22.ジネッタ、ネカフェ出るってよ
充分に安全だと思えるくらいには離れた、と思う。
銃弾の飛び交う住宅地から走り続けて数分。僕は塀からアスファルトの道路に降りると、二足歩行に戻った。
【〈四足歩行〉と〈鉤爪〉を解除しました】
さすがに疲れた。全力で走ることもそうだが、なにより銃を向けられ実際に撃たれたという精神的な衝撃が大きい。
だがゆっくりと考えている暇はない。相手が徒歩ということはないだろう。たとえそうだとしても、応援を呼ばれればあっという間に囲まれてしまうだろう。
まずはスペックの確認だ。何度かアナウンスが鳴ったし、こちらの提案により新しいスペックが開花した手応えもあった。これまでになかった展開だ。
〈神経加速〉:思考能力と運動能力を飛躍的に高め、俊敏な動作を可能とする。使用から3分間持続する。ただし10分に一度しか使用できない。
〈零距離助走〉:停止状態から瞬時に加速することができる。ただし10分に一度しか使用できない。
〈四足歩行〉:両手両足を使って四足歩行することができる。特に指定のない限り〈獣形態〉を採用する。現在は解除されている。
〈獣形態〉:〈四足歩行〉の形態のひとつ。四足獣のような俊敏さを誇る。
〈蜥蜴形態〉:〈四足歩行〉の形態のひとつ。トカゲのように手足が接触面に対して吸着する性質を持つ。
〈衛生体質〉:常に清潔に保たれる。ただし汚れや雑菌は無臭の垢として体表面に積層するので、これは洗い落とさなければならない。
〈獣性解放〉:気分が高揚し目の前の戦闘に没頭することができる。また五感が鋭敏になり、臭いや音で周囲の気配を見ることができるようになる。ただし使用時に強く意識しない限り敵・味方の区別がつかなくなる。使用から10分間持続する。
〈鉤爪〉:指先を硬化させて鉤爪に変化させる。現在は解除されている。
〈射線予測〉:射撃の予測軌道を視界に表示する。
〈縮地〉:移動先までの空間を歪め、経路を短縮する。ただし短縮しようとする空間に障害物がある場合、使用できない。
〈四足歩行〉に〈獣形態〉と〈蜥蜴形態〉が増えている。どうやら切り替えられるようになったらしい。良かった、実はトカゲのイメージから元に戻せるか密かに不安だったのだ。単純に地上を走るだけなら前の四足獣のイメージの方が速いのだ。
新しい〈蜥蜴形態〉の方はもしかしたら壁に張り付いたりできるのかもしれない。これは後で試した方がいいだろう。
そして〈射線予測〉には助けられた。これがなければ死んでいただろう。解除しなければ常に効果を発揮しているようなので、そのままにしておく。
最後に〈縮地〉だ。僕の具体的な提案で初めて結実したスペック。イメージ通りだ。何度でも使用できるが、一歩の距離が2~3歩分に伸びるくらいの距離しか一度に縮められないようだった。まあそれでも2~3倍の速度で移動できるようになるのだから、随分と強力なスペックだが。
こうしてみると10分に一度しか使用できないスペックはなんだか頼りなく思える。よしスペックを改良できないか提案してみよう。
僕はスペックに〈神経加速〉と〈零距離助走〉の使用制限を緩和できないか尋ねた。〈神経加速〉は解除するまで持続するように、〈零距離助走〉は何度でも使えるように、だ。
【使用制限の解除は、身体に許容できない負荷がかかります。ですが常時使用しても問題ない範囲で弱体化したスペックを追加できます。よろしいでしょうか?】
……うん? スペックの表示が変わらないな。やっぱり無理なのかな。
【……追加します】
〈高伝導神経〉:思考能力と運動能力が高まる。
〈短距離加速〉:任意方向に一時的に加速する。
……お、新しいスペックが増えたぞ。提案してみるものだな。
だが常時もしくは何度でも使えるようになった代わりに、効果が低めに抑えられているように見える。やはり何らかの制限があったのだろう。思いつくのは魔力が足りないとか身体に負担がかかるとか、そういう理由だろうか。
もっとも元の制限付きのスペックも残っている。いざというときの切り札としてこちらも使えるようになっているので、新しいスペックがふたつ増えた分だけ強化されたはずだ。
僕は満足し、次の作業に移ることにした。
リュックサックからケータイを取り出し、地図を検索する。そして『フェアリーサークル』の位置を検索して、現在位置からの移動経路を表示した。
仮想ディスプレイを維持したままケータイを閉じてポケットに入れれば、地図を見ながら歩けるのだが、それをせずに僕はスペックに命じた。見たものを画像として記憶する能力が欲しい、と。
【〈映像記憶〉を会得しました】
〈映像記憶〉:視界に映る光景を保存して呼び出すことが出来る。
スペックを確認して思った通りの成果が出たことを確認する。前世にこれがあればテストも楽だったのだが。
わざわざ使用を意識しなくても視界に入ったものを全て記憶しておくスペックとどちらがいいか考えたが、忘れたくなるような光景をいつでも思い出せるのは御免だ。水槽に浮かぶ僕の顔、血塗れで嗤うケーニッヒ、迫り来る弾丸の描く軌跡など、どれも積極的に思い出したいものではない。これからも思い出したくないような光景を見るはめになりそうだし。
僕は地図を記憶し、ケータイを真っ二つに割って捨てた。僕とケーニッヒが既に接触している事実を追っ手たちが知ってしまったいま、ケータイのGPSをそのままにしておくことはできない。GPSを解除する操作まで僕は知らないし、GPSと呼びつつも実際はその原理が電波なのか魔法なのかも分からないのだ。
そしてケータイを破壊してから気付く。もしかして僕はケータイなどなくてもウェブに繋がるのではないか。
【申し訳ありません。ウェブについての知識が足りません】
期待しながらウェブへの接続をスペックに提案してみたが、新しい項目が増える気配はない。ウェブへの接続に何か制限があるのか。もしかしたら立て続けにスペックが増えたのが悪かったのかもしれない。
あまり足を止めていられる状況でもない。ひとまず保留にして、僕はネカフェに向けて走りだした。
◇
〈四足歩行〉では目立つだろうと思って久々に二本の足で走った。やはり体力はもつ。息は上がるものの、走り続けられないほどではない。
ジャージ姿にリュックサックの僕はランニング中の若者にしか見えないだろう。すれ違う人にも怪しまれた様子もなく、ネカフェに辿り着くことが出来た。
雑居ビルの階段を上り、自動ドアをくぐる。カウンターの店員に挨拶してジネッタのブースの前まで来て、さてなんと声を掛けようかと考える。
いや、考えても仕方ない。まずは謝らないとな。
僕はネカフェ妖精に呼びかけながらノックした。
「ジネッタ。僕だ」
「……どうぞ」
少し緊張しながらブースの扉を開けた。相変わらず壁にジャージが掛かっている。訪ねてきたのが僕だと分かっているのだから、下着の掛かったハンガーを仕舞うくらいはしたらどうなのだろうかと思ったが、それは僕の都合か。見ないように気をつける。
……いや。気になるよ、どう考えても。
若い女性の下着だ。健全な男子である以上、気にならないはずはない。はずもないのだが、今はそれよりも言わなくてはならないことがある。
「ジネッタ。さっきは勝手に開けてすまなかった。それからすぐに荷物をまとめてくれ。ここから離れないといけない」
「……う?」
180度にリクライニングしたソファに寝そべってお菓子を摘んでいたジネッタは、数瞬だけ首を傾げ、怒った。
「そうだよ! 女の子のいるブースの扉を無断で開けるとか、どうかしてる!」
「……忘れてたのかよ」
少しだけ安堵したような。しないような。どのみち今はそんな場合じゃない。
「聞いてくれジネッタ。ケーニッヒが撃たれた。僕を追って来た企業の連中を宮廷魔術師が率いている。ここは危険だ。一緒に逃げよう」
「う? ちょっと待って。順番に説明して」
「そんな暇はない。とりあえず荷物をまとめてここを離れないと。僕の事情に巻き込んですまないが、ジネッタを放って逃げるわけにはいかない」
そう。ここは危険なのだ。僕の持っているケータイの位置を辿ってケーニッヒがあの場に来たということは、GPSかそれに似た機能があるということだ。フェルたちがそれを見逃すわけがない。GPSについて詳しいわけではないが、これまでの移動の履歴や経路が筒抜けであると考えて行動した方がいいだろう。
そうするとネカフェは危ない。この店はケーニッヒの持ち物であるという話だし、ジネッタは企業のデータベースに侵入するような危険を犯している。すぐにここに辿り着かれるだろうし、ジネッタも捕まればタダじゃすまないはずだ。
ジネッタを見捨てて僕ひとりで全く別の場所に逃げようかとも思った。思ったのだが、戦場に負傷したケーニッヒを残すのとネカフェに何も知らないジネッタを残すことは、僕の中ではどうやら等価ではないらしい。
そもそも。どうやっても助ける隙のなかっただろうケーニッヒと、助けようと思えば間に合うかもしれないジネッタとでは、前提からして同じように扱える話ではないのだが。
「と、ともかくだ。ケータイには位置を特定する機能があるだろ? 僕のケータイはケーニッヒが契約したものだったし、そのケーニッヒは追っ手たちの手に落ちた。ジネッタも急いでここを離れないと危ないんだ」
「ああ、そういうこと。分かった、いま準備するね」
ジネッタは立ち上がって下着の掛かったハンガーを手にして、ぷちぷちとハンガーから下着を外す。
その作業を見ているのは気まずいので視線を外していると、ジネッタに「ゴミ袋もってきて」と言われた。ドリンクバーの置いてある棚のひきだしにあると言われたので、そこからゴミ袋の入った袋を袋ごと持っていく。
「何枚いる?」
「んー。とりあえず一枚」
僕は半透明のゴミ袋を一枚、ジネッタに渡した。するとジネッタはハンガーから外した下着と替えのジャージをゴミ袋に入れ、空気を抜いて口を縛った。それを肩に担ぐジネッタ。
「カバンとかないのか」
「ないよー」
言いながら、ジネッタはあずき色ジャージの上着の両ポケットを叩いた。
「端末よーし。これがあれば大丈夫。さ、逃げよ逃げよ」
「お、おう」
「歩きながらでいいから、もっと詳しく聞かせてね」
「分かってる。僕も確認しなきゃならないことだらけで困ってるんだ」
僕はジネッタを連れてネカフェを出た。カウンターを通るとき、「お店よろしくね」と言って出ていくジネッタを見て店員が目を剥いていたが、どんだけ外に出てなかったんだろう。知らず知らずのうちに、僕は偉業を成し遂げてしまったのではないだろうか。




