16.疾走暴走四足歩行
気持ち悪い。ただただ気持ち悪くて吐き気がする。
自分がいた。同じ顔をしたもうひとりの自分がいた。それが無性に許せなかった。腹がたった。譲歩の余地はなく、もうひとりの僕の存在を、何が何でも抹消しなければならないと思った。
ネカフェを出て雑居ビルの階段を駆け下りる途中で、前のめりに転倒しかけて手をついた。
【〈四足歩行〉を使用しました】
転ぶどころか加速して、僕は階段の途中から道端へ飛び降りる。着地した勢いを殺せず、そのまま走りだした。
リュックサックを背負ったジャージの獣が走る。
【〈獣性解放〉を会得しました】
気分が高揚して止まらない。自分に向けた殺戮衝動は捌け口を見失い、僕はただ敵を探して走ることしかできなかった。
◇
どのくらい走っただろうか。5分か。10分か。フラストレーションを解消する方法を見いだせずに、僕は知らない街を走り続けていた。
意外なことに体力が尽きる気配はない。全力疾走を続けているにもかかわらず、立ち止まりさえしなかった。
途中ですれ違ったサラリーマンは目を剥いて仰け反り、女子高生は悲鳴を上げ、ストリートの若者はこぞって僕にケータイのカメラを向けた。
そんな視線が嫌で。逃げるように人の少ない方へと獣は走る。
気づけば閑静な住宅街に来ていた。今の僕にとって、人通りが少ないのはありがたい。
【〈獣性解放〉の効果時間が終了しました】
……何をしているんだ僕は。
走る速度が落ちる。急速に気分が冷えていく。殺意が晴れていく。
そもそも女性のブースの扉を勝手に開けたのは僕だ。マナーに欠けている。その挙句に自滅ときた。ジネッタもさぞ呆れたことだろう。なんという精神の弱さか。
みるみるうちに冷えていく頭。なぜこんなに混乱していたのか自分でも分からない。恐怖にかられて無意味に走り回って一体何になるというのだ。
僕は二本足で立ち上がると、〈四足歩行〉を解除するように心のなかで念じた。
【〈四足歩行〉を解除しました】
頭のなかで何か音が鳴った。すると両肩と股関節がガクンと嵌まり直し、僕は二足歩行に戻る。今回は時間がかからなかった。スペックの存在を知ったからだろうか。
雑居ビルを飛び降りた辺りで同じような音を聞いてから、身体が何かに衝き動かされるようにして走りだしたのを思い出す。スペックを開いてみると、やはり新しい項目が増えていた。
〈獣性解放〉:気分が高揚し目の前の戦闘に没頭することができる。また五感が鋭敏になり、臭いや音で周囲の気配を見ることができるようになる。ただし使用時に強く意識しない限り敵・味方の区別がつかなくなる。使用から10分間持続する。
ベルセルク。狂戦士にルビを振ることが多いこの単語は、元は北欧神話の戦士を指す。主神オーディンを信奉し、戦闘に突入すると忘我の熱狂状態に陥り獣のごとく暴れまわるのだ。熊か狼の毛皮を身に付ける、という意味合いの言葉らしい。
……このスペック。敵味方を強く意識するのを忘れなければ、使えるかもしれないな。
しかしすぐに思い直した。もし横にケーニッヒが立っていたとして、僕は心から彼を味方だと思えるだろうか。無理だ。
それに颯爽と助けに入った仲間に襲いかかるという展開も考えうる。そんな仲間はまだいないし、そもそもそんな事態は御免こうむりたいが。
やはり制御できない類のスペックだ。この手のものはなるべく使用を避けたい。
さて僕は今どこにいるのだろうか。住宅地のようだが、ネカフェに帰る道が分からない。
何か住所の目印になるようなものはないかと、周囲を見渡して気づいた。まっすぐ近づいてくる10人近い数の男たち。ミラーシェードに揃いのダークスーツを着た企業の連中。
咄嗟に踵を返すが、背後にもやはり同じくらいの人数が迫っていた。前回の倍以上の手勢だ。マズイ。
どうしようかと僕が身構えていると、前方の男たちの中からひとりの女性が進み出た。
丈の短い黒いマントをなびかせ、暗緑色の軍服を着ている。下はスカートではなくズボンだ。腰の左右に2本の短剣を差している。耳が尖っているからエルフだろう。その目は僕を真っ直ぐに見ていた。
「はじめまして。私はCLDサージェン皇国の宮廷魔術師。第六席、名はフェル」
宮廷魔術師? 第六席?
僕は警戒しながら後ずさる。それを見て笑みを深めたフェルは、
「迎えに来たわよ、『ボーイ』」
僕を安心させるかのように優そうな声音で言った。
第三のヒロイン現る!と言いたいとこですが。
それにしても異種族、多いですね。気がついたらメインキャラクターにヒューマンがほとんどいない。パノスだけが良心。




