260.
乗合馬車は石畳の道をガタガタと揺れながら門に向かって進んでいく。
「大丈夫か?」
「だいじょぶ、だよ?」
あんまり揺れるから隣に座るミリーに声をかけてみたけど、何を心配しているのか判らないといった顔で返された。
ま、大丈夫ならいいんだ、うん。
ジャックは? と思って反対側を見たら、こいつもキョロキョロと周りを見るのが忙しそうで、乗合馬車のガタガタ揺れは全く堪えてないようだ。
なんだよ、ケツが痛いのは俺だけかよ。
「パンジー、だいじょぶ、かな?」
「ん? 大丈夫だよ。昨日1日かけてミリーがみんなに世話の仕方教えたんだろ?」
「うん。でもね、ちょっと心配」
心配そうな顔で俺を見上げてくるミリーの頭をポンポンと叩く。
「引き車の使い方も教えたんだろ?」
「うん、ボタンの位置も教えた、よ?」
これはきっとセレスティナさんに教えたって事だろうな。
「餌の場所は?」
「ちゃんと教えた。量とか、オヤツとか、水も教えたよ」
「じゃあ大丈夫だろ? 一応餌は足りなくなったら近所のヒッポリアを飼っている牧場から買うって言ってたから、そっちも大丈夫だと思うよ?」
「う・・ん」
それでも心配なんだろう。
今までの移動の間、パンジーの世話はミリーが率先してやっていたからなぁ。
「パンジーの手綱とかのつけ方も教えたんだろ?」
「うん、一緒に練習したから、だいじょぶ」
「なら、移動とかで使えるな。たまにはパンジーも引き車を引きたいだろうからな」
「そ、だね。パンジー、引き車、大好きだから」
パンジーにとって引き車は大事な縄張りみたいなものだし、それを引いて歩く事に誇りを持っている。
ヒッポリアっていうのはそういう生き物らしいから、俺たちがいない間も週に1回くらいはパンジーに引き車を引かせて周辺を歩かせてくれると言っていた。
「パンジー、さみしくないか、な?」
「大丈夫だって。そのためにヒッポリア預け所じゃなくて、孤児院で預かってもらう事にしたんだろ?」
「うん・・でもね、心配」
「そうだな。でもミリーがみんなにパンジーの事を頼んできたんだから、きっとみんなでちゃんと面倒を見てくれるって」
どうしてもパンジーの事が心配のようだ。
でもこればっかりは仕方ない。
俺たちがこれから行くトラ族の村へは、パンジーを連れて行かないのが一番安全だろう、という話になったのだから。
どうしてそんな話になったのかというと、もしもの時に身軽に逃げられるため、だからだ。
セレスティナさんと話をして、一番心配だったのはパンジーの事だ。
俺たちを逃さないためにパンジーを殺して引き車を壊す何て言われるとさ、とてもじゃないけどパンジーの事が心配で連れて行けないよ。
って事で、俺たちはアリアナを徒歩で出る事にしたのだ。
「孤児院のみんな、パンジーの事大好きだから心配しなくてもいいよ。みんなが可愛がってくれるよ」
「うん、パンジー可愛い、もんね」
そうなんだよな、うちのパンジーはよそのヒッポリアに比べると毛並みもいいし、なんといってもつぶらな目で見られるとそれだけで骨抜きにされちまうよな、うんうん。
「門出たら、すぐか?」
「すぐじゃないよ。ちょっとは歩いて離れてからだ」
「ちぇ〜〜っっ」
期待に満ちた目を向けてきたジャックだけど、俺の返事を聞いてガッカリしている。
「あんまり人目につきたくない、そう話していたよな?」
「そうだけどさぁ・・・」
「おまえ、ミリーの安全のためだって、判ってるのか?」
俺の言葉にハッとしたように見上げてきた。
どうやらすっかり忘れていたらしい。
「おまえ、忘れてたな?」
「お、わ、忘れてないぞっ」
うん、その慌て方を見れば、すっかり忘れてたっていうのがバレバレだ。
「とにかく、まずは門を出る。それから門が見えなくなるまで歩く。そこまでは覚えているか?」
「お、おう」
「それから?」
「そ、それから、だな・・・その・・・」
「かいどうを外れて、周りに、人がいないところまで、行く。だよね?」
答えられないジャックに代わって、ミリーが答えてくれた。
「そうだな、すごいなミリー。ちゃんと覚えてるんだな」
「えへへ」
頭を撫でられて嬉しそうなミリーと悔しそうなジャック。
「おまえ、絶対に俺たちから離れるなよ?」
「あぁ? なんでだ?」
「なんでって、これっぽっちの事も覚えられなかったおまえが、逸れた時にどうするかの話を覚えているとは思えないから、だ」
「うぅぅぅぅっっ」
呆れたように言った俺に訴えるような目を向けてくるけど、こればっかりは本当の事だからな。
「唸っても駄目だ。それから、おまえがもし逸れても俺たちは探しに戻らないぞ? その時は孤児院に行け」
「えぇぇぇっっ」
「判ったな?」
今度こそ不満そうな顔をするが、こればかりは譲れない。
「置いていかれるのが嫌なら、絶対に逸れるな」
「・・・・わかったよ」
「今回は遊びじゃない。それだけは忘れるな」
「・・・うん」
尻尾も耳も垂れ下がって可哀そうだけど、トラ族に狙われているミリーの安全が第一だ。
その事はジャックにだって判ってる筈・・・だよな?
「その代わり、ここから離れたら新しい乗り物に乗れるんだぞ?」
鞭ばかりじゃあ、って事で飴をちらつかせるとすぐに食いついてきたジャック。
途端に尻尾も耳も元気に復活だ。
あまりの現金さに思わず溜め息が出そうになると同時に笑ってしまった。
「楽しみだね〜」
「おう、俺、屋根に乗りてーぞ」
「屋根は危ないから却下って言っただろ」
「ケチくせえなっ」
あっという間に辛気臭い空気は払拭され、いつもの雰囲気に戻る。
ま、猫頭って言うしな。
特にジャックは見るからに、だからその辺りはいかにも猫頭、なんだろう。
俺は思わず吹き出した。
「コータ?」
「悪い」
頭を傾げるミリーと、胡乱な目を向けてくるジャック。
「なに笑う?」
「いや、ジャックは猫頭だな、って思ってさ」
「ねこあたま? なに?」
「なんでもない」
ぷぷぷっっっ。
思わず吹き出した俺を不思議そうに見上げるミリーの頭をワッシャワッシャと撫でてごまかす。
やべっっ、なんでジャックが猫頭なのか説明したら、ミリーも同じだと思うかもしれないもんな。
ここは誤魔化すに限る。
『コータ様・・・・』
「いや、だってさ」
ジト目のスミレに咎められ、俺は両手で頬をパンっと叩いて顔の筋肉を引き締める。
『全く・・・2人には伝わりませんけどね、私はコータ様の記憶データ・バンクがあるんですからバレバレですよ』
「はい」
『まぁ、ザル頭、というよりはマシだったでしょうけどね』
はい、その通りです。
一応そばにいる2人を気遣って、スミレは俺にしか聞こえない声で話をしてくれた。
そう、猫頭って言うのは、ドイツ語で日本で言うところのザル頭の事なんだよな。
ジャックはそのまま猫頭だし、中身も言わずもがな、ってところだ。
でもミリーは違うからさ、ジャックと一緒にしたくないんだよ。
「あれ、でもそういう言葉はあるのか?」
『ありますよ。こっちでは、底なしバケツ野郎、と言います』
「それって・・・」
「垂れ流しで何にも頭に残らない、って言う意味ですね」
ブッッ
やべっ、変な音が鼻から漏れた。
「コータ?」
「な、なんでもない」
「そぉ? でも変な音、したよ?」
「気のせいだ」
変な音が漏れたせいか、鼻の奥が痛いぞ。
俺は心配そうに見上げるミリーから視線をジャックに移すと、ヤツは全く興味なさそうに通りを眺めている。
「門、見えた」
「ん? ああ、ホントだ」
ミリーが指差す方を見ると、少し遠くに聳えるような石壁と門が見えてきた。
石壁の高さは10メートルほどだけど、周囲の建物は5メートルほどのものが多いから、それに比べるとすごく高く見える。
「ちゃんとギルド・カードを用意しておけよ」
「わかった」
ポケットからカードを引っ張り出すミリーを横目に、俺もポケットからカードを取り出した。
入る時ほどチェックは入らないものの、出る時も一応身分証明を見せる事になっている。
いつもはパンジーと引き車が一緒だから馬車が並んでいる列に並ぶけど、今日は徒歩で移動する人たちの列に並ぶ事になる。
「スミレ?」
『今のところ引っかかりません』
「そっか」
スミレには探索をかけて、例のトラ族2人が近づいてきたらすぐに知らせるように言ってある。
そのスミレがないというのであれば大丈夫だろう。
ま、外に出てからの接触ならこっちが優位だ。
「コータ、着いた」
「よっし、降りようか」
ぴょんっと跳ねるように馬車から飛び降りるミリーとジャックに続いて降りる。
ミリーはすぐに俺の手を握ってきた。
うん、ちゃんと言う事を聞いているな。
「ジャック」
「わ、判ってるって」
すぐに走りかけたジャックは、渋々ながらも足を止め俺たちと並んで歩く。
さぁ、出発だ。




