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5.ネカフェの妖精

 ケーニッヒの言われるままに到着した鉄板焼き屋は高級店らしく、客の目の前で店主が分厚い肉を焼いてくれる形式だった。

 たまに熱された肉汁が飛んでくる以外は、満足のいく店だった。


 僕は満腹になった腹をさすり、運転席に乗り込む。


「次はどうしましょうか」

「おう。そろそろお前の寝床を用意せなならんな」


 おお、僕のことを考えてくれている。ケーニッヒが店で酒を飲み始めてから漠然とした不安に駆られたが、杞憂だったようだ。

 路地裏で目が覚めた時点で夜だったが、車内の時計を見るに深夜1時を回っていた。随分と夜更かししている。


 僕はケーニッヒの言う通りに道を進み、ほどなくして小汚い雑居ビルの前に車を停めた。

 ビルの看板を見ると、いくつかの店舗が入っていることが分かる。

 ケーニッヒについて階段を登り、3Fにあるインターネットカフェに入った。


 ……ここが、寝床か。


 鏡を見ていないが、自分の表情が神妙なものになっているのが分かる。


「ジネッタ呼んでくれや」


 おもむろにカウンターに声をかけるケーニッヒ。店員は(いかめ)しい外見のケーニッヒに慣れているかのように、店の奥に声を掛けた。


「ジネッタさん。ケーニッヒさんがお越しです」

「……はーい」


 気の抜けた女性の返事の後、ややあってから店の奥から気だるそうな空気を纏った女性が出てきた。

 身長はドワーフより低く1メートルほどしかない。背中にアゲハチョウのような色合いの羽根を生やしている。羽ばたいている様子はないが、両足は宙に浮いていた。

 妖精族(フェイ)という魔法に長けた種族で、人里には少ない、と僕の脳内百科事典が教えてくれる。上下ジャージでなければ神秘的だったかもしれない。


「ようジネッタ。相変わらず眠そうな顔やな」

「眠そう、じゃなくて眠いんです。いま何時だと思ってるんですか」

「まだまだ宵の口やないけ。細かいこと言っとらんと、コイツにブースをひとつ貸してやってくれんか」

「うー?」


 ジネッタの寝ぼけ眼がこちらに向いた。ボサボサの髪を()いて綺麗な服を着れば美人だろうに。

 僕は残念な気持ちで一杯になりながら、頭を下げた。


豊田(とよだ)ユウです。お世話になります」

「待って。まだ世話するとは言ってない」


 ヤクザの世界では言質を取られたら負けなのだろう。ケーニッヒが連れてきた僕にありありと警戒を露わにして、ジネッタは待ったをかけた。

 そしてジロジロと僕のことを舐めるように見た後、ぽつりと言った。


「露出狂か……」

「違います!!」


 慌てて否定した僕に怪訝な表情を浮かべ、ジネッタはまた僕の服装を見る。


「露出狂じゃないなら、なに?」

「…………」


 返答に詰まる。なんと答えればいいのだろうか。

 困っていた僕に、ケーニッヒがニタニタ笑いながらジネッタに言った。


「こいつ無一文のうえに見ての通りの格好や。お前んとこで寝泊まりさせたってや」

「ああ、ただの文無しなのか」


 間違ってないです。はい。

 納得いったのかジネッタは警戒を解いて僕に向き直った。


「名前なんだっけ」

「豊田ユウです」

「トヨダ・ユウ。……登録証もってる?」

「登録証?」


 この店の会員カードか何かだろうか。持っているわけないじゃないか。

 怪訝に思っていると、ジネッタが「あちゃー」と顔に手を当てた。ケーニッヒも失笑している。


「市民登録証。無いの?」

「市民……登録証?」


 その言葉から連想できるものに背筋が冷たくなった。

 国籍。パスポート。不法入国。不法滞在。


 マズい。市民登録証ってきっと戸籍みたいなものだよな。僕の戸籍がこの国にあるわけがない。

 不法滞在者はどのくらいの罰則があるのか。プリインストールされた知識を検索する。


 ……ない。六法全書はインストールされてない。


 歴史書がないなら法律書もない。僕の知識は随分と抜けがあるじゃないか。

 僕を用意した研究者に、八つ当たりに似た怒りを覚えた。これは早いところ、自分の機能を把握しなければならない。

 土壇場で足りない知識がありました、では済まないのだ。テロリストに追われていて、生命の危機がそこかしこに転がっている現状では。


「ま、いっか。早めに用意した方がいいよ」

「せやな。わしの方で用意しといたるわ」


 ジネッタとケーニッヒは軽く肩をすくめてみせた。

 用意できてしまうものらしい。さすがアウトロー。法律の外側に生きているだけのことはある。よく知らないけど。

 僕はジネッタの差し出したボードに名前を書き、住所など空欄が多いまま会員カードを作ってもらった。


「これで大丈夫。ケーニッヒさんはもう帰る?」

「おう。また明日来るわ。……ユウも、仕事の話はまた明日やな」

「あ、はい。ありがとうございました」


 僕は割りと心から頭を下げ、ケーニッヒを見送る。市民登録証を用意できるツテは、いまのところ他にアテがない。ネカフェの会員登録もケーニッヒさんのコネがなければできなかったのだから、既にかなり世話になっている。


「じゃ、ついて来て」


 ケーニッヒが自動ドアの向こうに消えると、ジネッタはさっさと進み出した。足を動かさないでも浮いて移動している。便利そうだ。


 店内は薄暗く、そこかしこからカタカタとキーボードを叩く音が聞こえる。ドリンクバーがあるのを目に止めると、「利用者はタダ」とジネッタが教えてくれた。ありがたい。

 僕は店の奥まったところにある狭いブースに案内された。

 広さは畳一畳半といったところか。壁一面がディスプレイになっており、その手前にひとり掛けのソファがある。ソファの傍らに畳まれた毛布があるから、ここで寝ろ、ということだろう。


「トイレはあっちだから。じゃね」

「ありがとうございました」


 ジネッタは案内を済ませると、さっさと立ち去ってしまった。

 僕はブースに入り、後ろ手で扉を閉める。全身がダルい。というか眠い。


 ……今日はいろいろあったからな。


 毛布を取り、匂いを嗅いで清潔であることを確認する。ソファに深く座り肩まで毛布を被ると同時に、睡魔に襲われた。


 ……いろいろ考えなきゃならないことがあるけど。もういいや。寝よう。


 こうして異世界の一日目が終わった。

「ネカフェで寝る」は「馬小屋で寝る」より健康で文化的です。

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