38.
宿に戻ると丁度夕飯時のようで、宿の部屋を聞きに来た時は閑散としていた食堂のテーブル席は既に8割方埋まっている。
ただその光景は俺が想像していたものではなかったんだよ。
異世界の食堂、という事で、俺は荒くれ者がビール、いやエールの入ったジョッキを持ち上げてワイワイ騒ぎ、時には殴り合いの喧嘩をする、そんな風景を想像していたんだよ。
でもさ、今目の前に広がっている光景は、どこぞのファミレスで見るような光景だった。
テーブル席を埋めている人たちの半分は家族連れで、親子で仲良く食事をしている。残りは仕事仲間とか友達同士といったグループで、荒くれ者冒険者!といったグループは1つもなかった。
「ま、まぁこれなら夜中に騒ぐ声がうるさくて眠れないって事はないな、うん」
「あら、おかえりなさい、コータさん。すぐに食事にしますか?」
「あ、グレンダさん。はい、お願いできますか」
「大丈夫ですよ〜、適当に座ってくださいね」
「はい」
両手に料理とエールらしき飲み物が入った金属製のカップが載ったトレイを持ったグレンダさんに声をかけられて、俺はそのままキョロキョロと食堂を見回してから隅の方に空いていたテーブルに座った。
すぐ傍のテーブルにはずんぐりした父親と彼より一回りほど小さな母親と思しき人たちがそれぞれの隣に子供を1人ずつ座らせて食事をしている。
あれって、ドワーフか?
座っているからはっきりとは言えないけど、お父さんの身長は150センチないんじゃないのかな? お母さんの方は130センチあるかどうかだろう。子供たちは1メートルほどで、座っているベンチを見るとお尻の下に高さ30−40センチくらいの箱が置いてある。
確かにそうでもしないと頭だけしかテーブルの上に出ていないだろうからな。
ぼーっと周囲を見ている俺の前にグレンダさんがやってきて水の入った木製のカップを置いてくれた。
「コータさん、お水置いておきますね。夕食は日替わり定食って泊まりの人は決まっているんだけどそれでいいかしら?」
「日替わり定食ですか?」
「そう。今夜は鳥肉のソテーよ」
「美味しそうですね。それで結構です」
よかったわ、といいながらグレンダさんは手にしていたトレイを持ってそのまま他のテーブルに行く。
夕飯時だから忙しそうだ。
「よお兄ちゃん、旅人かい?」
「えっ? あ、はい、そうです」
忙しそうに動き回っているグレンダさんを見ていた俺に、隣に座っていたドワーフ一家の父親が声をかけてきた。
「どっから来たんだ?」
「ジャンダ村の方から来ました」
「歩きか?」
「いえ、ヒッポリアに引き車をつけて、それに乗って来ました」
「じゃあ商人か」
ヒッポリアに荷車を引かせていると言う事で商人だと思ったようだ。
「いえ、ハンターです。といってもまだまだ駆け出しなんですけどね」
「ハンターがヒッポリアに荷車を引かせてんのか? 珍しいな」
「そうなんですか? 俺、あんまり歩き慣れてないんでヒッポリアで移動する事にしたんですよ」
「ハンターっていうのは歩き慣れていると思ったんだがな。兄ちゃんは駆け出しだからまだ鍛えられてないって訳か。けど金がねえとヒッポリアなんか買えねえぞ」
たわわな顎鬚を触りながら、俺がどうやってヒッポリアを買う金を工面したのか考えているようだ。
関係ないじゃん、と思いはしたものの料理が来るまでの暇つぶしだ。
「そうですね。俺自身は金持ってないですよ。ただ運良くお婆が残してくれたものをギルドが買い取ってくれたので、その金全部つぎ込んで買ったんです」
「おお、そりゃ悪い事聞いたな。って痛えぞ、ヴィラ」
「あんたが余計な事聞くからよ」
どうやらテーブルの下で奥さんに足を蹴られたらしい男は顔を顰めるものの、すぐに気を取り直して声をかけてくる。
「それでどこに行くんだい?」
「とりあえず大都市アリアナに向かおうと思っています。まぁ、もしかしたら途中で気が変わって違う方角に行くかもしれませんけどね」
「おお、そりゃあ旅人の特権だ。無理に最初の計画通りに移動する事なんかねえからな。風の吹くまま気の向くままに旅をすりゃいいのさ」
うんうんと頷いてから、目の前の銅製と思しきカップを手にグイッと中身を一口飲んだ。
「みなさんはこの村に住んでいるんですか?」
「おう。俺はこの村の鍛治師なんだよ。といっても俺しか居らんから武器から農機具、台所道具までなんでも作るがな」
「なんでも作れるんですか、すごいですねぇ」
「お、おお。こんな小さな村じゃあ仕事なんか選べねえからなぁ」
「いえいえ、お客さんの期待に応えてなんでも作れる、って本当に凄いですよ」
俺がニコニコと褒めると、彼は一瞬鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたが、嬉しそうに目の前に座る女性にどうだ、と言わんばかりの視線を送る。
どうやら俺から褒められるとは思っていなかったようだ。
でも本当に凄いと思ったんだけどな。
「でしょ、だからあたしがいつも言ってるじゃないか。全く、あたしの言葉は信じないくせに、知らない人の言葉は素直に受け入れるんだから」
困ったおっさんだよ、と頭を振っている女性は、俺を見てニパッと笑った。
「あんた、いい人だね。あたしはヴィラ、この人はあたしのダンナでグラ、この二人はあたしたちの子供でモランとゴラン。よろしくね」
「俺はコータと言います。こちらこそよろしくお願いします」
子供は男の子の方がゴランで、女の子の方がモランというようだ。
モランはちょっと恥ずかしそうに頭を下げてきて、ゴランはよっと手をあげて挨拶をしてきたところをヴィラさんに態度が悪いと言って頭を叩かれている。
「ゴラン、挨拶くらいはきちんとするんだよ。挨拶もできないドワーフだなんて陰口を叩かれたくないだろう?」
「え〜、ちょっとやってみたかったんだよ。だってこの挨拶流行ってんだぜ」
「だったら子供同士でやってな。よく知らない他人にそんな挨拶したら、挨拶もできない、だからドワーフはって言われるだろ」
あっ、やっぱりドワーフなんだ。
すっごい、俺、今ドワーフと遭遇中だよ。
「グラさんはドワーフなんですね。だから鍛治が得意なんですか?」
「お? おお、そうだな。ドワーフは火を扱う事に長けておるからな。鍛治は得意な者が多い」
「うちのグラはスキルが火魔法だから、余計に扱いが上手いんだよ」
「凄いですねぇ」
「べ、別にそんなに凄かねえぞ。ドワーフなんだから当たり前だ」
どうやらグラサンはツンデレさんのようだ。
とはいえ、だ。中年男のドワーフのツンデレは見ていて痛々しいのは気のせいだろう、うん。
「お待たせしました」
グラさんたちと話していると、グレンダさんが俺の夕飯を持ってきてくれた。
でっかい肉の切り身みたいなものがでんっと載っている皿の右側には、茹でたジャガイモっぽいのと菜っ葉ぽいのが肉の横に副菜として置かれていて、左側にはパンをスライスしたものが2枚添えられている。
「こちらが鳥肉ソテーの日替わり定食です」
「ありがとうございます」
「聞かなかったんだけど、お酒かジュースでも飲みますか?」
「いいえ、お水でいいです」
「お茶は?」
「お茶ですか? じゃあ食後に持ってきてもらえますか?」
「はい、判りました」
グレンダさんが立ち去るよりも早く、俺は待ちきれなくてテーブルの上の料理の匂いを吸い込んだ。
香草か何かを使っているんだろうな、すっごくいい匂いがする。
俺は定食の乗った皿の上にあるナイフとフォークもどき(刺す部分が2本しかない)を使って一口大に切ると、そのまま口に放り込んだ。
フワッと香草の風味が口の中に広がって、一口噛み締めるとじゅっと肉汁が出てくる。
熱くてはふはふっと口で息をして冷ましながらも、味を堪能する事は止められない。
「美味いっ。熱いけど、美味いっ」
口に頬張ったままでは行儀が悪いと判っているが、俺は飲み込みながらもナイフとフォークもどきを使って次の一切れを切り分ける。
今まで自分で作った飯以外はボン爺の男飯(?)しか食べた事がなかったが、この世界の食事って美味いんじゃん。
ジャンダ村で外食しなかった事を少しだけ後悔したが今更だ。
それはこれから旅先でいろいろ試してみればいいわけだしな。
まるでガツガツと飢えているように、すっかり隣の席のドワーフ一家の事など忘れ去り、ただただ目の前の食事に集中していた。
そしてようやくさっきまでドワーフさんたちと話をしている途中だった、と思い出したのは皿の上の料理がすっかり失くなってからだった。
俺ははっと我に返り隣の席に視線を向けると、そこには既に誰も座っていない。
「うっわ・・・最悪だぁ」
俺、超失礼なヤツじゃん。
せっかく向こうから声をかけてきてくれてたのに・・・
もしかしたら入り口のあたりにいるかも、と思って振り返ってみたが当然そこには誰もいない。
「ま、まぁ旅の恥は掻き捨てって言うしな、うん」
そう自分に言い聞かせてみたものの、それでも自己嫌悪な気分は消えない。
「食後のお茶ですよ」
「えっ? あ、ありがとうございます」
ちょっとショックでぼーっとしていると、グレンダさんがお茶を持ってきてくれた。
俺は礼を言ってから湯気が上がっている木のカップを手に取ると、そのままふんふんと匂ってみる。
う〜ん、なんだろう、この匂い。
花の香りのように少しだけ甘い香りがする。
試しに1口飲んでみると、ほんのりと甘い気がする。
そういえば砂糖は提供されなかった。
砂糖はないんだろうか? それともよくあるラノベの話のように高級品だから手に入らない、とか?
「なあ、スミレ。砂糖ってこの世界にはないのかな?」
俺はこそこそと小さな声でテーブルの端に座っていたスミレに話しかける。
『さぁどうでしょう? ちょっと調べるので、コータ様は少し通路側に移動してください』
彼女は立ち上がると、そのままふわっと飛んでから俺と壁側の椅子に降りる。
それから俺の陰でこそこそとスクリーンを展開した。
とはいえいつものサイズではなく、俺と半分こした時の大きさのものだ。
これなら他の人の目に留まらないだろう。
『そうですね、どちらかというと高級品です。この辺りでは塩は岩塩が取れるようでそれほど高価ではないんですが、砂糖は塩の5倍ほどの値段です』
「それじゃあお茶に砂糖はくれないわけだな」
『もしくは元々砂糖を入れる習慣がない、というところでしょうね』
ああそっか、日本人が緑茶に砂糖を入れないのと同じ、って事か。
「でもまぁ、ほんのりと甘いからこれで十分だよ」
木のカップのせいでお茶の色はよく判らないが、なんとなくだが赤っぽい気がする。
紅茶っぽいっていうのかな?
だけどほんのりと甘い花の香りがして、味もほんのりと甘い。
久しぶりに飲む水以外の飲み物だ。
「そういやスミレって、お茶っ葉は作れないのか?」
『お茶の葉っぱですか? どうでしょうか、検索してみます・・・検索完了しました。緑茶も紅茶もどちらも作れますね』
「んじゃ、次に野営をする時に作ってみるか」
『そうですね。その時に周囲から木の葉を集めましょう。魔力だけで作りますと1種類しかできませんが、木の葉を集めれば数種類のお茶の葉を作る事が可能です』
そっか、野営の楽しみが増えたな。
今までお茶っ葉なんて手に入らないもの、と思い込んでたから作ろうなんて思わなかったよ。
そのうちコーヒーも飲めるようになるんだろうか?
あれってコーヒー豆を粉にしなくちゃいけないから、道具が作れるかどうかがネックになるだろうなぁ。
でもレベルアップすればできるようになる気がする。
なんだか変わった味のお茶だったけど、それでもこの世界に来て初めてのお茶は美味しかった。
読んでくださって、ありがとうございました。




