34.フー・アー・ユー
バーには奥に扉で仕切られたボックス席がひとつだけあり、カウンターの席や壁際の向かい合わせの席から少し距離がおかれていた。密談のためにしつらえたわけではないだろうが、営業中でもこの席でなら他の客に話を聞かれることはなさそうである。
ソフトドリンクとナッツの皿を置いてバーテンダーはそそくさとカウンターに戻る。「何も出さないと後で何を言われるか分からない」とは彼の言葉で、それにフェルは「よく分かっているじゃないの」と返した。わざわざ僕らを連れてきた店だ、彼女にとっては信用できる人なのだろう。賭けてもいいが彼の口は堅いはずだ。
「遠慮しないで。この手の飲食代は情報部では経費で落ちるから」
とはいえ開店前のバーに注文はし辛い。おかわりが欲しいほど喉が渇いているわけでもなかった。
「それで。僕らとの交渉、先程は受けると言ったはずだけど。変わりはないのか」
「変わらないわ。ただし話を受ける代わりに、ひとつ仕事をしてもらいたいの」
ジネッタが「変わってるじゃないか!」と即座に突っ込んだ。条件がひとつ増えているから、これには僕も同意だ。
フェルは眉を寄せて首を振る。
「さっきとは状況が違うもの。こちらのアテがひとつ外れてしまったのよ」
「アテ? テロリストならさっき全部捕まえたって言ってたじゃないか。そっちのアテとかわたしたちに関係ないし!」
そうだそうだ。もっと言ってやれジネッタ。
まあ、と口に手を当ててフェルはわざとらしく驚いてみせた。
「関係ないわけないじゃない。『激情の秋』はあそこにいたメンバーだけじゃないのよ。少なくとも肝心な奴がひとり、未だに行方がつかめていないわ」
「……う?」
肝心なひとりとは誰のことだ。僕とジネッタは顔を見合わせる。
というかそもそも僕らはテロリストに知り合いなどいないから、分かるわけがないのだが。
「ミホ・マギテクノロジーの万魔殿にテロリストどもを招き入れた主犯格。魔人を運び出し、その逃走中に仲間を撃って反撃されて逃げたマヌケがひとりいたじゃないの」
「ああ、えーと。誰だっけか?」
「ほらユウ、あいつ。えーとなんて言ったっけ」
僕らこそマヌケな会話をしていると、フェルが静かに「ブラバスよ」と答えを教えてくれた。
そう、ブラバス。でも僕、こいつと面識ないんだよなあ。
「結局、どんな奴なんだ?」
「そういえば調べてなかったね、わたしたち」
僕らの今後について考えるにしても、このブラバスという奴についてはノータッチで済むかと思っていたのだが。
フェルは僕らの反応が心外だとでも言わんばかりに渋面を作り、言った。
「なんで事の張本人についてそんなに扱いが軽いの、貴方たち」
そんなこと言われてもなあ、と僕らはやはり困惑顔。
「いい。ブラバスは『高度情報体解析』研究チームで活動していた神学者よ」
神学者っていうと、宗教を学問するひとたちのことだっけか。あまり馴染みのない職業だ。
フェルは僕らの反応に構わず話をしながら、写真を並べていく。神経質そうな目つきの男。歳は三十代前半くらいだろうか。僕はそれらを〈映像記憶〉で記憶しておく。
フェルの説明によれば写真の男がブラバスであり、テロリストと繋がりのある危険人物であるらしい。
元々ブラバスは反体制主義者の団体に出入りがあり、公安もマークしていた人物であった。だが問題を起こすでもなく過激な活動に手を出すでもなく、ミホの研究所に務めるようになると該当団体からも足が遠のくようになって、自然と厳しくマークしなければならない人物から外れていった。
だが彼の政治に対する思想は変節したわけではなく、また宗教に対する接し方も変わったためか、その情念は密かにくすぶり続けていたようだ。
「ブラバスの同僚の証言によれば、『高度情報体を解析すればするほど、神の不在が証明されていくのだ』と苦い顔で語っていたそうよ」
この世界の宗教は神聖魔術に意味付けを行ったのが基にある。だが科学の発展が神を殺した。神聖魔術が世界の果てにある壁の反射でしかなく、送信する魔力と反射による現象とを機械的に突き合わせていけばいくほど、神の存在する余地がなくなっていく。
ブラバスが壁の向こう側に『救い』を求めたとするならば、それは叶わない。なぜなら『僕ら』は神ではないからだ。研究によりそのことを明らかにすればするほど、信仰は向かう先を失っていく。
「向かう先がなぜテロ組織だったのかは不明だけど。そのような動機を解き明かすのは警察の仕事であって軍隊の仕事ではないから、置いておくわ」
哀れブラバス。このようなドライな女が追っ手では、動機もへったくれもない。命がけで逃げるしかないぞ。
僕とジネッタが同情を浮かべると、なぜそのような目で虚空を眺めるのか不可解だ、と言わんばかりにフェルが眉をひそめる。
だがすぐに話の続きを始めた。
「貴方たちにはこのブラバスを捕まえて欲しいの」
「……て待て待て。なんでそうなる」
「そうだよ! かわいそうだよ!」
いやジネッタ。それもなんか違う。違わないけど、違う。
「それはフェルの仕事だろう。なぜ僕らにやらせようとする」
「これを解決しなければ、貴方たちの交渉とやらを受け入れる余地はなくなるのよ」
僕の存在を利用しようとするブラバスが野放しになっていると、僕には厳しい監視をつけねばならない。場合によっては管理のために手元に留め置かなければならない。
そもそもが有用な実験兵器。手元に留め置くならばついでに研究もしたい。どんな働きをするか前線に投入したい。そんな連中はごまんといる。そのためにジネッタを人質にしようとする連中もきっと同じくらい、いる。
「だが今の僕を簡単に捕らえられると思うなよ? 必死で抵抗して大損害を与えるぞ?」
僕にしては強気で押す。ここで弱気な態度をとれば、後が面倒になる。
だがフェルは神妙な顔で頷いた。
「ええ。それは分かっているわ」
……お、物分かりがいいじゃないか。
「できれば昨夜の時点でそれを証明するほどの活躍を期待していたのだけど」
「……ぐう」
それを言われると厳しい。だが今の僕は昨夜の僕とは大違いだ。五十鈴と会話できるようになったし、スペックの提案の仕方も分かっている。既に交渉のために備えたスペックも戦闘向きのものばかりだ。
「だからその強さを示して、私たちと交渉ができるところを見せつけなければならないのよ」
つまり僕とは話が通じるのだと、フェルを通じて多少の融通は聞くのだと、偉い方々を説得する材料が必要になるらしい。
その前提として今回の件に関わったテロリストは掃討しなければならないし、それができて初めてフェルの発言に重みがでるというわけだ。
「……少なくとも、僕らがこの仕事を手伝わなければ交渉は終わらないというわけだな」
「そういうことよ」
ジネッタは「むむむ」と唸り、しかし半ば諦めの境地に達したのかジュースとナッツに手が伸び始めた。この妖精の中では交渉は終ったも同然ということか。
まあこの条件を飲みさえすれば、僕らの平穏が訪れると思えばやるしかないのかもしれない。いや、やるしかないのだ。
「分かった。ブラバスを捕まえるよ」
「ええ、そう言ってくれると思っていたわ。ちなみに生死を問わないから、そこはご自由に」
そこは仮にもテロリストが相手だ。加減できると自惚れるつもりはない。
だがスペックの一覧を見ると、そもそもどう考えても相手を無力化するようなスペックはなかった。ちょっと血気にはやり過ぎだったかもしれない。攻撃用に増やしたスペックは、当たったら大怪我しそうなものがひとつだけだ。
リソースに余裕ができたら相手を穏便に気絶させるようなスペックを提案しなければ、と僕は密かに自分を見つめ直した。




