19.ヤクザ襲来
手も足も出ない。ただ夢中で、鉤爪となった指先をブーツに食い込ませた。
その甲斐あってか、意識がブラックアウトする寸前で僕の鳩尾に押し当てられていたフェルの右足が浮く。
僕の指を払いのけるようにフェルは右足を振りながら、軽く後ろにステップして距離を置かれた。僕は振り払われるままに指を離して、咳き込みながら後ずさる。
〈鉤爪〉:指先を硬化させて鉤爪に変化させる。
スペックを確認する。ようやく新しい項目が増えた。
指を見ると、根本から徐々に白く硬くなっていき、第一関節から先は完全に刃に変化していた。切れ味は良さそうだ。この状態では指として細かな動作は行えそうもないが、ものを掴むくらいならできそうだ。
ようやく得た攻撃力のあるスペックだが、期待していたより随分ショボい。
その感想はフェルも同じだったようで、露骨に不満そうな顔で僕を睨んでいた。
「戦闘において成長して機能を増やすと聞いていたのだけど。この程度ではその辺の獣にも劣るじゃない」
「……」
フェルは黒服からタブレット端末をひったくるように奪うと、側面を弄って起動した。オジサンが入っている端末だ。
端末のディスプレイを僕に向けて、フェルは言った。
「見なさい。あの程度が魔人の成長だというの」
「うん?」
うるさいからとあっけなく消され、そうかと思えばいきなり起動して命令されるオジサンに僕は同情を禁じ得ない。本当にひどい扱いだ。
オジサン――いや先程フォーデンと名乗ったからこれからはフォーデンと呼ぼう。フォーデンは目を丸くして僕を見ると、のったりとモデルに首を傾げさせた。
「……戦闘の結果があの爪だけだった、ということかい?」
「そうよ。いくらなんでも、あの程度の獣以下に防衛省は大金を積めないわ。話が違うじゃない」
……話が違う?
フェルはタブレットに噛み付くようにして言った。感情をむき出しにしてがなる姿は、さきほど僕を追い詰めた宮廷魔術師第六席とは思えないほど、なんというか女性らしい。こちらが素なのだろうか。
フォーデンは顎に手をやり、僕を見つめていった。
「……ユウ。君はスペックに何を命令した。戦いになったなら、そのための力を君はスペックに望んだはずだ」
「スペックに命令だって?」
僕は端末に映しだされたフォーデンのモデルを見上げ、答えた。
「――したさ。魔導書から〈フィジカルブースト〉を探せとか、戦うために何か発現すればいいって何度も思った」
「魔導書から探せ……そして思った、だって? 何を言っているんだ君は」
まるで会話が噛み合っていないと言わんばかりのもどかしさ露わにして、フォーデンは眉間にしわを寄せて僕を見下ろした。
しかしすぐに納得がいった風の表情でうなずき始める。この辺の表情がくるくる変わるところは研究者らしい。ひらめきにひらめきを重ねるように、僕では想像もつかないような速度でいろいろと頭のなかを駆け巡っているのだろう。
「いや、待て。そうか、君はまだ自分のスペックを把握していないんだ。魔導書だって読んでないだろう。あれからたった1日じゃ、仕方ない」
そしてフォーデンは驚くべきことを言った。
「君の魔導書だがね。前半はこの世界の魔法体系について語られているが、後半は完全に白紙だ」
「――は?」
なんだって?
「私は君に期待していたのだ。君にというか、外の理から来たる高度情報体が、どのような魔法をもたらしてくれるのか、とね」
「あ」
そうか。そうだ、最初にフォーデンと会ったときの会話を思い出す。
フォーデンは僕が魔法のない世界から来たことを知らなかった。当たり前のように魔法がある世界から来たのだと思い込んでいた。まさか魔法がない世界から来るという可能性すら考慮していなかったかのように。
「だから後半は君の世界の魔法について自由に記述してもらうことを期待していたんだよ。その点については我々の見通しが甘かったわけだ」
そもそも〈フィジカルブースト〉どころか、魔導書には実用的な魔術などひとつも書かれていなかったのだ。この世界の魔法体系についての専門書でしかなかったのだ。
ルールの異なる世界から来た僕が、この世界で魔法を使うための一助となるために用意された魔を導くための書物。めくってもめくっても難解な文章しか出てこなかったのは、そういうことか。
「そしてスペックだがね。君はスペックとちゃんと相談して具体的な能力を提案してあげなさい。そうすればきっとそれを実現してくれるはずだ。なんせ君は――」
「待ってくれ。スペックと相談する?」
僕は焦った。やはり、というか薄々だが危惧していた可能性。
「スペックとはやっぱり会話できるのか!?」
「……何を言っているんだ?」
端末に表示されているモデルが訝しげに僕を見た。フォーデンにとっては当然のことでも、僕にとってはまったく違う。
だがこれ以上の会話を、彼女は必要ないと判断したようだ。
「魔法がない世界から来たことは聞いていたわ。そのような世界がどのように成立しているのか興味はあるけど、どうやら『ボーイ』の状態は万全からほど遠いようね」
「待ってくれフェル。もう少しユウと話をさせてくれ」
「ダメ。これ以上のヒアリングとメンテナンスは防衛省の研究施設でしてもらいましょう。貴重なサンプルなのは確かだから――」
言い終える前に、フェルは背後の異変に気づいた。
ぐおん、とエンジン音が鳴った。黒服たちの背後からハイビームが迫ってくる。
「おい。こっちに来るぞ」
黒服のひとりが戸惑うように言った。車はスピードを緩めること無く黒服たちのいる方めがけて、更に加速した。
運転席でハンドルを握るのは見覚えのある顔。ドワーフのヤクザ。
「と、止まれ――ぎゃああ!?」
にわかに浮足立った黒服たちを、黒塗りの高級車が容赦なく薙ぎ払った。
何人かの黒服を吹き飛ばしながら、ヤクザの運転する暴走車輌は僕のすぐ近くの塀に突き刺さった。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙は三者三様。
巻き込まれないように素早く飛び退いたフェル。フェルに振り回されて目を回すフォーデン。その常識はずれの暴挙に唖然とするほかなかった僕。
塀にぶつかったショックで多少歪んだのか、高級車のドアが乱暴に開かれた。首を鳴らしながらケーニッヒが降りてくる。
「ようユウ。なんやおもろい集会しとるやんけ。わしも混ぜんかい」
僕と周囲の光景を見渡して、ケーニッヒはサメのように笑った。
◇
黒塗りの高級車がおじゃんだ。どうするんだこのヤクザ。
運転手扱いは嫌だったが、運転自体は嫌いではなかった。ヤクザは好きになれそうもないが、だからといって乗っている車に罪はない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とはいかないのだ。
……割りと気に入ってたんだけどな、あの車。
車に注がれる僕の視線をどう解釈したのか、ケーニッヒは僕を見てドヤ顔で親指を突き立てた。
「どないした、わしの格好良さに惚れたか? わしにそのケはないで」
「……違いますって」
しかし都合のいい登場だ。僕は気になって聞いてみた。
「どうしてこんなところに?」
「アホ。お前がテンパッてネカフェから走りだしたと、ジネッタからメールが来たんや」
「よくここが分かりましたね」
「ボケとんのかユウ。お前のケータイを契約したのは誰や」
「……あ」
そうか。ケータイのGPSか。
僕の居所はこのヤクザに筒抜けだったわけだ。監視されているみたいで怖い。
ケーニッヒは黒服の中にひとりだけ軍服姿に短いマントを羽織った女性を見つけて、僕に問うた。
「ユウ、あの女は誰や」
「宮廷魔術師、第六席フェルです。手も足も出ませんでした」
「宮廷魔術師か。そらえらい厄介なのが出てきたわ。しかも第六席やと?」
ケーニッヒが片眉を上げた。
「知ってるんですか」
「その筋じゃ有名なやっちゃ。第六席は防衛省陸軍情報部に出入りしとるバリバリの諜報員やで。ある意味で主席より質が悪いわ」
陸軍情報部の諜報員。つまりあの女はスパイのようなものなのか。
スパイには漠然としたイメージしかないが、無音で僕の目の前に肉薄して短剣を閃かせたフェルの姿を思い出すと頷ける部分もある。恐らく暗殺者のような技も持っているのだろう。
そしてケーニッヒはフェルを舐めるように見ると、続けて言った。
「第六席はカリッカリにチューンした軍用全身義体に換装しとると聞いたことがある。魔術師のくせして魔術なしの決闘で正騎士を秒殺したっちゅう逸話もあるアバズレや。自己強化に余念のない機械化狂いなんやと。あれとやりあって、よう生きとったなお前」
ええ……。なんだその化け物は。僕はそんなのと戦っていたのか。
だがそれならあの尋常でない素早さの理屈がつく。魔術など使うまでもなく人間の出せる速度の限界を超えるのだろう。
ケーニッヒの発言の後の方を聞いていたフェルが、眉間にしわを寄せて言った。
「シュタインメッツ組のケーニッヒね。あなたにも話を聞かなければならないと思ってマークしていたのだけど、手間が省けたわ」
「おうおう。かの宮廷魔術師第六席どのにお見知りおきとは、嬉しいこっちゃで。わしも有名になったもんや。わしもあんたのことは聞いとるで。若いくせにあっという間に第六席まで上り詰めてブイブイいわしとるんやろ」
「わたしのこともご存知のようね。でも自己強化に余念のない機械化狂い、という発言には頷けないけど。……それにしてもまさか既に『ボーイ』と接触していたとはね。油断も隙もない。さすがヤクザの面目躍如といったところかしら」
「お褒めに預かり光栄や。それと……」
ケーニッヒはフェルの手にしているタブレット端末に目をやる。表示されているフォーデンが眉を上げて手を振る。
「そないなとこにおったんかフォーデン。えらいおもろい格好になっとるやんけ。お前、わしとの待ち合わせすっぽかして何しとんのや」
……何?
フォーデンとケーニッヒが知り合いだった? 待ち合わせをしていただと?
昨夜、僕を拾ったケーニッヒ。そもそもあの人気のない路地裏で、ケーニッヒは何をしていたんだ。
偶然で片付けていた出来事が一本に繋がり始める。僕は唖然としてケーニッヒとフォーデンを見比べた。




