数学的恋愛<恋愛方程式>
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加奈子にとって数学教師は天敵だった。
成績は芳しくなかったが、数学は嫌いでなかったし、数学が得意な子も別に嫌いではなかった。
現に親友の京子は数学がかなり得意だ。
そんな加奈子が数学教師を嫌いな理由はただ一つ、いけすかない年上の幼馴染みが数学教師だからだ。
「一年の終わりの数学の代行授業で奴がこの学校の教師だった事に気が付くなんて間抜けすぎる。我が人生の一生の不覚だわ!」
シャーペンを握りしめて叫ぶと面白そうに見ていた親友の京子が呟いた。
「公衆の面前もといクラスメイトの面前で『数学嫌いでも俺は好きだろ』って言われたのが一生もんの不覚ってこの間言ってなかったけ」
「ちょっと京子、こんな所でそんなにさらっと親友の恥をしゃべらないでよぉぉぉぉ」
周囲に誰も居ないのはわかっていたので加奈子は心ゆくまで叫んだ。
今日は二学期の期末テストの返却日だった。
テストの返却と解説だけで、直ぐに帰れるこの貴重な日に何時までもぐずぐず残っているのは、数学の特別課題を出された自分とそれに付き合っている京子ぐらいだった。
「高杉先生って加奈の事結構好きだよね」
「ま、さ、か」
友人の言葉を両腕を開き言葉を一言一言区切って否定した。
「京子だって見たでしょう数学のテストを返すときの奴の笑顔を!」
椅子から立ち上がり加奈子と向かい合う形に回り込むと机を両手でバンと叩いた。
「それはそれは麗しい顔で頬笑んでたね」
「あんた美意識おかしいんじゃないの!あ、れ、は、せせら笑うっていうのよ!あの自信過剰男が!人の答案用紙をちらっと見て何て言ったと思う!?」
鼻息荒く京子に迫ると親友はまさかねという感じでそのものズバリを言い当てた。
「間抜け」
「そうよそうなのよ!よりにもよって!それが必死こいて勉強した幼馴染みに言う言葉!?」
「うわ、まさか本当に言うとは、高杉先生やるねぇ」 何がやるねぇなんだ。
「あいつと幼馴染みをやってはや16年。トラウマになるほど何度間抜けと言われ続けたのよぉぉぉぉ。十年ばかし先に生まれたからってえらそうにぃぃぃぃ」
ふんまんやるかたないといった感じの私に京子は痛ましいものを見るような視線を寄越した。
「あの男がこの学校で数学教師をやっていると知っていたら絶対こんなお嬢様学校には入らなかったのに!!」
今にして思えば家から一番近いという理由で選んだのがいけなかったのだ。
めんどくさがりの奴が同じ理由で就職先をこの学校を選ぶ可能性は充分にあったのだ。
私の考えていることが伝わったのか京子が後悔先にたたずだねぇとしみじみと呟いた。
「私が数学苦手だって知っていながらこんな鬼のような課題出すなんて性格悪すぎ」
「まあ高杉先生は好きな子ほどいじめたくなるようなタイプだとは思うよ。だけどその課題は高杉先生の優しさだよ加奈。なが〜い冬休みを数学の補習で潰れないようにっていう救済措置なんだから大人しくやりなさい。手伝ってあげるから」
34点。後一点。されど赤点は赤点。
唸りながら再び課題を片付け始めると校内放送が流れた。そして親友の京子は見事に固まった。
ピンポンパンポン。
《二年B組桂木京子、校内にいたら直ぐに職員室まで来なさい》
それまで涼しげな顔をしていた京子だが今は心なしか青白い。
普段から英語教師を宇宙人と呼んではばからない彼女にとって英語教師による校内呼び出しは恐怖の大魔王に等しい。
京子は知らないがこの校内放送による呼び出しは、早くも七回目に及び一種の学園名物となっていた。
英語が極端に苦手な事を除けば成績優、秀品行方正、多芸多才の彼女は学園一の才女と名高い。あくまで極端に英語が苦手なことを除けばだが。
そんな京子が好きだったので、動こうとしない親友の肩を叩き優しく促してあげることにした。
「明日の朝のHR間中、恨めしげなどこか捨てられた子犬のように寂しげに見つめられたくなかったら行ってきなよ」
京子が小動物に弱いことを知っていた為、そこから的確に責める。
「うっ」
京子にとって最悪なことに担任は英語教師だった。 その上というか当然の事ながら二人の英語担当の受け持ちでもある。
幼馴染みの高杉真介と担任は旧友の関係だったため自分には多少ながら担当の惣流先生とは多少の面識があったが、京子には話していなかった。
「京子、英語のテスト返却の時いなくなってだしょう。先生心配してたよ」
だめ押しが効いたのか京子は大きなため息一つつくと教室を重い足取り出ていった。
「さてと」
気合いを入れ直すと私は唸り声をあげながら三度数学の課題に取り組んだ。
「珍しく頑張ってるな加奈子」
嫌でも聞き慣れた美声に顔をあげると扉にもたれるようにして幼馴染みの数学教師高杉真介が立っていた。
そんな何気無い仕草も絵になっていて憎たらしかった。
「珍しくは余計よ。それに教師が生徒を名前で呼ぶのはどうかと思うわよ」
「お前だけなんだ幼馴染みなんだし別に構わないだろ」
この女たらしがと内心毒づきながらも軽く赤くなってしまった顔を見られないように少しうつむきかげんになった。
課題を解いているふりをすれば、ばれないだろう。 「へぇ結構進んでるじゃん」
急に後ろから覗き込むようにして耳の近くで囁かれたので、心臓がドクンと強くなり、血が逆流するかのように身体中が熱くなった。
「すっすごいでしょう」
意識しないようにしても声がどうしても震えてしまう。
「どうせ桂木あたりに手伝ってもらったんだろう」
真介の耳に心地よい声が耳朶をくすぐり私の心臓は限界まで高まっていた。
「そっそうよ。京子の説明はあっあんたと違って、どこがどう分からないのか分かるまで考えて説明してくれるからとても分かりやすいのよ」
「ふ〜ん。まあお前と違って桂木は優秀だからな」
「悪かったわね」
「別にわるくわねえよ。色々と教えがいあるし」
ニヤリと意味深な笑みを向けられごまかしようがないほど顔が真っ赤になってしまう。耳まで真っ赤になっているかもしれない。
「このタラシが!」
ふりむきざま拳を振り上げるがヒョイッと片手であっさり捕まれてしまう。
その上あろうことか奴の口元に運ばれ少しザラリとした舌でひとなめされた。 「っつ…」
ゾクリとした感覚に変な声が出てしまった。
いい声だとでも言うように真介の目が妖艶に笑った。
「真介…」
慣れない感覚につい小さかった頃のように名前で呼んでしまう。
真介は私の震える声に目を細めると一度チュッと音を立てて私の手のひらを吸うとあっさりと解放した。 私は声を出さないように震えるので精一杯だった。 「気をつけて帰れよ加奈子」
ヒラヒラと手を振り颯爽と去る真介を涙目で睨み付けると絶対に好きになるもんかと舌を出した。
私はずっとこんな幼馴染み以上恋人未満の腐れ縁な関係が続くと思っていた。 けれど運命の決定打は珍しくもないそこら辺の道にゴロゴロと転がっているものだった。
聖桜ヶ丘学園。慎ましやか、おしとやか箱入り娘と三拍子揃った今や天然記念物並みに珍しい名門のお嬢様方が通う淑女の園。
自分や親友の京子、そして一部の例外を除けば聖桜ヶ丘学園に通うお嬢様方は常に控えめで大人しい。
よってその辺の道端にゴロゴロと転がっているものでも聖桜ヶ丘学園にはまず転がっていないだろう運命の決定打に私は見事に打ちのめされた。
見るまいとしたのに一瞬だったはずなのにその光景が焼き付いて頭から離れない。
一人の女生徒の顔と教師の顔が重なった。
男は驚いた顔をしていた。だけど唇は重なったまま。
自分の心臓がやけにドクンドクンと鳴りうるさい。 目を反らしたいのに反らせない。
何故かとても胸が締め付けられて痛い。
息がうまく出来なくて苦しくなる。
自分の内側から激しく込み上げてくる感情を止めることが出来ず叫び声をあげそうになる。
男―真介が女生徒の両肩に手を置き―…。
縫い止められてしまったように動かない足を身体中の力を総動員して無理矢理引き剥がすと、全速力でその場を離れた。
思い出すな何も考えるな頭が指令を出せば出すほど先程の光景が鮮明に蘇る。 嗚咽が漏れそうな唇をきつく噛み締め、家までただひたすら走り続けた。
ベッドにドサリと身を投げ出し突っ伏すと枕の両端を引きちぎりそうな力で掴み声を押し殺して存分に泣いた。
女好きの幼馴染みの事だからキスの一つや二つ軽いものなのだろう。
そう思っていても実際にキスシーンを目撃するのは自分で思っていたよりもかなりショックだった。
今はその理由を考えたくなくて私は涙の滲む目を閉じた。
「おはよう」
家を出た途端どこかぶっきらぼうな真介の声を掛けられ肩が跳ね上がり一気に心拍数が増した。
一晩中泣いて赤く腫れぼったくなった眼のせいだけではなく、一瞬にして脳内に蘇ったキスシーンのせいで顔を合わせることが出来なかった。
自分でも滑稽な位顔が強張っているのが分かる。
幼馴染みのキスシーンくらいなんだと言うのだと自分に言い聞かせるが効果はない。
このときばかりは家が隣同士な事を本気で恨んだ。 「加奈子?」
真介が怪訝そうな顔をして私の顔を覗き込もうと身を伸ばしてきたので咄嗟に思いっきり顔を反らし全速力で駆け出した。
「おい!?」
真介が驚いたような声をあげたが私は一度も振り帰らなかった。
―追いかけてもくれないんだ。
たったそれだけのことが胸に突き刺さった。
朝早い誰もいない教室で一人沈んで居ると聞き慣れた声が掛けられた。
「そんな風に重い空気漂わせてうじうじするなんてらしくないよ加奈」
「だってわけわかんない。自分の気持ちもあいつの態度も」
「なら加奈にも解ける方程式を教えてあげる」
数学が苦手な自分に解ける方程式など合っただろうかと首をかしげていると京子がとても優しい眼差しで見つめてきた。
「一、何故そんな状態になったのか。二、それが他の男だった場合どうなのか」
唐突な質問に驚きながらも答えを考えてみる。
「一、真介と女生徒のキスシーンを見たから二、他の男だったらあーあやっちゃったと思いながらも出歯亀根性でしっかり見る」
すると何か自分は真介がキスをしていたからショックを受けたのか。
つまりどういうことだ。
「加奈あんたそれ出歯亀の意味間違ってる」
という友人の突っ込みが入るがそれどころではなかった。
方程式みたいに考えると一、真介が原因らしい+二、他の男だったらど問題ない、というかうでもいい=私は真介が好き!?
答えに辿り着くと私の顔は日を吹くんじゃないかという位真っ赤になった。
すると見透かしたかのように京子が言った。
「それじゃあいってらっしゃい」
「どっどこへ?」
動揺のあまり声が上ずってしまう。
「高杉先生のところへ、告白をしに。行くでしょう」
「こっ告白なんて無理、幼馴染みとしか思ってないよあいつの場合!」
力一杯否定すると京子はからかうような表情を浮かべた。
「加奈には弱きも後ろ向きも似合わないよ。玉砕覚悟で迫りな。キスシーンだけで動揺している奴がそれ以上なんて許せるわけないじゃん。高杉先生と誰かのラブシーンを見たくないなら加奈が彼女になるしかないでしょ」
暗に真介は女たらしと言っている気もするがこれが親友独特の励ましだと伝わったので、素直に頷くことにした。
「うんありがとう京子」
覚悟は決まった。後は告白して奴の気持ちを確かめるだけだ。
先程全力で走ってきた道を家に向かって逆戻りしようと足を踏み出した瞬間声が掛けられた。
「どこにいくんだ」
高杉真介が校門にもたれ掛かりタバコをふかしていた。
「不良教師」
「あぁ?」
「タバコ体に悪いわよ」
「心配してくれんの?」
ニヤリと笑いかけられ心拍数が急激に上がった。
「べっ別に私はただ…」
「ただ?」
思いの外優しい声に促され体が燃えるように熱くなる。
「ただ…」
それきり言葉の続かなくなった私に真介は優しく語りかけた。
「昔まだガキの頃告白した子がいてさ、それまで女に振られたことのなかった俺がものの見事に断られてもう駄目。そいつの事以外考えられなくなったこの俺が」
「へぇ女たらしが珍しい」
声が震えないようにするのが精一杯だった。
ふと真介が此方が赤面するほど蕩けるような笑みを浮かべた。
私は優しい眼差しに目が反らせなくなった。
「そいつとは腐れ縁でさ、幼馴染みでずっと家が隣同士なんだよな」
「へっ?」
我ながら間抜けな声が出た。
「まだ分からないのか加奈子」
耳元で低い美声を流し込まれて背筋が震えた。
真介が首筋に口付け囁く。
「俺の事好きだろ?」
認めるのは癪だが好きだと言おうとすると呼吸ごと唇を奪われた。
「つっ…」
音を立てて唇を解放されると頭がぼうとした。
そんな私の様子を見て真介は楽しそうに笑った。
「ファーストキスは檸檬の味」
「ばっ馬鹿」
こうして腐れ縁で幼馴染みな私と真介の恋愛は始まった。
数学が苦手な私が解けた方程式は恋愛の方程式だった。
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