58.
ガタガタと揺れる御者台の上で、ミリーが楽しそうに尻尾を振りながらパンジーの手綱を握っている。
彼女の手綱を握る手は初めて会った時よりも肉付きが良くなっていて、骨が透けて見えるような事はない。
ミリーを拾って既に10日が経つ。
その間に毎日お腹いっぱい食べさせて、寝られる時には寝させたんだ。
これで元気になってなかったらどっかおかしいって事だからさ、元気になったのはいいんだ、うん。
それでもやっぱり心配なのは仕方ないだろう。
なんせミリーは小さいんだよ。10歳だって言ってたけど、どう見たって小学1年くらいにしか見えない。
それはスミレも同じなのか、ミリーを小さな子供のように扱っている。
多分栄養状態が悪かったんだと思うな。これからどんどん食べさせれば、そのうち身体が普通の10歳の子供くらいまで成長するだろうか?
「コータ」
そんな俺の視線を感じたのか、ミリーが俺の名前を呼んだ。
スミレが作ったフード付きのマントを着て頭はスッポリとフードに隠れているが、その下からジロリと視線を向けてどこか不機嫌そうに見える。
「な、なんだ、ミリー」
「わたし、ちゃんと手綱握れるから、見なくても大丈夫」
「そっ、そうだな、うん。判ってるよ」
「じゃあ、どうして見てるの?」
「あ〜っと、それは、だな。うん。ミリーが元気になったなぁって思って見ていただけなんだ」
うん、嘘は言ってない。
「ほら、初めて会った時、ミリーはとっても弱っていただろ? だから、ミリーが元気になってよかったなぁ、って嬉しかったんだ」
「うん、わたし、元気になったよ。ぜんぶ、コータとスミレのおかげ」
「そんな事ないぞ〜。ミリーが元気になりたいって思ったから、元気になれたんだよ」
「コータがポーション、毎日飲みゃせてくれたから」
「まあ、ポーションなぁ」
あれって、俺的認識にしてみれば栄養ドリンクみたいなもんだからな。
元気になればいいや、って思って飲ませてたんだよ。
もちろん、パンジーだって今も毎日1本飲ませている。
おかげでいつもパンジーは元気だよ。
というか、スミレの話ではパンジーはクリーム色のヒッポリアと思えない移動速度なんだそうだ。
おそらくポーションのおかげだろう、って言ってた。
「ミリーもパンジーの扱いが上手くなったなぁ」
「パンジー、いい子だもん」
「そうだよ、パンジーは本当にいい子だよなぁ。俺にだってちゃんと扱えるんだからなぁ」
馬にさえ乗れない俺なのに、パンジーはちゃんと俺の拙い指示に従ってくれるんだよ。
「コータ」
「な、なにかな?」
やべっ、また俺じっとミリーを見てたのか?
「見えてきた」
「見えてきたって?」
「ほら、あれ、多分都市ケートン」
「へっ?」
ミリーが指差す方を目を凝らして見るものの、俺には何にも見えない。
「どこに?」
「ほら、あそこ」
あそこって言われても俺にはさっぱり見えないんだけど。
「スミレ、見えるか?」
『はい。見えるというか、地図からの判別でミリーちゃんが指差している方角で合ってます』
いや、それ、見えてなくね?
「ミリーは目がいいなぁ。俺には見えないよ」
「コータ、見えないの?」
「うん、多分俺の視力はミリーほど良くないんだな。だから、もう少し近づかないと見えないんだよ」
目を細めて街道の先をじーっと見てみるが、やっぱり見えない。
「よかったな、ミリー。今夜はちゃんとした宿で寝れるぞ」
「わたし、別に休憩所でもいいよ?」
「うん、判ってる。ミリーは良い子だからわがままは言わないもんな」
「じゃなくて、わたし、コータとスミレがいれば、どこでも大丈夫だよ」
「ミリー」
な、なんて良い子なんだあああ。
俺は思わず抱きしめかけて、グッとこらえる。
こんな小さな子を抱きしめたりしたら変態だもんな。
「この調子で進んだら、結構早い時間に都市ケートンに入れそうだな」
『そうですね。これならちゃんとした宿を取る事ができるでしょう』
「今夜は奮発して良い宿に泊まろうか?」
「良い宿?」
「そう。都市ケートンだったら風呂がある宿もあるだろうからな」
『そういえばタオルで拭くだけでしたからね』
「お風呂に入れるんだったら、少々高くても構わないよ」
日本人が風呂に入れないっていうのは一種の苦行だよ。
ミリーを洗うために作ったタライは小さすぎて俺には入れなかった。
スミレが新しいのを作ろうか、と言ってくれたが、さすがに休憩所で入ろうとは思えなかったんだよ。
露天風呂みたいなもんだといえばその通りなんだけどさ、ミリーが一緒にいるのにスッポンポンになれるかよっ。
というわけで、俺は大変風呂に飢えている。
「コータ、お風呂って?」
「ん? 風呂っていうのはな、大きな入れ物にお湯が入っていて、そこに入って体をあっためて綺麗にするところの事だよ」
「お湯に入るの? 茹っちゃうよ?」
「ああ、そんな熱湯には入らないよ。そうだな、ちょっと熱いかなって感じる程度のお湯だよ」
温めのお湯も良いけど、久しぶりに入るんだったらちょっと熱めのお湯に入りたい。
カーッと体をあっためて汗をガンガンかきたいなぁ。
「とにかく、着いたらまずは宿を決めるぞ。ギルドはその後で十分だからな」
「いいの?」
「いいんだよ。別に都市に入ったからって報告する義務はないからな。今日は宿でのんびりして明日出かけても十分だ」
宿に着いたらすぐに風呂でもいいなぁ。
それで寝る前にもう1回入って、朝起きてから入ってもいいなぁ。
なんだったら1週間ほどずっと留まって風呂三昧なんていう生活もいいかもしれない。
その前にスミレに石鹸を作ってもらおう。それからシャンプーもいるな。そうだ、リンス・イン・シャンプーにしてもらおう。
以前みたいに毎日風呂で洗ってないから、リンスが入っていた方が良さそうな気がするからな。
「コータ」
少しボサボサになった髪に触れながら、ついでに散髪もしてもらいたいなぁ、なんて思う。
この世界に来てからまだそれほど日数は経ってないけど、それでもそろそろ散髪しないと前髪がウザくなってきてるんだよ。
「コータ」
その時にミリーも連れて行って切ってもらおうか?
誰が切ったのか判らないけど、拾った時はザンバラ頭だったもんな。
一応俺が少しだけスミレの指示に従って切ってやったからマシになったけど、ちゃんとしたところで切って貰えば絶対に可愛くなるぞ。
「コータ!」
「はぇっ」
腕をぐいっと引っ張られ、耳元で名前を叫ばれた。
「ミリー、もうちょっと小さな声で名前呼んでくれないかな?」
「さっきから何度も呼んだ。でもコータ、全然返事してくれなかった」
「そ、そうか。ごめん」
どうやらどっぷりと思考の海に潜っていたようだ。
「それで、なんだ?」
「あれ、見える?」
「あれ? おっ・・あれが都市ケートンなのか?」
「たぶん。でもわたし、行ったことないから判らない」
ミリーが指差す方向に、何か横線みたいなのが見えてきた。
まるででっかい丸太を転がしているように見えるから、全く都市があるようには見えないんだよな。
「あれ、何か判るか?」
『あれは防御壁ですね』
「防御・・?」
あれ、石壁か?
高さはまだまだ遠くて判らないけど、やけに長い気がする。
「なんか凄いなぁ・・・あんな壁がいるのか?」
『魔獣が出ますからね』
「いや、だってさ、ジャンダ村だって魔獣は出るって言ってたけど、木の塀だったぞ?」
「ここは都市ですよ? 魔獣にとってこれだけの大きさの都市であれば、たくさんの人がいると認識します。つまりここはいい餌場だって思うんですよ。だから襲撃に備えて石壁を築いているんでしょう」
う〜む。まぁ戦争のためと言われるよりは、魔獣の襲撃に備えている、って聞く方がマシなんだけどさ。
それでもこれだけの石壁が必要な相手からの防御のため、と考えるとちょっと怖いよなぁ。
さすが異世界、って言葉で片付ける訳にはいかないよ。
なんせ俺にとっては現実なんだからなぁ。
「それにしてもでっかいなぁ。都市っていうくらいだから人口も多いんだよな?」
『はい、都市ケートンの人口は約8000人です』
「確かジャンダ村って400人いなかったよな?」
『そうですね』
すげえなぁ、ジャンダ村の20倍以上かよ。って比べる対象を間違えてる気がしないでもない。
「うん、だったら、風呂があるな」
『・・・コータ様』
「いや、だってさ。小さな村とかだったら風呂はないだろ? だから8000人も住んでる都市ケートンだったら、確実に風呂があるかな〜って・・・」
じろり、とスミレに睨まれると、それ以上何を言っても言い訳だってバレバレだよ。
『はぁ・・まぁ、コータ様はずっとお風呂に入りたいって言ってましたからね。頑張ってお風呂のある宿を探しましょう』
「コータ、一緒にお風呂はいる?」
「・・・・はっ?」
いきなり落とされた爆弾は、見事に俺に直撃した。
俺は一瞬固まって、そのまま視線だけミリーに向ける。
『ミリーちゃん?』
「だって、わたし、お風呂見たことも入ったこともないよ。だから、コータと一緒に入れば、お風呂の使い方教えてもらえる?」
「いやいやいやいやいやいやいや。それは無理だっっ」
「どうして?」
こてんと頭を傾げるミリーは可愛い。
けれど彼女の口車に乗ったら、俺は犯罪者に仲間入りだ。
「だからミリーは女の子だろ? 女の子とお、男が一緒にお風呂に、はっ、はっ、入るなんてっ」
ああっ、俺は何を言ってるんだあああ。
すっかりテンパってるじゃないかっっ。
「でも、わたし、入りかたがわからないよ?」
「入り方は教えてあげるからっっ。だから1人で入ろうなっっ」
「でも熱いお湯、怖いよ」
「そっ、それは・・・」
しょぼんと耳がぺたーっと頭に張り付いてしまうのを見てしまうと、まるで俺が極悪非道な事を言っているみたいじゃないかよっ。
「そ、それでも、だなっ。やっぱり俺とミリーは一緒に風呂に入る訳にはいかないんだ」
「どうして?」
「ど、どうしてって」
俺の名誉のために決まってるじゃないか。
でもそんな事を言ってもミリーには判らないんだろうなぁ。
俺はテンパったままスミレに視線でSOSを送る。
『ミリーちゃん』
「スミレ・・・どうしよう。わたし、1人でお風呂入れない・・・」
『そうですね。じゃあ、わたしが一緒に入りましょう』
「でもスミレはお湯に触れないよね?」
スミレには実体はない。
というか、レベルが上がって5になればスミレが入る身体を作る事ができるらしいが、今の俺ではそんなものを作る事ができないのでホログラフのままだ。
なのにスクリーンには触れるんだから不思議だよ。
『私はお風呂に入れませんね。でも一緒に浴室に行ってミリーちゃんにお風呂の入り方を教える事はできますよ』
「そうなの?」
『はい、ですから、安心してくださいね』
「うん」
明らかにホッとした顔をしたミリーを見て、俺は罪悪感でいっぱいだよ。
それでもこればっかりは譲れないんだ。
ごめんなあああ、ミリーっっっ!
読んでくださって、ありがとうございました。
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