序章【4】
翌日の朝、普段着ている革の衣服ではなく、流れるドレープも豊かなドレスに着替えた私は長い階段の中腹に居た。
赤い絨毯がしかれているそれは、全ての屋敷に切れ目無く届いている。
もちろん、今見下ろしている玄関に向けても。
近づいてくる気配に苛立ち、仕舞っている羽がうずうずと動く。
すると私の落ち着かない様子に気がついた梅香が苦笑して私に手を伸ばしてきた。
小悪魔で居る私からすれば見上げるほどの大男は、あやすように私を抱き上げる。
藍色の瞳が目前に迫り、じとりと睨みつけるが抱き上げた手は離されない。
「落ち着かないみたいだね、伽羅。そんなに勇者ご一行が来るのが気に入らない?」
「ええ。判っているでしょう?私は白檀様に仇成そうとするもの全てが嫌いなの。ご命令でなければこの屋敷の敷居を跨ぐ前に消し去ってやりたいわ」
「それはまた物騒な話だな。折角可愛らしい姿をしているのに」
「これは私の趣味じゃないわ。菊花に無理やり押し付けられたのよ。白檀様のお顔を立てるためでなければ、誰が『白』なんて着るものですか」
見下ろす衣装は染まらぬ純白。
いらり、と湧き上がる黒い想いに唇を噛む。
他の魔族の趣味は知らないが、私は白は好まない。
私が好きなのは白檀様の色である黒で、基本的に服もリボンも装飾品につける石も黒で統一されている。
それなのに用意されたのは菊花の意志が通された白。
幾重にも重なるレースも好みではない。絡み付くように流れるリボンが不快ですらある。
それでも白檀様が良いと仰ったとの一言で、噛み付きたい気持ちは頭上から押さえ込まれる。
かの人と正反対の色を纏う屈辱と、かの人直々の言葉は複雑に私の心を乱し混乱させた。
私の感情を全て読み取っているとでも言いたげに唇を歪めた梅香は、子供にするように頭を撫でた。
落ち着かせようとしてるのだろうが正直全くの逆効果だ。
けれども見詰める眼差しがあまりにも静かで、仕方なく深呼吸をして気を静める。
「仕方がないさ。ここの世界の人間は僕たちと違って『黒』よりも『白』を好む。僕たち魔族よりも天使族により近い生活を送っているからね」
「いっそ、永遠に天使族に管理されていればいいのよ」
「それは出来ないと君も知っているだろう。世界は正と負で成り立つものだ」
「それくらい判っているわ」
「ならそろそろ機嫌を直すんだ。勇者様ご一行が門を潜ったみたいだ」
言葉と同時に宙に映像が映し出された。見なれない馬車ががたごとと揺れている。
立派な葦毛は賢そうな目をしていた。
この魔力の波動は菊花のものだ。きっと、いい加減に持ち場に戻れと無言で促しているのだろう。
一つ息を吐き出すと梅香の腕を叩く。こうなれば初めての体験だからと下がらせた香を傍に置いておけばよかったと少しだけ後悔した。
力が緩んだのを確認して、彼の腕から飛び降りる。
視界の端に赤いリボンが揺れて、少しだけ気が紛れた。
唯一身に纏う白い外の色は、ずっと昔に白檀様に与えられたものだ。
魔力で加工して使っているので腐食は見当たらない、血の色よりも濃い紅色のお気に入りの一品だった。
「一人で大丈夫かい?」
「誰に言ってるの?」
「それはまた失礼。なら僕は大人しくここから観察させてもらうよ」
言葉と同時に姿が消える。
紛れるように感じた気配に、存在はまだここにあるのを意識した。
別の部屋から見ている菊花とは違い、彼はこの場での見物を選んだらしい。
それも人には判らぬよう、しっかりと姿と気配を消して。
悪趣味だと瞳を眇めれば、幼馴染だからこそ判る微かな気配が笑いに揺れる。
どうせ止めても聞きはしない。ならば無駄骨は折りたくないと一つ息を吐き踵を返す。
気配を辿れたとしても彼の姿は目に映らない。
私にすら姿を隠し、けれどその存在感だけをアピールしたまま留まるのは、感傷に流されそうになる私を阻めようとしての彼らしくない配慮かもしれない。