄暗い。俺のベッドの直ぐ脇にドミニクとよく似た顔をした女性が椅子に座っていた。
イゾルデさんも若い姿だったが、目の前の女性だって20代後半にしか見えないな。話からすると、ドミニク団長のお母さんになるんだけど。
「どう? すっかり普通の人間のバイタル反応に戻ったわ」
「はぁ、そう言われても良く理解出来ないんですが」
俺の言葉を無視して左手で俺の頭を掴むと、俺の目を小さなライトを使ってみている。
それが終わると、口を開けさせると舌を出すように言った。口の奥まで覗いて、1人で頷いている。
「どうやら、戻ったようね。急に体を動かしたから、体に無理な負荷が掛かって倒れたってことにしておくわ。騎士の中にはそんな連中もいるようだから信用はしてくれるでしょう。夕方には貴方を迎えに来るはずだから、それまで私と一緒よ。私はカテリナ、ドミニクの母親よ」
「カテリナさんですね。色々とご迷惑をお掛けしました」
俺の言葉に微笑みを浮かべて頷くと立ち上がって窓際に向かった。そこにある小さなテーブルでコーヒーを作っているようだ。部屋に良い香りが広がってくる。
コーヒーのマグカップを両手に1つずつ運んで来て、俺に1つを渡してくれた。ちょっと俺には苦いけど、砂糖があまり無さそうだから我慢しよう。
だいぶ寝ていたような気がするな。コーヒーが体に染み渡るようだ。
「後で、食事を用意するわ。あれから10日も経っているから、お腹も空いているでしょう?」
「そんなに寝てたんですか? ちょっと電話を貸してもらえませんか? フレイヤが心配してると思いますから」
「だいじょうぶ。こっちから連絡してあるわ。夕方には迎えに来るはずよ。少し早いけど、新しいラウンドシップに向かうのね」
今日の日付を聞くと、集合までに残りは数日に迫っている。やることは無いから早めに新しいヴィオラを眺めるのも良さそうだな。
「ところで、少し質問をしても良いかしら?」
「答えられるなら」
何となく尋問みたいな質問が始まった。
答えられるものは答えたけど、分からない問いには分からないと答えておく。
特に、その先を求めるものではないようだ。ある意味興味本位な質問なんだろうけど、俺の体に関わる質問は何も無かった。
もっとも、質問されて答えられるような知識も無いんだが、ヤードで何回か怪我をした時があった。体が傷つけば血も流れるんだよな。
カテリナさんの質問に答えながら、まったく異なることを考えている自分に気が付いた。きちんと答えてはいるはずだ。それでいて、まったく別な事を俺は考えることができるのか?
自分の新たな1面に少し驚きが隠せなかったようだ。
「おもしろい反応ね。真剣に考えているようだけど、違うことも考えてたのかしら?」
「ちょっと、失礼でしたね。その通りです」
「まったく異なることを同時に考えられる者は少ないわ。中々おもしろい青年をドミニクは見つけてくれたわ」
余計に興味を持たれてしまったようだ。
その次の質問は、微分方程式を解きながら答えるように言われたけど、そんなことができるとは思えないんだけどねぇ。