45.
「うわああああああああっっっっっ」
尻餅をついてもなお俺は悲鳴を上げ続ける。
『コータ様っっ!』
いきなり地面に尻餅をついた俺に驚いて、スミレが俺の名を叫んだ。
「足っ足っっ」
なんとか足を手から引き抜こうとするものの、ビビって腰が抜けた俺の力では足を引き抜く事ができない。
「はっ、離せっっ!」
尻餅をついた体勢のまま両手を後ろについて 左足を体の方に移動させ、それを軸にして右足を引っこ抜こうとする。
と、ずるっと手が毛皮から出てきた。
「うっわああああああっっ! 手がっっ手がっっ!」
手が抜けて出てきたっっ!
むっちゃホラーだよっっ!
『コータ様っっ』
「手が抜けたっっ!」
『違いますっ』
「手がっっ手がっっ抜け落ちたーーっ!」
『抜け落ちてませんっっっ! 落ち着いてくださいっっ!』
耳元に響くキーンと甲高い声スミレの叫び声が脳天に響いた。
その声の音量に俺は脳をやられて、俺はようやく動きを止めた。
『コータ様』
「ス、スミレぇぇぇ・・・死体が俺を掴んだぁ・・・」
半泣きになりながら、耳のすぐそばで飛んでいるスミレに訴えた。
ゾンビだぞ、ゾンビ!
この世界にはゾンビがいるんだぞっ!
『落ち着いてください、コータ様』
「でっ、でもっでもっっ手が抜け落ちたんだぞっっ! 死、死体が・・・俺を襲ってきた・・・ゾンビがいるなんて聞いてないぞぉぉぉぉ・・・」
神様の嘘つきぃぃぃぃぃっっっ!
『手は抜け落ちてませんから。死体も襲ってませんから。とにかく深呼吸をしてください』
言うのは簡単なんだよっっ。
スミレは死体に掴まれてないんだからなっっ!
俺なんて足を掴まれてるんだぞっっ!
それでも俺の耳元から顔のまん前に移動してきたスミレの顔は、俺みたいにパニックになっていない。
それを見ると少しだけ安心できた。
もしかしたら、俺、大丈夫なのかもしれない。
『いいですか、深呼吸をしましょう』
「ス、スミレ・・・・うん」
『はい、コータ様。大きく吸って〜・・・吐いて〜。もう一度吸って〜・・吐いて〜』
すううう・・・はあああ・・・すううう・・・はあああ・・・
スミレの音頭に合わせて大きく息を吸ってから一度止めて大きく吐き出す。
それを2回すると、なんとなく気持ちが落ち着いた気がしてきた。
とはいえ、小さな手はまだ俺の足首を掴んだままだけどな。
『少しは落ち着かれましたか?』
「・・・うん・・多分」
『落ち着いて見えますよ。これで少しは話ができますね』
「・・ごめん」
『いいんですよ。ではまず、コータ様の足を掴んでいるその手は毛皮の主ではありません』
ゾンビじゃないのか?
俺は言われて改めて自分の足首を掴んでいる手を見つめる。
こうして気持ちを落ち着けてみると、それはどう見たって子供の手だ。
『事後承諾ですが、スキャンをしました。その結果、その毛皮はグランズランという熊の魔獣のものです。グランズランの毛皮は分厚いので、中にいたその子供の体温を感知する事ができませんでしたので、私の探索に引っ掛からなかったのではないか、と思います』
スミレの探索は熱感知システムを使っているのだ、と聞いた事がある。
つまり分厚い魔獣の毛皮のせいでその中にいた子供の体温を感知できなかった、って事だな。
「そっか・・・」
『大変申し訳ありませんでした』
「気にしなくていいよ、スミレ。これがゾンビの手じゃないって判っただけで十分だよ」
ただ、むっちゃ怖かっただけだよ。
もうちょっとでちびるところだった。
さっき用を足しといて良かった、って心底思ってるんだ、俺。
おかげでお漏らしという不名誉を受けなくて済んでいるんだもんな。
『それから、ですね。その手の主は子供だと言う事はコータ様も見れば判ると思います』
「うん。小さいもんな」
俺は自分の足首を掴んでいる手を見下ろす。
多分10歳前後の子供の手じゃないかな?
そのくらい小さく見える。
俺は怖々《こわごわ》とだが、そぉっと手を伸ばしてものすごい異臭を放っている毛皮に触る。
「うわっ、ずるって滑ってる」
『半分腐っているみたいですねぇ・・・恐らくずっと濡れたままにしていたせいでしょう』
滑る感触は気色悪いが、それでも思い切って掴むとそのまますこしだけ持ち上げて中を見た。
するとそこに俯せで倒れている子供の姿が手を伸ばして俺の足を掴んでいるのが見える。
身につけているのは茶色く変色したズタボロの布、としか言いようがないチュニックみたいなざっくりと被るような服だった。しかもズボンはなく上だけだ。子供が小さいから膝まで丈があるからまだいいが、これが大人だったら下半身丸出しだよ。
そんな小さな子がこんなところでどうしてこんな状態になっているんだろう?
「ホントだ。手だけじゃない。子供が埋まってる」
『でも気を失っているようですね』
「うん。俺の足首を掴んだだけで体力を使い果たしたのかな?」
『そうかもしれませんね。かなり衰弱しているように見えますから』
いまだに俺の足首をしっかりと掴んでいるとはいえ弱々しい感じがする。
おまけに痩せこけていて、俺の足首を掴んでいる手の細さに今更ながら気づいた。
多分スミレの言う通り、衰弱してしまって気を失っているんだろうな。
それよりも、だ。
ちょっと発見があるぞ。
「なあ、スミレ。この子、耳があるぞ?」
『耳があるのは当たり前ではないかと思いますが?』
「いやいやいや、そうじゃなくってさ、この子動物の耳がついている。それに今気づいたけど、着てる服の下から尻尾が出てる」
『獣人ですね』
あっさりと答えるスミレ。
特に驚いてはいないようだ。
「この世界、獣人がいるのか?」
『いますよ。ああ、そういえばコータ様の世界には人間しかいないんでしたっけ?』
「うん・・・」
スミレがおかしい、と言わんばかりなんだが、獣人がいる方が俺にはおかしいと思うのは気のせいか?
『耳と尻尾の形から推測すると猫系獣人族のようですね』
「ネコミミだなぁ・・・・」
びっくりだよ、おにーさんは。
「俺、初めて見た」
『そういえばジャンダ村にもハリソン村にもいませんでしたね』
おそらくいつも通りあれば少し頭を傾げて返事をしているだろうスミレは可愛いだろう。
だが今俺の目は倒れている子供の耳に張り付きっぱなしだ。
『猫系獣人族であればもう少し元気があってもおかしくないんですけどね? それだけダメージを負っているという事なんでしょうか?』
「なんで? あっ、ああ、もしかして獣人だから体力があるって事?」
『はい、獣人族は人よりも体力がありますから』
なるほど。
でも目の前の子供は憔悴しきっているようにしか見えないぞ。
『どうやらなんとかかろうじて生きている、といったところでしょうね』
「みたいだな」
『どうされますか?』
「どうって?」
スミレが聞いている事の意味が判らない。
『このままここに放置しますか? それとも助けますか?』
「さすがに放置って訳にはいかないだろ?」
生きてるのにこのまま見捨てるなんてできないよ。
これも何かの縁だ。助ける事ができるなら助けてあげたい。
『パンジーのところに連れて行きますか?』
「うん。でも自力じゃあ無理だろうから、俺が抱いて連れて行くよ」
『その毛皮はどうしますか?』
「臭いから捨てたいけど・・・でも俺のじゃないから勝手に捨てらんないか。んじゃこの子が目を覚ましたら本人に聞いてみるよ」
「判りました」
もういい加減この悪臭にも鼻が慣れたせいか我慢できているけど、できれば捨てていい、って言ってくれると嬉しいなぁ。
「んじゃあ、とりあえずハリソン村に連れて行ってあげた方がいいかな? 家族が探しているかもしれないしね」
『そうですね、もしハリソン村の子供でなくても、近隣の村の子供であれば親はすぐに見つかるでしょう。ではコータ様が抱きかかえてあげてください。とてもではないですが歩けないと思います』
うん、そうだな。大体目も覚ましていないんだから歩ける訳ないと思いぞ。
それよりもスミレ、1つ言わせてもらいたい。
「その前に綺麗にしてあげようよ」
『綺麗に、ですか?』
「うん、スミレは匂いが判らないから気にならないんだろうけどさ、この子、すっっっっごく臭いんだ」
『ああ、そういえばすごく臭いと先程言ってましたね』
「そうそう。申し訳ないけど、こんな凄まじい匂いがするこの子を抱きかかえたくないよ。それにヌルヌルしているから滑りやすいし」
このままこの子を抱き上げたら、一生身体に染み付くぞ、この匂い。
それに何と言っても一番気になるのはこの子の体の滑りだ。
きっと毛皮の滑りのせいだと思うけどさ、これはあまりにも酷い。
「じゃあ拭いてやりますか?」
「それでもいいけど、どうせなら洗ってやりたいよ。俺たち丁度川の傍にいるんだからさ、竃を出してお湯を沸かそう。それでこの子を洗って綺麗にしてやってからパンジーのところに戻ろう」
川の水だと冷たいだろうからな、うん。
『今から竃に火を入れて水を沸かすんですか? 時間がかかり過ぎます』
「でもさ、川の水だと冷たいだろ? 可哀そうじゃん」
『そんな事は判ってますよ。大体衰弱しきっている子供を冷水で洗うなんて、そんな酷い仕打ちはできません』
何を言っているんだ、とジロリとスミレに睨まれた。
「じゃあ、どうすんだよ」
『手持ちの鍋に水を汲んできてください。1つじゃなくてあるだけ、ですよ。それからその辺に落ちている石も拾えるだけ拾ってきてくれませんか?』
「判った」
ん〜? スミレが何をするつもりなのかはさっぱり判んないけど、俺のデータバンクであるスミレが言うんだったら間違いはないだろう。
なんらかのアイデアがあるからそう言っているんだろうって思えるもんな。
という事で俺はそっと子供の手を俺の足首から外すと、スミレに言われた通りポーチからあるだけの鍋を取り出して川の水を汲みに行く。
あるだけといってもポーチの中にはスープ用の10リットルくらい入りそうな鍋と、小さめの5リットルくらい入りそうな鍋が2つあったので、その3つ全部に水を汲んできた。
それから川沿いや草むらの中から頭くらいの大きさの石を見つけたので、両手に1個ずつ抱きかかえてスミレが展開した陣のすぐそばに並べた。
俺がそうやって物を集めている間に、スミレはスクリーンを展開して色々とセッティングをしている。
「このくらいあればいいかな?」
『できればもう少し水が欲しいところです』
「もう鍋ないよ」
『じゃあそれでいいです。石はそんなもので足りると思います。まぁ足りなければコータ様の魔力を使うのでいいでしょう』
スミレからオッケーが出たので、俺は石を集めるのをやめる。
それから地面に倒れたまんまの子供が見える陣の反対側に座った。
いや、だってさ。
ほんっとうに臭いんだよ。
申し訳ないけど、あの子の隣には座れないよ、俺。
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