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1.プロローグ

 コンビニにペットボトルのジュースと惣菜パンを買いに行った帰りのことだった。


 ドンッと強い衝撃とともに僕は地面に投げ出された。

 目の前は真っ暗で、身体の節々がジンジンと痛む。


 ……車にぶつかったんだ。


 ブレーキの音と、間近に感じるアスファルトの匂いで、自分の状況を察した。

 すぐに起き上がろうとしたけど、まるで自分の体じゃないみたいに、ピクリとも動かない。

 ドクドクと自分の鼓動を聞きながら、徐々に内側から冷えていく感覚。


 ……ヤバイ。これ死んだかも。


 不安と恐怖に駆られながら、僕は身体を必死に動かそうと藻掻(もが)く。

 動け。動かない。腕は? 動かない。脚は? 動かない。指は? 動かない。目を開けろ。開かない。首を回せ。回らない。

 そうだ何か喋ろう。喋れない。近くに人がいるなら助けを呼ぼう。喋れない。

 どうしよう、動かない。僕の身体、どこも動かないじゃないか。


 そのとき、僕は何かに引っ張られているのに気づいた。

 身体を、ではなく意識を。まるで掃除機で魂を吸い込まれてるみたいに。


 ……何これ。どうなっちゃうの。


 身体から剥がされた僕の意識は、ウォータースライダーに流されるようにして、どこか遠くへ落ちていった。


     ◇


 血の匂いに目が覚めて、僕は痛む身体で起き上がった。

 暗い路地裏だ。

 先程、車にぶつかったのは広い道路だったはずなんだけど。

 疑問に思いながら辺りを見渡すと、横倒しになったバンの車体が目に入った。全開になったトランクのドアから、棺桶のようなものがはみ出ている。

 そのすぐ傍で、知らないオジサンが脇腹を抑えながらこちらを見ていた。

 紺のスーツにビリジアンのネクタイ。サラリーマンのようだ。白いワイシャツには血が滲んでいる。脇腹を怪我しているらしい。傍目に分かるほどの出血量だ。

 僕はオジサンの耳が妙に長く尖っていることに気づいた。


「……エルフ?」


 思わず呟いた言葉は、驚いたことに日本語じゃない。英語でもなさそうだ。

 自然と口をついて出た言葉が奇妙で、僕は車にぶつかったときに頭を打ったのではないかと心配になる。

 だがオジサンは気にした風でもなく、にこやかな笑顔で言った。


HelloWorld(おはよう).……無事に目が覚めて何よりだ。言葉は分かるだろう? 君のメモリには主要言語がプリインストールされているからね」

「…………?」

「エルフを見るのは初めてかい」


 何を言っているのか。

 僕が首を傾げているのを見て、肩をすくめたオジサンは早口でまくしたてた。


「状況が分からないのも無理はない。理の外側から救い上げられて、まだ間もないからね。時間がないからよく聞いてくれ」

「う、うん」

「君はこの世界の理の外側から抽出された高度情報体だ。君を埋め込んだその肉体は、国営企業群イセの万魔殿(ラボラトリー)で生まれた魔人(ヒューマノイド)だ」

「待って、分からない。何を言っているの」

「聞け! 肉体の調整と情報体の埋め込みまでは上手くいったんだが、そこでテロリストどもに襲撃された。私は君の寝床と逃避行して、寝坊助の君がようやくお目覚めってわけだ」

「…………」


 このオジサンの言っていることが分からない。分からないはずなのに、()()できた。

 僕は企業の研究所で生まれた人造人間だということだ。機械ではなく、生体部品を中心に構成されているから、僕の理解している人間とさほど変わらない。いやかなり違うのだが、人間として生きていく分に不自由ない、という点で人間と変わりない。

 また言語能力と百科事典を頭に丸暗記させた状態になっているようだ。脳内で膨大な知識の片鱗に触れれば、とめどなく意味と言葉が溢れてくる。だがそれが何の役に立つのか、僕には判断する手段がない。

 むしろ今いるこの世界が、自分が元いた世界とまるで違うことに戸惑いを感じた。

 日本でなく、地球ですらない。僕の元いた宇宙のどこかに存在する保証のない、文字通りの異世界だ。

 オジサンの言葉は理解できる。僕の頭の中には、オジサンの話す言語が十分な語彙と共に収まっている。だが、状況は不鮮明だ。


「……僕は、どうなったの。死んだの?」

「死んだ? 君の元いた『理の外側』の話なら、私には何ひとつ分かることはない」

「……そう」僕は(うつむ)く。


 車にぶつかった僕はどうなったのだろうか。魂だけがこの異世界に運ばれて、身体は死んだかもしれない。

 唐突に始まった新しい人生のスタートラインは、既に切られている。()()のことはひとまず置いて、目の前の事実に対面しなければならない。

 頭を切り替え、ふとオジサンの押さえている脇腹が気になった。真っ赤に染まったワイシャツ。血溜まりができている。


「その傷……テロリストって言ってたけど」

「ああ。奴らに撃たれたんだ。安心しろ、お前には傷ひとつないはずだ」

「撃たれたのは、銃で?」

「そうだ」オジサンは眉をひそめた。


 銃。プリインストールされた知識にもある。この世界にも銃火器がある。

 だが、僕の知識には主要な兵器として、もっと別の気になるものがあった。


「この世界には、魔法があるの?」


 オジサンは不思議そうな顔をして、頷く。


「あるさ。君の世界には、なかったのかい」

「うん……」


 周囲を見渡す。今いる路地を囲む建物はコンクリート製で、地面はアスファルトで塗り固められている。ところどころにある街灯は電気がある証明だ。

 科学と魔法が高度に発達した世界。

 僕の想像をたやすく越えて、それはここに存在した。

 そのとき、街灯の近くを小さな影が横切った。目を凝らすと、影が窓の軒先にぶら下がった。コウモリだ。

 元いた世界でも見たことのある小動物に安堵を覚えていると、オジサンが眉間を寄せた。


「いかん、〈使い魔〉(ファミリア)だ。見つかったぞ!」

「――え?」


 その言葉に記憶を辿る。ポピュラーな魔術のひとつで、主に小動物を使役するものだ。

 オジサンがどのようにそれを見分けたのかは不明だが、ネズミやコウモリなどの動物にも気を配らなくてはならないのか、とゲンナリする。

 この世界の軍事技術に思いを馳せ、腰を浮かしたところでオジサンの様子がおかしいことに気づいた。

 オジサンは立ち上がろうとして、座り直すのを繰り返していた。


「大丈夫ですか」

「いや。悪いが動けそうにもない。君は急いでここから逃げてくれ」

「でも……」


 オジサンを置いて逃げるのは(はばか)られた。単に罪悪感が咎めるのと、この世界の常識を辞書的な知識でしか知らないことに対する恐怖とが半々だ。ひとりで放り出されても困る。

 僕はオジサンを抱えて逃げようと思い、手を差し伸べかけて気づいた。腕が驚くほど細い!


「君は生まれたばかりだ。言語や知識はプリインストールできても、魂に相応しい肉体は、成長を待たなければならない。襲撃のせいでその時間はなくなってしまった」

「そんな……」

「それでも走るのに支障はないはずだ。私を抱えては無理でも、ひとりで逃げる分には……君の努力次第かな」


 そこは断言して欲しいところだ。しかし贅沢も言ってられない状況に、口を挟む余裕はなかった。

 自分の命が惜しい。

 さきほど死んだばかりの、哀れなほど率直で当然の欲求。

 僕は、オジサンを見捨てて、逃げる決意を固めた。


「……最期に君の名を教えてくれないか」

「僕の?」

「そうだ。万魔殿(ラボラトリー)ではテキトーに『ボーイ』などと呼んでいたんだが、君には元いた世界での名前があるだろう。それを教えて欲しい」

「僕の名は、豊田(とよだ)ユウ」

「ユウ。……すまない。君をこの世界に呼んだ我々の勝手については申し開きもないし、謝罪のつもりもない。だが君のこれからの人生を困難なものにしたことは、謝らせて欲しい」

「…………」


 僕は死んだ。そして新しい人生を与えられた。

 たとえ新しい人生が困難なものになろうとも、それについては感謝しか思い浮かばない。


「オジサン。オジサンの名前、まだ聞いてない」

「はは。そうだったな。私の名は――」


 BANG(バン)


 オジサンが仰け反るように跳ねて口から血を吐き、遅れて僕の耳に銃声が届いた。

初投稿です。

果たして少年は無双できるのか。

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