34.
ヒッポリアっていうのは意外と足が早かった。
てっきりカバみたいにのんびりのんびり歩くものだとばかり思っていた。
だけど、だ。考えてみればカバみたいなのは顔だけで、体の方は太った馬って感じだから移動にはなんの問題もないという事だ。
それに馬ほどの機動性はないが実際に行商人が荷車を引かせているらしいから、人が歩くよりトロすぎる訳もないんだろう。
俺はヒッポリアの手綱を握りしめて道なりに歩くまま任せている。
ヒッポリアと引き車を受け取りに行った時、その馬でヴァンスさんに引き車の運転(?)の仕方を教えてもらった。
一番大事なのは手綱の扱い、だとかでとにかく庭先を右回りや左回りにウロウロさせられた。
でもまぁおかげでこうやって御者ができているんだから文句は言えないな。
それから練習を兼ねてボン爺の家までまっすぐ移動する。
『少し荷物を魔法ポーチから出して、引き車に入れるんですか?』
「ん〜、とりあえずボン爺のところに行って、そこにある荷物を入れてから考えるよ。でも布団と枕は車に積んでおきたいかな」
野営の時は引き車の中で寝る、って事にすればわざわざ毎回テントを出さなくても済むもんな。
テントは別に畳まないままでポーチにしまえるんだけどさ、それでも飛んでいかないように杭打ちをしなくちゃいけないし、湿っていたらポーチにしまう前に乾かさないといけないから面倒なんだよ。
たった1週間だけだったけど、できれば面倒な事はしない方向で行動したいのだ。
「そうだ、村を出て最初の休憩所についてからでいいからさ、クッションを作れないかな?」
『クッション、ですか?』
「うん。御者台って板張りなんだよ、ケツが痛い」
肩に乗っていたスミレが俺の顔を見てからぷっと吹き出した。
「笑うなよ。マジなんだからさ。俺がクッションなんか持ってないのはボン爺も知ってるから、とりあえず荷物を載せる時にタオル代わりの布をリュックから出すからそれをクッション代わりに使うよ」
『判りました。では村を出て人目がなくなったらサーチしますね』
「うん、よろしく」
ヴァンスさんがどうやったのか判らないけど、この引き車はあんまり揺れないんだ。でも御者台は板張りのベンチだから硬くって、小石とかを踏んだ時のほんの少しの振動も響くんだよ。
「あれ、ボン爺?」
ボン爺の家の前にやってくると、彼が入り口のところに椅子を引っ張り出して座っているのが見えた。
俺が御者台から降りると、ボン爺は椅子から立ち上がってこっちにやってきた。
「おう、戻って来たか。なんじゃ、変わった荷車じゃのう」
「うん、幌をつけてもらおうかとも思ったんだけどさ、馬車っぽい方が雨風を凌げるだろ?」
「馬車にしては小さいのう」
「そりゃそうだよ。あんまり大きくしたら、ヒッポリアの負担になるだろ? 俺は楽して移動したいけど、ヒッポリアに無理をさせたい訳じゃないんだからさ」
1日くらいなら20キロ歩く事はできると思うんだ。
でもさ、さすがにそれが1週間とか10日になると無理だよ。高校の時ならなんとかなったけど、社会人になって3年にもなると運動不足で体が鈍ってるもんな。
だからそんな俺の足代わりをしてくれるヒッポリアには無理はさせたくない。だってさ、無理させて死んだりしたら困るのは自分だからさ。
「で、そのヒッポリアの名前はなんじゃ?」
「名前?」
「なんじゃ、付けとらんのか。いくら家畜じゃとしてもこれから一緒に旅をするんじゃろうが。名前くらいつけてやれ」
なるほど。確かに毎回ヒッポリアと呼ぶよりは名前があった方が便利そうだ。
旅の間に他のヒッポリアの持ち主と移動する事もあるかもしれないし同じ宿に泊まるかもしれない。
そうなった時にヒッポリアだと誰のヒッポリアか判らなくなるからな。
でも俺、名付けのセンス、ないんだよなぁ。
「なんかいい名前、ないですか?」
「はぁ? コータ、わしに名前を付けさすんか? お前のヒッポリアじゃろうが。自分で考えろ」
その通りです。でもさ、思いつかないんだよ。
俺は困って引き車に繋いでいるヒッポリアを振り返る。
うん、可愛いクリーム色だ。最初はグリーンのヒッポリアがいいなぁって思ってたけど、焦げ茶の引き車にはクリーム色がよく似合う。
「黄色だから・・・玉子? 黄身、とか? そういやこいつ、オスかメスか聞くの忘れてた」
「コータは・・・しょうがないヤツじゃのう。どれどれ・・・こいつはメスじゃな」
呆れたように大きな溜め息を吐いてから、ボン爺はヒッポリアに近づいたかと思うとぐいっと唇を持ち上げてなにやら口の中を見てから、きっぱりとメスだと断言した。
「そんなとこ見て判んのか?」
「当たり前じゃ、ヒッポリアはこうやって歯をみればオスがメスか判る」
いや、俺思わずヒッポリアの股間を見ようとして屈みかけてたんだけどさ。
「犬や馬ならそうやってそこを見れば判るけどな、ヒッポリアは普段は外に出とらんのじゃ。じゃからこうやって歯を調べるんじゃよ」
あ〜、確か子猫もでてないからぱっと見で判らなかったような・・・
でも成獣で出てないっていうのはどうなんだろう?
「どうやって調べるんだ?」
「おうよ、ちょっとこっち来い」
偉そうに顎をしゃくって俺を呼びつけられるのは面白くないが、知ってて損はないだろう。
って事で、素直にボン爺の隣に行く。
「ほれ、これを見ろ。メスはこの奥の歯が3列あるんじゃ。じゃがオスはこれが2列しかねえ。生まれたてのヒッポリアだと判らんけどな。歯が生え揃い始めたら雌雄が判るようになっとる」
ボン爺が指差したのは臼歯ってヤツだった。それを1本2本と数えずに列というのか。
なるほど、これが3本あればメスで2本しかなかったらオスって事か。
「簡単だな」
「おうよ。じゃけえ売り主もわざわざオスかメスかを言わんかったんじゃねえのか? 普通みんな知っとるからの」
「うっ・・・常識なのか?」
「まあな、ヒッポリアが身近におるわしらにゃあ当たり前の事じゃ。じゃがコータはローデンから来たんじゃったな。あそこにはヒッポリアはおらんかったじゃろうから仕方ねえのう」
俺はまたこの世界の常識の1つを知った、って事か。
でももしかしたらジャンダ村限定かもしれないけどさ。
だって大都市とかに行けばヒッポリアを見た事がない人間だっているだろうからさ。
心の中で負け惜しみの言い訳を自分に言って聞かせる。
そんな俺の心情はきっとボン爺にはバレバレなんだろう。なんせ凄く人の悪そうな笑みを浮かべてニヤニヤしているからなぁ。
「で、名前はどうするんじゃ?」
「あっ、う〜ん・・そうだなぁ」
「家畜じゃから言うてミョウチクリンな名前は付けるなよ、可哀そうじゃからな」
「判ってるよ。そんな変な名前、俺だって呼びたくないからな」
つまり、タマゴやキミという名前はよせ、と言う事なんだろう。
なんだよ、ちょっとシャレで言ってみただけなのにさ。
そこまで言われるとなんとか頭を振り絞っていい名前を思いつくしかない。
けどさ、そう簡単に思いつけるわけないじゃん。できるんだったらとっくに考えてるって。
そんな事を考えながら俺はじっとクリーム色のヒッポリアの顔を見る。
相変わらずのカバ顔はひょうきんだが、買ったからか可愛く見えてくるから不思議だよな。
そういやメスって言ってたから、黄色から連想する花、なんかはどうだろうか?
「ヒマワリ・・・チューリップ・・・バラ、って事はローズ・・・う〜ん、そんな顔じゃないよな」
ブツブツ言いながらも名前を考える。
「月見草・・・タンポポ・・・パンジー・・・そういやパンジーってアフリカンバイオレットって言うんだったかなぁ? カバもアフリカだから、パンジーにするか。スミレとアフリカのスミレだな、うん」
「コータ、おめえ何ブツブツ言ってんだ?」
「だからさ、言われた通り名前を考えてたんだって。ボン爺、こいつの名前、パンジーなんてどう思う?」
「ぱんじぃ? なんだそりゃ?」
「いやさ、花の名前なんだけど、黄色い花なんだよ」
紫とか他の色もあるんだけどさ。
「ほぉ・・よう判らんがメスだからな、花の名前ならいいんじゃねえのか。コータにしちゃ気の利いた名前だな」
「俺にしちゃっていうのはちょっと失礼だと思うぞ? でもまぁボン爺から駄目出しが出なかったって事で、お前の名前はパンジーな」
俺はヒッポリア、改めパンジーの頭をそっと撫でてやる。
「んじゃ、荷物を積むか」
「おう。俺が引き車を見ててやるから、安心して中から荷物を持ってこい」
「なんだよそれ。つまり手伝いは無し、か?」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。年寄りに重労働を期待すんな」
「はいはい」
普段は年寄り扱いするなって怒るくせにこういう時だけ自分の事を年寄りというボン爺に軽く肩をすくめてから、俺は家の中に入って入り口付近に用意していた荷物を引き車に積んでいく。
とはいえ、それほどの荷物はない。
元々ここに来た時俺が持っていた物といえば背中に背負っていたリュックサックくらいなもんだった。
今はそれに旅の間の食料品が入った箱と、雑貨屋で買った旅に必要だと言われて勧められたごつい毛布、それからパンジー用の餌の入った箱と予備のロープなどを積み込む。
箱の数は3つだけだったから、あっという間に積み込み作業は終わってしまった。
俺は御者台の蓋を開けて中に入っているパンジー用の餌の干し草と手入れ道具を確認する。
「そんなところも入れもんになっとんのか?」
「ああ、わざわざ中に取りに入るのがめんどくさいからさ、ここにパンジー用の手入れ道具一式と干し草なんかを入れられるようにしてもらったんだ」
ヒッポリアは基本その辺に生えている草でいいのだが、休憩所の中には草はあまり生えていないし、旅となると何日も距離を歩かせる事になるから、雑草よりも栄養価のある種や木の実、それに干した果物が混ざった餌を用意してやるのだそうだ。
その餌は雑貨屋で箱1つ分購入してある。干し草はヴァンスさんが引き車を取りに行った時におまけして詰めてくれたから、次の町か村に行くまでは大丈夫だと思う。
俺は引き車の後ろのドアを閉めかけて、中に入ってごつい毛布を取り出した。
「まだそんなに寒くないじゃろうが」
「うん、これは御者台の上に敷こうと思ってさ。ケツが痛いんだよ」
後でスミレにもっといいクッションを作ってもらうつもりだけど、それまではこの毛布をクッション代わりにしよう。
「なんじゃお前は。軟弱じゃのう」
「いいんだよ。少しでも快適に旅をしたいからね」
「まぁ初めての旅じゃ。無理はせんようにの」
「無理したくてもできないって。そんな元気、初日で使い果たしちゃうよ」
「そんなもん、自慢にもならんわ」
呆れたように頭を振るボン爺。
だけどこんな旅なんか初めての俺の本音だよ。
旅といえば飛行機か新幹線だった俺。まさか御者に座って旅するなんて想像した事もない。
しかもこんな硬い板張りの座席なんかとんでもない話だよ。
とはいえこれがこの世界の標準装備って言うんだったら、我慢するしかないんだろうなぁ。
でもそのうち絶対に座り心地のいいクッションに変えてみせるからな。
俺は毛布を御者台の大きさに畳んでから置くと、くるっと体を回してボン爺の方に向いた。
「んじゃ、そろそろ行くよ。できれば休憩所に泊まりたいからね」
「おう。初日じゃからな、早めに着くようにして余裕を持って泊まりの準備をした方がいいじゃろう」
「ん、俺もそう思うよ」
「気いつけてな。無理はするんじゃねえぞ」
目を細めて俺をじっと見るボン爺は、俺の肩をポンポンと叩いてから引き車から離れた。
俺は御者台に上がって座ると手綱を手に取る。
「またこっちに来る時は寄るよ」
「おうよ、当たり前じゃあ。コータこそウロウロしすぎてこの村やローデンの事を忘れんなよ」
最後までツンツンしているボン爺に軽く手を上げて、俺はパンジーの背中を手綱でパチンと叩いて歩かせる。
俺は引き車越しに後ろを振り返ってボン爺に手を振るとそのまま真っ直ぐ村の門を目指した。
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Edited 04/10/2017 @ 05:41 JT誤字訂正しました。ご指摘ありがとうございました。
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ヒッポリアを身近にわしらにゃあ当たり前 → ヒッポリアが身近におるわしらにゃあ当たり前




