30.国家権力との交渉
ホテルの近所にある喫茶店。ウェブで見つけたケーキセットの美味しそうなこの店は、ジネッタのリクエストだ。
ちょうどおやつ時で、店内には談笑するご婦人がたが多く席についていた。
僕とジネッタは光学魔術と情報魔術の変装に身を包み、落ち着いた雰囲気のなかで紅茶とケーキをつついている。僕はアップルパイ、ジネッタはチョコレートケーキだ。〈手乗り侍女〉は解除しているため、五十鈴は外に出ていない。僕の中でウェブから武器や魔術に関する情報収集をさせている。
僕とジネッタ、そして五十鈴を交えて今後のことを話し合った結果、どうしたって「国家権力が敵に回っている状況をどうにかしなければならない」というところに行き着く。
当然のことだが、この問題を解決しなければ僕らに平穏はない。そして解決するために交渉がもてそうな相手といえば、一人しか思いつかないのであった。
「待たせたかしら?」
黒のニットシャツに花柄の白いスカート。休日のOLのような装いは、昨晩の軍服姿が嘘だったかのように晴れやかだ。そう、何を隠そうこのオシャレなエルフは、宮廷魔術師第六席フェルである。
何気ない笑顔で席につくが、その目は笑っていない。むしろ怖いです。
「……いや、待っていない。よく来てくれた」
そう言いながら僕がメニューを差し出すと、フェルは見もせずに紅茶とモンブランのセットを頼んだ。
フェルが目を細めて僕とジネッタを交互に見える。
「光学による変装? あとは情報を薄めてるのかしら。陸軍情報部でやっていけるんじゃないの、“フェアリーサークル”さん?」
「わたしがスパイの真似事? やだよ面白くなさそう」
ジネッタは虫酸が走るとでも言いたげな様子で、吐き捨てた。
そういえばジネッタは防衛大学校にいたはずだ。それならば軍の関係者と知り合いでもおかしくない。
「ジネッタ、もしかしてフェルと面識があるのか?」
「さすがにないよ」
「ないわね」
なかったか。しかしフェルは「会ったことはないけれど、知ってはいたわ」と言った。
「防衛大学校の研究室でセキュリティの研究に携わった天才。彼女のおかげで我が国のセキュリティ技術は十年ほど進歩したと言われているわ」
「元が酷すぎたんだよ」
「否定はできないわね」
運ばれてきた紅茶をすすり、フェルは続けた。
「その天才技術者が、ヤクザの所有するインターネットカフェに引き篭もっていたなんて。国益を損ねる話よねホント」
「……ケーニッヒさんは、生きているのか?」
僕は懸念だったケーニッヒの安否を尋ねる。するとフェルは、ニィっと口の端を持ち上げて笑った。
「生きては、いるわね」
「……含みのある言い方だな」
「軍病院で肩身の狭い思いをしているわ。さぞ居心地が悪いでしょうね」
「ぷ」
ジネッタが吹き出した。
あのふてぶてしいヤクザでも、軍の病院ではデカい態度を取れないだろう。確かに面白いことになっていそうである。
僕も相好を崩して言った。
「無事ならいいんだ。気兼ねなく話ができる」
「優しいのね。あんなヤクザを気にかけるだなんて」
「向こうの胸の内はともかく、いろいろと助けられたからな」
ただし最後に僕に拳銃を向けて発砲したのは忘れていない。助命嘆願くらいはしてやるが、その後は二度と会いたくない。ヤクザはもうこりごりだ。
フェルはモンブランを片付けて紅茶をすすると、ピンと張り詰めた表情で言った。
「それで。私を呼び出した用件を聞かせてもらいましょうか」
交渉の開始だ。
◇
僕らが要求するのは次の三点。
ひとつ。僕について完全に手を引くこと。
ふたつ。僕と同様、ジネッタにもちょっかいを出さないこと。
みっつ。ケーニッヒを解放すること。
「無理な条件はひとつもないはずだ」
「……あなた、自分の立場を忘れたのかしら?」
冷ややかな視線。たじろぎたくなるのを我慢して、僕はフェルの目を見返す。フェルのこれはポーズ、つまり交渉の主導権を得るための強がりだ。なぜなら僕の人権を無視するには、実験が秘密裏のものであり続けなければならないからだ。
「昨夜、テロ組織『激情の秋』が僕のことを公にした。この状況でまだ、僕を実験動物扱いできるのか?」
「当然、問題にならないわ。あなたの価値を考えればね」
そう、僕には価値がある。この世界の壁の外側からやってきた高度情報体。その現世に定着する唯一の存在。だがしかし彼らの目論見から外れて、僕には明確にひとつ瑕がある。
「知っての通り、僕の世界に魔法はなかった。この世界にもたらすことのできる新しい知識はない」
「……魔法のない世界、それがどう成立しているのか。政治学、社会学、人類学……あなたのもつ知識に興味のある学者は山のようにいるはずよ」
「僕は高校生だった」
顔をしかめるフェルをよそに、僕は続ける。
「僕はたかが十八歳。高校で学ぶ事柄はそう複雑じゃない。少なくとも政治には無関心だったし、その歴史や仕組みについて詳しいわけじゃない。ナントカ学だなんて言われても、大した知識はない」
「それでも……」
「僕のいた世界は、魔法がないという点を除けば、この世界とさほど変わらない。むしろ多分、この世界より遅れている部分の方が目立つ。文化文明はこちらの世界の方が進んでいると思う」
魔法というあらゆる法則を無視する手段があるためか、この世界はときどき突き抜けた分野を持っている。乾電池より小さな永久機関はエネルギー問題をなくした。宇宙の果てを直接観測できる天文学は世界の不思議をいくつも減らした。3Dプリンターのように直接素材を組み立てる魔法がはるか昔から存在していた。このケーキの材料だってそうだ、小麦や砂糖は地面に植えて一週間で収穫できる促成魔法があるらしい。
バカバカしい。いったいこれらのどこに、僕の知識を活かす隙間が存在するというのか。
「僕が唯一優れているとしたら、魔人のあらゆることを可能にする魔法だ。でもそれは、この世界の技術じゃないか。僕のことは忘れて、もう一体つくればいいだけの話だろう」
「……それは」
「ミホ・マギテクノロジーのライブ映像は、もうひとりの僕を映し出していたぞ。バックアップかなにか、あるんだろう?」
フェルは表情を消し、僕を見た。見つめる目は何を思っているのか、何を考えているのか伺わせない。
やがてフッと表情を緩めると、フェルは微笑みながら言った。
「いいわ。あなたの要求を飲みましょう」
「……本当か?」
やけにあっさりしたフェルの答えに、僕は思わず警戒心を強めて問いかけた。
「本当よ。信用してくれないの?」
「…………いや。信用はする」
要求を飲み、それらを叶えるところまでは信用できる。だが言明していない事柄については、保証してくれるような相手じゃない。
何か要求に不備があったのではないか。落ち度があって、フェルがそれにつけ込むのではないか。僕はあるかないかも分からない不安に駆られる。
横を見ればジネッタの表情はすぐれない。何か見落としがあるのか。
試しに向こうの立場になって考えてみよう。宮廷魔術師フェル。彼女の目的は僕の確保と、もうひとつあったな。
「なあフェル。テロリストをおびき寄せるために、僕を泳がせていたんだよな? 昨晩、僕を追わなかったのは、そのためだよな?」
「そうよ」
そう。それはジネッタが予想した通り。ならば今は?
「その役目、終わったと考えてもいいのか?」
「ええ。十分に果たしてくれたわよ」
「ユウ! 入り口に――」
ジネッタが叫ぶのと同時。喫茶店の入り口からアサルトライフルを構えた男たちがなだれ込み、天井に向けて発砲した。
騒然となる店内に、男の声が響き渡る。
「大人しくしろ! でなければ死ぬことになるぞ!」
釣りは終わっていた。獲物は餌に掛かっていた。巷を騒がすテロリストたちの登場だ。
僕は唖然としてフェルを見た。すると第六席は「ティータイムが台無しね」と笑ってみせた。




