65.
ちゃっぽーーん
天井で水蒸気が水滴になって、それが湯船に落ちてくる音はなかなか風情があると思う
俺は温泉で定番のタオルを頭に乗せて、ふえ〜っと言いながら湯に浸かっている。
湯船の広さは4畳半くらいの大きさの正四方形をしており、運よく風呂に入っているのは俺だけだ。
「それにしても無駄なくらい広い風呂だよな」
どう考えてもここまで大きな風呂はいらない気がするんだけどさ。
でもまあ俺としてはデカい方がなんとなく温泉気分になれていいんだけど。
「そういやこの風呂って、温泉なのかなぁ?」
と言うか、この世界に温泉なんていうのがあるのか?
さっぱり判らん。
と、そんな事をぼーっと考えていると、ガラッと音がして浴室のドアが開いた。
「おや、先客ですか」
「こんばん・・は」
ドアの開いた音で振り返ろうとした俺に声がかけられた。
もちろん俺も挨拶を返したのだが、入ってきた人物の姿に思わず言葉が途切れてしまった。
彼はそんな俺など気にも留めずに、入ってすぐのブースのようなところで掛け湯をしている。
しっぽだよ、しっぽだよ。
つい2回も繰り返してしまったが、動揺しているという事で気にしないでくれ。
俺の視線は彼の尻尾に釘付けだ。
男の尻尾はフサッとしていて縞々だ。まあ今は濡れてぺたんとしてしまっているが。
「湯加減はどうですか?」
「へっ? あっ、ああ、湯加減ですか? ちょ、丁度いいと思いますね」
湯加減を聞かれて我に返りなんとか返事をするものの吃ってしまう。
テンパってるのか、俺。情けねえなあ。
男はそのまま俺の正面に入ると、そのまま前の手を突き出して伸びをする。
多分30歳前後くらいのちょっと恰幅がいい体型をしている。
そんな男の頭には当然のようにケモミミがついている。
猫のように尖ってはいないが、少し小さめの丸っぽい三角の耳だ。
この人は多分アライグマ獣人じゃないかな?
「獣人は珍しいですか?」
「あっ・・・すみません」
あまりにも不躾に見ていたからだろう、耳から視線を離せない俺に問いかけてくる。
慌てて視線を耳から男の顔に向けると、気にするなというように男は顔の前で手を振る。
「いやいや、気にしないでください。人種の方が多い地域ですからね、珍しいのではないかと思ったんですよ」
「その・・俺は小さな集落出身で、外に出るまで獣人を見た事がなかったんです。ですのでつい・・本当に失礼しました」
「ほう、どちらの出身で?」
「ジャンダ村から更に外れた場所にあった集落です」
「あった、という事は?」
「はい、もうありません」
「それは申し訳ない事を聞きました」
「いえいえ、気にしないでください」
耳をぺたんと頭につけて謝る男に、今度は俺が手を降って気にするなと伝える。
「ジャンダ村といえばアーヴィンの森の入り口にある村でしたな。それでは今は旅の途中ですか?」
「はい、あちこち見て回ろうと思って、つい先日ジャンダ村から街道に出て旅を始めたんです」
「どちらに?」
「とりあえず大都市アリアナを目指していますが、特に予定があるわけでもないのでのんびりと移動しているんです」
嘘は言ってない。
なんか聞かれる度に同じ話をしているせいか、だんだん自分が異世界から来たというよりもローデンの集落からきたような気がしてきている。
「ほう、大都市アリアナですか? ではもう暫くは旅を続けられるんですなぁ。ハンターですか?」
「はい、と言ってもハンター登録したばかりなのでランクは低いんですけどね」
「いやいや、ハンターは大変な仕事ですからな。それに旅をしながらこの宿に泊まれるだけの稼ぎがあるのであれば十分ですよ」
確かにこの宿を常宿にできるくらいの稼ぎがあればすごいだろうけど、俺の場合はズルしてるようなもんだからなぁ・・・
「稼ぎはそんなにないですよ。ただのんびりと風呂に入りたくて無理をして泊まっているんです。公共の風呂もあると聞いたんですが、やっぱりそういう場所だと落ち着かなくて」
「確かにな。私も1度この都市の公共の浴場に行った事がありますが、たくさんの人が入れ替わり立ち替わりでやって来てバタバタしていて気が落ち着きませんでしたね。その点ここの風呂はのんびりできて疲れが取れます」
「そうですね、疲れを取るにはのんびりと落ち着いて風呂に入れるのが一番ですよね」
うんうん、判るよその気持ち。
「おお、自己紹介がまだでしたな。私の名前はハルシエンダ・アクィエラといいます」
「丁寧にありがとうございます。私の名前はコータと言います」
「コータさんですか。珍しい名前ですね」
「そうですね。私の出身の集落ではそうでもなかったんですけどね」
そりゃそうだよ、だって日本の名前だもんな。
もちろんここで言う俺の出身っていうのは日本の事だ。
「アク、ィエラさんはお仕事でこの都市に?」
なんかむっちゃ発音が難しいぞ。
「ハルで結構ですよ、アクィエラと言われると誰の事か判りませんからね。それにハルシエンダという名前は長くて言いにくい名前だとよく言われますので、気軽にハルと呼んでください。私はアクィエラ商会の会長の三男なんです」
「商人さんなんですか」
「はい。父は店を大都市アリアナに構えていましてね。2番目の兄は都市コーバンの支店で支店長をしています。今度この都市ケートンにも支店を作る事になりまして、その下見と店を出す場所の視察に私が来たんですよ。もちろん仕入れもしないといけませんけどね」
「そうなんですか。いくつも支店があるなんて大きな商店なんですね」
「いえいえ、父が1代で築き上げたもので、私と次兄は手伝いでしかありませんよ」
そうは言いつつも褒められて嬉しいようで、耳がピクピクと動いている。
それにしてもアライグマの商人か、似合っているのか?
狸だったら騙されそうだけどさ。
「コータさんともここで出会ったのは何かの縁という事で、もし何か入用のものがありましたら声をかけてくだされば勉強しますよ」
「ハルさんは商人さんですね。早速売り込みですか? でも俺はしがないハンターですから、あんまりいい客にはなれないと思いますよ?」
「いやいや、ハンターの情報網を甘く見ちゃ駄目ですな。あなたたちハンターはあちこちに移動します。そのいく先々でアクィエラ商店の名前を出してくれるだけで十分宣伝になるんですよ」
判ってませんな、と片方の眉をあげるハルさん。
口コミ、ってヤツか。そんな事まで計算して俺にも声をかけてくる、さすが商人だな。
「ハルさんのお店ではどんなものを売っているんですか?」
「うちではなんでも取り扱っていますよ。大都市アリアナにある本店は3階建ての建物でしてね、1階部分は主に食料品、2階部分は衣料や日用品、そして3階部分では武器や防具を扱っています。2階の奥には事務所があって、そこで他都市からやってきた商人たちと商談をまとめたりもしています」
「総合商店なんですね、なんでも揃う店ですか、凄いですね、いつか見に行ってみたいです」
「いつでも来てください。ハンターの方もたくさん来られますからね。うちでは旅に必要な商品も多彩に取り揃えておりますので、きっとコータさんの目に叶う商品もあると思いますよ。それから来られた時に店でハルの知り合いだといえば、少し割り引きしてもらえるように話をつけておきますね」
悪戯っぽく自分の名前を出せば割り引きしてもらえるからおいで、と誘惑されているんだな俺。
さすが商人、口がうまいなぁ。
「じゃあ、明日は仕入れですか?」
「いえ、私は今日到着したばかりなので、明日は役所に出かけて都市ケートンの地理を勉強してこようと思っています。それから不動産屋に行って支店候補に上がっている土地建物を観に行くつもりですね。それから商品情報を仕入れるために商人ギルドに行きたいです。もしかしたら新しい商品があるかもしれませんからね。それに開発者とも顔繋ぎをしたいですし」
「忙しいんですねぇ・・・」
ハルさんのこれからの予定を聞いて、思わず頰が引き攣りそうになる。
いや、俺には無理だから、そんな忙しい生活。
特にこの世界にやってきてからは結構マイペースでのんびりと暮らしているからなぁ。
「コータさんも何か商品がありましたら持ってきてくだされば商談に乗りますよ?」
「へっ?」
ぼんやりと自分の今の生活スタイルの事を考えていたら、思わぬ事を言われた。
「商品って?」
「ハンターの仕事で採取した薬草でも狩った獣でもなんでもうちで引き取りますよ。もちろん時価で取り引きをさせていただきますから、場合によってはギルドよりも高値で買い入れする事もあるかもしれませんね」
にやり、と口元だけ歪めて笑みを浮かべたハルさんは、やり手の商人というよりはどこかの悪徳商人のようだ。
でも、俺には売れそうなものがあるんだよ。
そのためにスミレがさっきまで頑張ってたんだからさ。
「そうですね。もしかしたら売れるかもしれない商品があるかもしれないです」
「おおっ、そうですか?」
「はい。まあ所詮は俺が作ったものですから素人感丸出しなので、大都市アリアナのような場所では売れないかもしれませんけどね」
なんせマッチだ。大都市ともなるとそんなものがなくても簡単に火を熾す事なんてできるだろうからな。
でもさ、支店があるって話だ。もしかしたらそういう店でなら売れるかもしれない。
「ほうほう、コータさんが自ら作られたんですか? それは気になりますなぁ」
「いえいえ、ただの日用品ですから。それに庶民向けの品ですしね」
「うちの店は幅広い層のお客様を抱えていますよ。ですから庶民だろうと金持ちだろうと、どんなお客様にでも対応できるだけの商品を揃えたいと思っているんですよ」
なるほどなるほど。だったらマッチ、売れるかもしれないな。
「コータさんはいつまでここに泊まられますか?」
「俺は今夜と明日の2日間の予定です。そのあとはいい依頼があれば受けてみようと思っています。ハルさんはいつまでここに?」
「私は10日間の予定で来ていますので、コータさんの都合のいい時に会いにきてください。夕方以降であればいつでも時間を作りますよ」
うまいなぁ・・・さすが商売人。
「判りました。まだどうなるか判りませんが、是非とも都合をつけてハルさんに会いに来たいと思います」
「よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
でもその前に、まずは生産ギルドで商品の登録をしておかないとな。
って事は、明日はハンターズ・ギルドに行って何か依頼を見つけてから生産ギルドに行くか。
本当は依頼をこなしてからって思ってたんだけど、こうなると早い方がいいかもしれない。
「いやいや、本当にいいタイミングで風呂に来ましたよ」
「こちらこそ商人の方と知り合えるとは思っていませんでした」
まあこの宿は外からやってきた商人がよく使うって話は聞いてたんだけどさ。
獣人でも大丈夫な宿だと聞いていたけど、まさか本当に獣人と会うとは思ってなかったよ。
「ではそろそろ上がりますね」
「そうですか?」
「このまま浸かっていると逆上せそうです」
「それは困りますね。では是非ともまた会える事を期待していますぞ」
「こちらこそ。その時はよろしくお願いしたいと思っています」
ハルさんが伸ばしてきた手を握って握手をすると、俺はそのまま風呂から上がったのだった。
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