四日目【9】
午後から白檀様と対談が入っているフレドリックと別れ、私は一人与えられている領域へと帰った。
最近は香に任せきりにしていたが、『拾い物屋敷』に拾ってきた生き物の面倒は基本は自分で見ると白檀様と約束している。
私の我儘を叶えてくださった白檀様に迷惑は掛けれないし、何より責任のないことは出来ない。
部屋に戻ると自室から出た。
この『拾い物屋敷』の構造は二階建ての木造建築だ。
中央に大きな階段があり、一階部分には部屋が6つとキッチンと風呂場がある。
二階は全てが私の私室一面となっていて、特に重傷な『拾い物』が居るときはこの部屋で看病した。
最近はそこまでの重傷な拾い物はしていないので、基本的にこの時間は一階の中央にいる。
階段を降りた後ろにある中央の部屋は私の部屋の次に広く、入り口のドアはいつでも開放されていた。
部屋の中には様々な種類の拾い者が居るが、彼らには生存本能がないのか、食物連鎖をそのまま入れておいても争いはない。
部屋からは中庭に続く窓も全開にされ、日光浴が好きなものは勝手に外に出て夕食時に帰ってくるのが常だった。
「お姉さま!?どうされたのですか?」
「時間が空いたから昼食はこちらで摂ろうかと思って。黒方は?」
「まだ眠っておいでです。昨晩白檀様とご一緒されてから徹夜でお話されたのですよね?白檀様から自然と目が覚めるまで放っておけと命じられました」
「そう。なら、昼食は二人で摂りましょうか。用意してくれる?」
「はい!飛び切り美味しいお料理を準備いたします!」
そう言えば昨日は子供のように興奮していた黒方は、先に寝た私と違いずっと白檀様と話していたのだった。
目が覚めたとき二人とも眠っていたので気にしなかったが、黒方が眠いなら白檀様も眠たいだろう。
今日は早めに休んでいただかなくてはと心に決めつつ、嬉しそうに頬を染めてこちらを見ていた香に笑いかける。
瞳を輝かせて立ち去った香を見送り、そのまま視線を室内に向けた。
少し空気が悪い気がしたので力を使い入れ替えると、顔を伏せていた拾い物たちがこちらを見る。
一斉に何十のも瞳を向けられたが躊躇することなく中央まで進み出る。
そして床へと蹲る数匹に近寄り、触診を始めた。
室内に残っていたのは十匹近い数の獣だ。
彼らは四肢を失ったり怪我をしていたりで、満足に身動きは取れない。
ただの獣である彼らに菊花が癒しの力を与えるはずもなく、私自身必要がないと断じているため彼らは基本的に自然回復を待つ事になる。
たまにハークやアークのように例外が生まれるが、この場に私の力を受け継いだ存在は香と、もう一人しか居なかった。
静かに触診を続け様子に変わりがないのを確かめると、体を摺り寄せたり舌で舐めてこようとする彼らをいなして立ち上がる。
室内の拾い物の確認をし終わったら、次は庭の拾い物の確認が残っていた。
庭に出るとそこに居るのは動けるばかりなので、呼ばれもしないのに勝手に集まってくる。
大小併せて十を軽く超える彼らも、室内の拾い物と同じように触診し傷が悪化していないのを確認して立ち上がった。
ここでも擦り寄るものや、舐めてくるものが居たが好きにさせる。
べた付いた手は洗えば落ちるし、毛だらけになった服も着替えればいいだけの話だ。
僅かに鬱陶しいと感じる思いもあるが、振り払うほどでもない。
従うように付いて来る彼らを余所に、私は庭の中央付近まで歩くと足を止めた。
「まだ生きてるかしら?」
「・・・・・・」
ひゅーひゅーと掠れた呼吸が漏れ、彼は瞬きのみで返事をした。
どうやら予想よりも疲労が激しく出血が多かったらしい。
辛うじて胸は上下しているが、意識を留めておくのも難しそうだ。
それでも尻尾を振ろうと力を振り絞るアースの前で、芝が生えている地面へと膝をついた。
真っ赤な毛並みに手を伸ばし、耳元を軽く撫でる。
心地良さそうに瞳を細めたアースの瞳孔は縦に開き、焦点は定まっていないようだった。
この状態だと鼻も利かないだろうし、辛うじて音が拾えるくらいか。
私が触れているのに腕一本動かせない彼は、ゆっくりと瞼を閉じる。
胸に空いた穴も斬りつけた足も傷は塞がりきっていない。
空気に触れて固まった血が出血を留めているが、体温は下がり触れただけで危険な状態だと判った。
「死にたいかしら?」
「・・・・・・」
「殺してあげましょうか?」
「・・・・・・」
問いかけに、一回だけ尻尾が揺れる。
伝心と呼ぶにも未熟な意思疎通方法で流れた感情に、私は僅かに口端を持ち上げた。
『死にたくない』『まだ傍にいたい』
言葉にすらならない想いは、すとんと私の胸の奥に入り込む。
人であることを捨てたアースの感情は、悪魔の私には判り易い。
『愛している』『傍において』
繰り返し繰り返し伝わるそれは、とても覚えがあり共感できる。
点滅しては消えていく感情に、私はゆっくりと立ち上がった。
これで死にたいと僅かにも思えば、いっそ一息に殺してやるつもりだった。
アースは人間と同じ感情も知性も有するが、所詮は半端な生き物だ。
この先どれだけ訓練しても昔のように人語を話すこともないし、人型へと変化することもない。
それは魂の許容量を遙かに超えた分を弁えぬ行為であり、同時に望んだ瞬間がアースとしての存在の崩壊の始まりだ。
私の傍に居るためだけに魔物になったアースは、人であることは捨てている。
「貴方は人間だったけれど、思考が魔に近かったのかしら。それとも私が堕としたからそうなのかしら」
「・・・・・・」
「私は貴方の親友が嫌いよ。昔も、───そして今も。貴方が生まれるずっと前からそうだったように」
立ち上がったおかげで近づいた背中に、そっと手を触れる。
執念で生にしがみ付くアースに、私は見えないよう微笑んだ。
「死にたくなったら呼びなさい。優先事項がなければ、殺しに来て上げるわ」
「・・・・・・」
ぱたり、と尻尾を振り了承を示した彼は、そのまま意識を失った。
室内から香に呼びかけられ、アースに対して背を向ける。
それきりもう彼の存在は頭からすっかり消え去った。