3.ドワーフのヤクザ
地面に倒れ伏した僕は、なんとか呼吸を整えて立ち上がろうとした。
手足がガクガク震え、急激な運動はもう懲りごりだと悲鳴を上げる。
ぎこちなく立ち上がり、改めて僕は自分の格好を見る。
手術着のような薄緑色の貫頭衣。下着なし。裸足。
これを衣服と呼ぶのはファッション界に対する冒涜だろう。断じてこの格好で街を歩きたくない。色々はみ出る。
衣服だけじゃない。肩と腰、そして手足の間接も滅茶苦茶だ。
脱兎のごとく逃げるためとはいえ、本当に四足獣のように折れ曲がる間接たち。
犬が後ろ足だけで立ち上がったような微妙なポーズでしか立てない。
これが魔人の成長の結果だというなら、誤った教育はすぐに正さなければ取り返しがつかない気がする。
こうして僕は周囲の気配に気を配りながら、二本足で歩くという練習を余儀なくされた。
◇
【〈四足歩行〉を解除しました】
黒尽くめの追っ手が来ないかビクビクしながらよちよち歩きをした結果、なんとか間接を解きほぐし、スムーズに二足歩行が出来るようになった。この間、約10分。
幸いにして追い付かれた様子はないが、人の気配すらないのに、僕はそろそろ疑問を抱き始めていた。
……ここはどこだろう。
もちろん僕にはこの世界の土地勘はないが、プリインストールされた知識がある。
地図はもちろんのこと、各国家の特色なども知ってはいるため、そこから現在地を推察することはできるはずだ。少なくともどこの国か、くらいまでは絞り込みたい。
現在使用している言語は『人類共通語』といって、ヒトに数えられる種族間で使用されている一般的な言語だ。国家どころか大陸をまたいで使用されているため、言語から現在地を絞り込むヒントにはならない。まっことグローバルな言語である。
恐らくこの世界では『バベルの塔』の建造を試みなかったのだろう。
しばし国語と英語の成績について思いを巡らしてから、はたと気づいた。結局名前を聞けなかったオジサンは国営企業群イセの研究所から僕を連れて逃げていたはずだ。国営、とつくからには国営なのだろう。どこの国かというと――
CLDサージェン皇国。
CLDは連合とか合衆とか、そういう意味らしい。サージェン皇室を筆頭にいくつもの小国を纏めて、ひとつの皇国となったという歴史的経緯がその国名の由来だ。
地図上は東の果て、大陸の端に連なる列島にある。元の世界では日本のような立地にある国だ。現在の情勢は、
……分からない。そんな時事情報、知識にないぞ。
百科事典はあるが、新聞はない。歴史についてもプリインストールされていないようで、百科事典の項目にある簡単な説明しか情報が出てこなかった。
……ううむ。困ったな。
少なくともこの手術着のような格好が浮くのは想像がつく。なんせオジサンも追っ手もスーツ姿だったのだ。「手術着はファッション」で通じるとは思えない。
どうにかお金を手に入れて服を買わなければならない。まずはそれからだ。
人間に必要なものといえば、衣食住。最初の『衣』から始めよう。
◇
しばらく路地裏を歩く。人通りのある道を歩くには不審な格好だからだが、しかし人通りがないところにお金の匂いはない。仕事がなければ、お金は得られない。
落ちているお金はないものか、と地面を睨みながら歩いていると、
「お前、おもろいカッコしとるやんけ」
訛りのある人類共通語に話しかけられた。
顔を上げると、厳しい顔をした小柄なオッサンがこちらを見てニヤニヤしていた。
ド派手な黄色いスーツに目にも眩しい鮮やかな青いシャツ、ネクタイはなくシャツの襟元を緩めた格好で、靴も爬虫類っぽい革製品と、揃いも揃って毒々しい。
この世界ではこのファッションが一般的……ということもなく、社会から確実に浮いている存在だと僕の知識が言っている。
そして気になるのはモミアゲから口元を覆っている髭と、筋肉ではちきれんばかりになっている肩回り。ドワーフだ。
「…………」僕は唖然として言葉が出なかった。
「無視か。なんとか言わんかい」
「こ、こんにちは?」
「おう。喋れるやんか。とっとと口開かんかいボケ」
流れるように罵倒された。カルチャーショックだ。
ジロジロと僕を見るオッサン。視線には不審がありありと感じられた。
手術着一丁だと心許ない。不安になってきた僕は、思わずオッサンに言った。
「あの……お金が欲しいんですけど。仕事とか、ありませんかね」
「あン?」
「い、いや! ないですよね!」
「あるで」
テンパッてオッサンに聞いた僕はまごうことなく馬鹿だった。なんでもないです、とはいまさら言えない。
ドワーフのオッサンは見るからにヤクザかマフィアか、少なくともアウトローなご職業だろう。まさか白い粉の運搬とかやらされるんじゃ堪ったもんじゃないぞ。
どう断ろうかと思案していると、おもむろにオッサンは立ち上がって歩き出す。ついてこい、とその背中が語っているが、これについていくと後戻りできない気がする。
だがこのまま踵を返して逃げたら、それはそれで怖い。追いかけられてボコボコにされそうだ。
黒尽くめの追っ手から逃げ切った僕だが、そんなことはとっくに頭から吹っ飛んでいた。
「車の運転できるか?」
「え、はい」
思わず返事をしてしまった。
……もう、ついていくしかないんじゃないかな。これ。
エセ関西弁が不快な方は、脳内でそれっぽく変換して読んでください。