36.二泊目の夜
ロイヤルスイートに戻ると、まず端末の設定を自分好みにしたいというジネッタを放置して、僕は五十鈴を呼び出した。
『お疲れ様でした、ご主人様』
リビングのテーブルに現れた五十鈴は、まず僕を労い微笑みかけてくれる。この辺の精神的なケアも彼女の役割なのだ。メイドの格好して僕の目を楽しませてくれるのも、ストレス軽減策のひとつなのかもしれない。なるほど効果的である。
「五十鈴、周囲を警戒するための感知能力と相手を殺さずに無力化する手段が欲しいんだけど、リソースはどのくらい余裕がある?」
無警戒でフェルに近づかれたことと、攻撃手段がいくらなんでも殺傷能力を重視しすぎていることを反省し、新しいスペックを模索しなければならなくなっていた。だが交渉の準備のために新しいスペックを用意したせいで、リソースには余裕がなかったはずだ。
『リソースに余裕があるとは言えません。現在、10%ほどが浮いている状態です。新しいスペックを追加しますと、5%か、ものによれば10%すべて使用してしまうかもしれません』
空きリソースは〈無限の縫製〉の処理に割いたり、僕の命が危険にさらされた状況で五十鈴がスペックを提案する余地を残すために必要だ。
「厳しいな……うん?」
僕はスペックの一覧を見ながら、なんとか節約できる部分がないかと探した。すると似たような効果でしかも容量を多く使っていそうなスペックに目がとまる。〈自己犠牲〉と〈身代わり羊〉だ。
〈自己犠牲〉:接触している他者の物理的な損傷を代わりに受ける。指定した対象以外には効果を発揮しない。
〈身代わり羊〉:物理的な損傷を身代わりである羊の人形に引き受けさせる。人形は小分けに仕切られた空間に格納されている。
提案した時は気付かなかったが、どちらもダメージを移し替える効果で似通っている。片やジネッタを守るため、片や自分を守るためだが、これをひとつに纏めることはできないのだろうか。
「なあ五十鈴。〈自己犠牲〉と〈身代わり羊〉はひとつにしてリソースを節約することはできないか?」
『ご主人様。そのふたつは全く別の魔法です。ひとつにすることは恐らく難しいでしょう』
「そうなのか?」
五十鈴の説明によると、この世界の魔法はあらゆる無茶を実現するが、それでもいくつもの制限がある。そのひとつが負傷の移し替えだ。この手の魔術はいくつかのバリエーションが存在するものの、どれも難易度が高いものばかりである。例え魔人の万能の魔法スペックといえども、できないことや実現するのに多大な代償が必要な魔術は、それだけ僕にも再現が難しい。
神聖魔術には『他者の負傷を自分に移し替える』というまさに〈自己犠牲〉と同じ魔術が存在し、これは比較的難易度が低めである。しかし『自分の負傷を物品などに押し付ける』ような魔術は途端に難易度が跳ね上がり、それだけスペックに必要なリソースも増えるのだ。
聞けば〈身代わり羊〉とそれを維持するための〈無限の縫製〉はかなりのリソースを占めている。だが自分の身を守るために有効、かつ強力であることを確かめた今、これらのスペックをケチることなどできない。もうHPなしで銃弾が乱れ飛ぶ戦場になど出たくはないのだ。
「仕方ない、か。ところでリソースはどのくらいで増えるんだ?」
僕のリソースは成長、すなわち時間経過とともに増えるはずだ。五十鈴によれば、一週間で今のリソースの5%ほども増加するそうである。つまり五ヶ月後には今の二倍のリソースを扱えるということだ。
……何の努力もせずにそれって、凄くないか。
今でさえ第六席といい勝負ができるという自信があるのだ。二倍もリソースがあればこの国で僕を倒せる相手はいなくなるのではなかろうか。
……時間さえあればなあ。
逃亡中の身に五ヶ月は長すぎる。交渉を反故にしてまで僕の成長を待つ戦略は、危険すぎるだろう。やはりブラバスを探しだして捕まえる方が、安全で確実そうだ。
ちなみに某『精神と時の部屋』のようなスペックはどうかと五十鈴に提案してみたが、『サナギのように丸一日停止して三日分ほど成長できる』というスペックになりそうだと言われた。動けなくなっている間に大変な目に合いそうで怖い。僕は自然な成長に任せることにした。
◇
ジネッタが端末にかかりきりになっているのを引きはがし、ルームサービスで夕食を注文した。外で食べてから帰ってくればよかったかもしれないが、ジネッタが新しい端末を早く弄りたそうにしてたので諦めたのである。注文を終えると、すぐにジネッタは端末に向かった。しかしベッドの上に三台広げて情報魔術の光がひらひらと行ったり来たりしているのは、傍目に見ると何をしているのか全く分からんな。
「ジネッタ。端末の設定はほどほどにして、ブラバスの居所を探す方を早めに着手して欲しいんだが」
「うー」
それは了承の返事なのか、それとも拒否の返事なのか。任せろ、とか言っておきながらこれだ。せめてルームサービスが来る前に解除されている変装を、また掛けてもらわなければならない。ロイヤルスイートの宿泊客がジャージ二人組では流石にマズイ。
ベッドにうつ伏せになって三枚の仮想ディスプレイをじっと見つめるジネッタ。前に立っても仮想ディスプレイに阻まれているためか、僕の姿は無視された。ひらひらと舞う蝶のような光を遮ったらどうなるのか分からない。それが原因でジネッタの端末が壊れたりしたら、僕がどうなることか。仕方なく側面に回りこんで声をかける。
「おーいジネッター。変装をかけ直してくれないと、ルームサービスが来ちゃうぞー」
「うー」
…………。
ジネッタの背中のアゲハチョウの羽根がパタリと閉じ、また開く。聞こえてないのかコイツ。
そういえばこの羽根は非接触になっているのだったな、と僕は思い出し、軽く触れてみた。何もないかのように手がすり抜ける。おお、ほんとに触れない。
だがその瞬間、ジネッタは信じられないものを見るかのような表情で、僕を見上げた。
「うわぁ、触るかな普通!?」
「え、まずかったか?」
鱗粉とかついていないか手を見るが、特になにもない。ジネッタの羽根も触れられた様子もなく自然に揺れている。
「そういう……そうじゃなくてさあ、ユウ。なんていうか、触れないけど、手が通るとザワってするっていうか」
「ああ、触れてないけどギリギリまで近づくとなんかザワザワするアレな」
「うん。おしり撫でられたみたいな」
ヒィッ! と僕は仰け反って謝った。チカン、ダメ絶対。
「は、羽根がおしりの延長線上のものだとは知らなかったよ。ゴメンなジネッタ」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。なんていうか、普通の人は遠慮してか絶対に触らないデリケートな部分というか。触られ慣れてないから、ビックリしたというか。まあいいよ」
ジネッタは「触れないんだから面白くないでしょ? なんで触ったの」と言いながら羽根の上で手の平を往復させる。全くその通りなんだが、ふとそれを確かめたくなる時もあるじゃないか。
「それで、なに?」
「ああ。ルームサービスが来る前に変装しとかなきゃだろ」
「あ、そっか。そうだったね」
しかし嫌な汗をかいた。アスカリの耳や尻尾も魅力的だったが、あれは物理的な接触があるので触れないの確定だ。エルフの耳とかこの世界には今後も触ってみたくなるパーツが多そうだから、気をつけないとな。フェルのは間違っても触れないし、触る気もないが。うっかり触ろうものなら腕がもがれそうである。
五十鈴のメイド服といい、僕はこの世界で新しい自分をたくさん発見してしまったなあ。
……などとしみじみ考えていたことは五十鈴に筒抜けであることをうっかり忘れていて、僕は翌朝ネコ耳カチューシャに尻尾アクセサリつきの五十鈴に起こされて変な声を出したという。




