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三日目【14】

夜の帳に包まれた空間。私のために白檀様が用意してくださったこの箱庭は、すこぶるよく出来ている。

昼には太陽の光が射し、夜には月光に照らされる。

四季もあれば天気の変動もある。


屋敷の屋根に腰掛けて風に流れる雲を見詰める。

雲は空気中に固まって飛ぶ水滴、あるいは氷粒が固まり出来たものだと嘗ての家庭教師に教えてもらった。

しかしそれは空にある雲だけで、もっと上には別の形の雲と呼ばれる存在もあるらしい。

私は見たことがないが、星で出来た雲もあると家庭教師は教えてくれた。

いつか私に見せたいと笑った彼は、あちらの世界で元気にしているのだろう。



「お姉さま」

「・・・香」



懐かしい相手を思い出していると、不意に後ろから声を掛けられる。

気配に気付いていたので驚きはない。

瞼を閉じたまま、それでも危うげない状態で屋根を歩いた彼女は、私の隣へと腰掛けた。



「下に行かなくて宜しいんですか?」

「ええ。黒方も白檀様と話したいでしょう」

「でもお姉さまが遠慮される必要はありません」

「遠慮なんてしてないわ。ただ、白檀様も黒方との時間が望んでいらした。私だけでよければあちらの屋敷で食事を召されたと思うもの。だから、少しだけ二人の時間を差し上げたいの」

「・・・お姉さまが宜しければ、あたしもいいですけど」



唇を尖らせた香は、拗ねたように俯く。

その心遣いは素直に嬉しく、柔らかな髪に手を通した。

今は小悪魔でいるため彼女の方が少し高い位置にある。

耳元を擽るように手を動かせば、猫のように掌に顔を押し付けてきた。

目を細め構っていると、階下からぐるるると喉を鳴らした声が聞こえる。

それに素早く反応したのは香で、嫌そうに眉間に皺を寄せて舌打した。



「あの獣、いつまでこちらに置いておくのですか?」

「怪我が癒えるまでよ。勇者は彼が目に見えない場所にある方が安心できるみたいだから」

「・・・状況は何も変わらないのに?」

「目に映らないものはないのと同じ、ということでしょうね」



声に引かれ視線を下げると、そこにはこちらを見上げる獣がいる。

朝より随分と楽になったようで、庭に染み出る血は止まっていた。

それでも貫かれた腹と足の傷はまだ癒えておらず、立ち上がるのは無理なようだった。

必死に首だけ上げ、その視線を私へと固定している。



「早く癒せばいいのに。予めお姉さまから血を摂取していたのでしょう?」

「そうね。別に予定していたわけじゃないけれど偶然に」

「ならば活性化しているはずなのに、何故あそこまで治りが遅いのですか?」

「彼は半端者だもの。元は人間。魔物に堕ちたものの、その能力は完璧ではない。歪みがどこかにあるのだと思うわ」



本来、眷属の傷を癒すには主の血肉や体液が一番適している。

眷属の血肉で主は回復しなくとも、主の血肉を分け与えれば、それが眷属にとって何よりの薬となり、体の活性化を促す。

しかしながらアースは無理やりの形で自身で魔物へと成り下がった挙句、その力も未だに安定していない。

私が滅多にそれらを与えないのも原因の一つだろうが、何より魂が歪んでいるのが最大の原因だろう。

魔物の体に人間の魂。本来ならありえない強制的な環境だ。



「あたし、あの獣嫌いです」

「どうして?」

「お姉さまに傷を与えたから。眷属でありながら身の程知らずに主に牙を剥く駄犬です」

「そうね。それでもあれは事故でしょう」

「事故?主に怪我を負わせたのがですか?」

「ええ。アースが怒るのを知っていて油断した私も悪いわ。あの場所は彼が私のために作った場所。眷属が主を慕うのは当然。それなら眷属の想いを理解するのは主の義務。怠った私が罰を受けるのは当然でしょう」

「それでもっ・・・それでも、お姉さまに傷を負わせたなど赦せません」



瞼を閉じたまま必死に私を見つめる香は、一心に私に訴えた。

その気持ちは理解できる。

彼女も私の眷属の一人。

『眷属』は『主』を愛するものだ。

傷つけられるなど赦せるはずもない。

怒り狂いながらも手を出さないのは、偏に私が許可しないからだろう。

許可した瞬間にアースは香の力で欠片も残さず粉砕される。

魂すら握り潰し、世界に一片も存在の証を残さない状態まで嬲り尽くす。



「赦す必要はないわ」

「お姉さま」

「けれど処断はさせないわ。私の眷属への処断は私にのみ赦される権利よ」



喉を震わせ声を上げるアースを見下ろし諭すように呟く。

アースの傷は相当な深手だ。

私は手加減はしなかった。

生き残る確信はあるが、もしかしたら体のどこかに欠陥が残るかもしれない。



「お姉さま」

「何?」

「あれは、元は人間だったのですよね?」

「ええ、そうよ」

「・・・人間の気持ちは移ろい易いものだと私は聞きました。それなのに彼は魔物として生きています。存在する子孫へは欠片も興味を抱かず、お姉さまだけをその瞳に映し、死に掛けてもまだ意識を引こうと媚びています」

「そうね」

「私には人間が理解できません。代わりがあればそれで満足するのではないのですか?想いはすり替わるのではないのですか?忘れていくものではなかったのですか?天使と悪魔の中間が人間の特色であるなら、何故彼は獣へと堕ちたのでしょう」

「・・・どうしてなのかしらね」



淡々と問うてきた香に、私は答えを持っていなかった。

長く見てきたが人間は理解できない。

理解しようとしていないからかもしれないが、理解しようとしても理解できないのだろう。

相容れない存在、それは私達だ。


例えば今目の前でアースが死んだとしても私の感情はぶれない。

しかし、彼とほとんど関わりのない勇者一行は酷く動揺するのだろう。

自身と関係がない存在が死ぬ。

それだけで怯むのが人間だ。


そして。



「時として天使よりも博愛主義で、時として悪魔同様一途になる。それが人間なのでしょうね」



我を通すために形振り構わず振舞われた結果が現状にあると、少なくとも知っていた。


静かに輝く月は美しい。



『悪魔は、どんな生き物なのかな?』



不意に響いた声に身を震わせ辺りを見渡す。

驚いたように香が私を伺い、それが空耳だと知った。




忘れれない面影がある。

魂を削られた痛みがある。

何を失くしても惜しくない恨みがある。



月明かりのように静かな微笑みを浮かべた『彼』を、私は絶対に赦しはしない。

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