74.
結局、しゃがみこむには膝が震えすぎていてバランスが取れそうもなく、かといって地面に座り込むとそのまま立てそうになかったので、ポーチからいつも野営で使っている折りたたみの椅子、俗に言うディレクターズ・チェアーを出してそこに座る事にした。
パッと見、緊張感のないポジションだが、これならいざという時に立ち上がりやすいからな。
俺は椅子の横においた同じく野営用の折りたたみテーブルの上に皮袋の口を広げておいて、パチンコの弾が取りやすいようにする。
「スミレ、ちゃんと結界は展開してるんだよな」
『してますよ』
「いつもの四角?」
『いいえ、今回はドーム型です』
えっ? そんな事ができるようになってんの?
「ほんのちょっとだけで良いから色をつけて見えるようにして見せてくれないかな? ミリー、スミレの結界をちょっとだけ見えるようにするから位置を覚えておいてくれ」
「はあい」
『判りました』
これからゴンドランドと対峙する訳だから、どこにいれば安全かを知っておいて損はないだろう。
スミレの結界は俺とミリーを認識するように設定されているから外に出たからといって戻れなくなる訳じゃない。
でも結界の外に出てしまえば守ってもらえなくなるのだ。
スミレの事だからもし俺かミリーが結界の外に出てしまうような事があったら、すぐに結界を移動させて俺たちを守るようにしてくれると思う。
とはいえほんの一瞬の隙を狙われないとも限らないのだ。
「コータ、大丈夫。ゴンドランドは1匹ずつ、行動するから」
「そうは言ってもなぁ・・・」
「一撃で、仕留めれば安全」
いや、それは別にゴンドランドに限った事じゃないだろ?
どんな敵だって一撃で仕留めれば安全だよ。
『では結界を薄くオレンジ色で見えるようにします。位置の確認をしてください』
スミレの言葉と同時に、俺たちの周囲がうっすらとオレンジ色に囲まれた。
広さとしてはパンジーの引き車を中心として直径40メートルほどの円形だろうか?
ただ上は2メートルあるかどうかの高さだ。形を説明するなら、そうだな、うつ伏せにした深めの縁のある丸いお盆、というところだろうか?
スミレはドーム型と言ったが、おそらく伏せたお盆型という方が近いと思うな。
高さが2メートルほどしかないから、エサは結界の外に突き出た形になっている。
とはいえそれでも血が棒を伝って流れ落ちているし、はみ出た内臓は結界の内側なので血なまぐさい匂いは消えてない。それがちょっと・・・いや、かなり残念だ。
「スミレの結界、きれい」
『ふふっ、ありがとうございます』
「ミリー、これがスミレの結界だから、間違って外に出ないように気をつけるんだぞ?」
『大丈夫ですよ。念のために中から出られないように横の部分だけ硬化しておきますから』
なるほど、それなら安心かな?
くるっと1回り確認したところでスミレが色を外してまたもとの透明な結界に戻す。
「じゃあ準備はオッケーなんだな。あとは待つだけって事か?」
「うん。でもすぐに来るよ」
「なんで判るんだ、ミリー?」
「だって、見えるもん」
「へっ・・?」
見えると言うミリーは弓を構えてまっすぐ結界の向こうを見つめている。
俺はその視線の先を見るけど、ミリーが何を見ているのかさっぱりだ。
でもミリーがすぐに来るというのであればそうなんだろう。
俺は少し汗ばんだ手のひらをズボンで軽く拭ってからパチンコを構えた。
真剣な顔でじっと先を睨みつけて弓を構えたミリーの弓からヒュンッと矢が飛んで行った。
俺はその矢の軌跡を目で追いながら、俺もいつでもパチンコ弾を打ち出せるように準備をする。
と低空から不意に大きな黒いものが飛び出したかと思うと、その黒いものにたった今ミリーが放った矢が当たった。
ギュイィィィィッッッ
耳障りな甲高い金属のような音が響いた。
そしてその黒いものはこちらに向かって滑空してきたかと思うと、スミレの結界に当たって止まる。
「な・・・」
「まずは、1匹」
びびった俺の声と対照的なミリーの落ち着いた声。
俺は座ったまま結界にぶち当たったその黒いものを見る。
うん、どう見たってでっかいトンボだ。
トンボの羽の色は透明で、数回上下に動いてからそのまま動きを止めた。
「コータ。回収に行く」
「えっ? お、おい、ミリー」
構えていた弓を俺の横のテーブルに置くと、そのままでかいトンボに向かって歩いていく。
まさか1人で行かせる訳にもいかず、少し震える足を叱咤して立ち上がると先を歩くミリーのあとを付いて行った。
ミリーは結界の壁にぶつかって地面に倒れているゴンドランドの前で俺たちを待っていて、近づいてきたスミレを見て尋ねる。
「スミレ、ここだけ結界、開ける事できる?」
『できますよ。結界、部分解除します』
解除した事が判るようにするためか、丸い輪が地面から1メートル幅5メートルほどを示すように浮かび上がった。
「コータ、手伝って?」
「あ、ああ。どうすればいい?」
「これ、羽を持って、引っ張り入れる」
しゃがみ込んで結界の向こう側に抜けると、ミリーと一緒に両側から透明な羽を掴んでそのまま結界の中に引き摺り込んだ。
「こ、これ、死んでんのか?」
『絶命していますね。一発必中で即死でした』
「たみゃたみゃ、上手くいった」
結界のすぐ内側長さが3メートル弱のトンボで、その胴体は30センチ以上ありそうだ。
羽も2メートルは軽く超えた長さで、幅は50センチくらいの透き通った透明だ。それが左右に3枚ずつ付いている。
「これ、で、6枚って事か?」
『はい、そうなります』
「あれ? じゃああと1匹仕留めたら依頼達成?」
「うん。でも、それは最低。もっと仕留めても、全部買ってくれる、って言ってた」
いや、でもなぁ。こんなの俺には無理だよ?
全く姿が見えなかったもん。ミリーにはどこにいるのか判ってたみたいだけどさ。
「なんかすごく簡単だな」
『いいえ、本来であればこんなに簡単に仕留められませんよ。ミリーちゃんの弓の腕のおかげです』
「スミレが、結界、してくれてるから、安心してられるから、だよ?」
『そう言ってもらえると嬉しいですね』
「だって、狙いを外して、あの尻尾に刺されたら、危ないよ」
「尻尾?」
スミレとミリーの会話を聞きながら、おれは尻尾に視線を落とす。
うぉっ、気づかなかったけど、むっちゃぶっとい針がついてるぞ。
長さは20センチくらいだけど、鉛筆くらいの太さの針がキラッと日の光を反射している。
「それ、ちょっと毒。危ないよ」
「ちょっと待て。毒って、どんな毒だよ?」
「死なない。でも、しばらくの間、苦しむ」
それ、ちょっとっていうのか?
おれとミリーのちょっとの違いが気になるぞ?
『ゴンドランドの毒は刺激痛を与える毒ですね。猛毒という訳ではないので2−3日ほど苦しみますが、死に至る事は滅多にありません。ただ、その間に運が悪ければゴンドランド、または近くにいた魔獣や魔物に食われる事もあります』
「十分危ねえじゃねえかよっっっ!」
どこが『ちょっと』、だよっっ!
「でも、死なないくらいの、強さだよ?」
「いやいやいやいやいやいやっ、確かに即死するような毒じゃないかもしれないよ。でも痛みで苦しんでいる間に食われるかもしれないんだぞっ」
「だから、1人じゃ狩らない」
『そういうリスクがあるから、依頼達成料も高いんですよ。それにやってくるのは殆どの場合1匹だけですからね、5−6人のグループで当たれば比較的安全な魔物ですよ』
あれ、動揺しているのは俺だけか?
ミリーもスミレもたいした事ないって思っているのか?
あれ?
ビビっているのは自分だけ、そう思うと本当にそんなに強くないのか、と疑問に思ってしまう。
でも、2−3日刺激痛が続くような毒は、やっぱり俺的には猛毒だと思うんだけどな。
「来た」
「えっ?」
ミリーの声に振り返ると彼女は既にテーブルに向かって走っているところだった。
『次のゴンドランドが来たようですね』
「スミレ、見えてるのか?」
『いいえ。探索エリアに入ってきたのを感知しました。その距離、約790メートル』
俺は手に握ったままだったパチンコを持ち直してから弾を取ろうとして、テーブルの上に置きっぱなしにしていた事を思い出した。
「ちっ。仕方ねえな」
俺はポーチに手を突っ込んで、鉄の弾を2つ取り出した。
石の弾の方が使い慣れているけど、今更取りに行ってたら逃げられてしまう。
『コータ様、もう1匹探知しました』
「おいっ、1匹ずつ来るんじゃなかったのか?」
『大抵はそうですね。ですが、今回はたまたま2匹同時に来るようです。その距離、約820メートル』
マジかよ。
俺はスミレが指差す方角を見たけど、やっぱり何にも見えない。
ヒュンッッ
風切り音がしたかと思うと俺の右手をミリーが放った矢が飛んでいった。
『コータ様っ来ましたっっ』
そう言われて先ほどミリーが指差した方角を見直すと何か黒いものが低く見えた気がする。
「えいくそっっ、ままよっ」
当たらないだろうと思いながらも、俺はホルダーに構えていた鉄の弾をもう少しだけ引き込んでからパッと手を離した。
ビュッと音がして弾が飛んでいく。
外しているだろうと思ったから、すぐにもう1つの弾をホルダーに置くとそのまますぐにでも放てるように構える。
その時フッと目の前に黒い塊が飛んでくるのが見えた。
俺はそれめがけてパチンコの弾を飛ばす。
一瞬羽が左右に揺れたのが見えた。
けれどそれはスピードを落とす事もなく、そのままの勢いで結界めがけて飛んできた。
ドンッッ
ドンッッ
俺の斜め左の結界にゴンドランドがぶつかる音がして、そのすぐ後に俺が狙ったゴンドランドが右方向の結界にぶつかった音がした。
ミリーは自分が仕留めたゴンドランドを見るために結界に近寄っていく。
俺もそれを見て自分が狙ったゴンドランドに近づいていく。
結界にぶつかったゴンドランドの顔は少しへしゃげていたが、前足がまだ少し動いている。
「これ、とどめを刺した方がいいのかな?」
『いえ、大丈夫です。もうそれ以上動く事はできないでしょう』
「でも、足が動いたぞ?」
『それでももう飛ぶだけの力は残っていませんよ』
俺は結界があるから飛びかかれないだろう、と自分に言い聞かせながらゴンドランドの前にしゃがみこむ。
気のせいかもしれないけど、でっかいトンボはじっと俺をその複眼で見つめているようだ。
けれどそれもほんの数秒の事で、ゴンドランドの複眼から光が消えた。
『死にましたね』
「そっか・・・んじゃスミレ、さっきみたいに中に引っ張り込むか」
『判りました』
俺は立ち上がるとスミレが開けてくれた隙間から外に出て片方の羽を掴んで中に引きずり込んだのだった。
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Edited 05/05/2017 @ 16:03 誤字のご指摘をいただいたので訂正しました。ありがとうございました。




