三日目【13】
何だかんだで白檀様と勇者に混ざった会談は夕食の少し前まで続いた。
腹を鳴らせたフレドリックに白檀様が笑い、梅香に今後の予定を確かめたところ、『勇者のみこちらに寄越して欲しい』とのことだったのでそのまま告げると、不服そうな顔で彼は私を睨んだ。
しかし『私が拾った二人も交えての夕食を仲間が望んでいる』と告げれば、不承不承ながら了承はした。
迎えに来た梅香に伴われて勇者が姿を消すと、息を吐き出し体の力を抜く。
やはりどうしても無意識に入る体の力は刻み込まれた苦手意識の所為だろう。
力の抜けた私を片手で抱えなおした白檀様はそのまま椅子から立ち上がる。
いきなり高くなった視界に瞬きを繰り返すと、悪戯が成功した子供のような顔で笑った。
「夕食はあちらで摂るのだろう?」
あちら、とは勿論私が与えられている屋敷のことだろう。
先ほど梅香から伝心で言外に来るなと言われた時に、香との約束を確認されたからそのことを言っているに違いない。
頷けば猫のように目を細めた白檀様は、私を片方の腕に座らせると顔の位置まで持ち上げた。
闇よりも尚濃い黒い瞳が私を覗き、どくり、と鼓動が脈打つ。
核は違うが悪魔にも心臓はある。
早くなる脈に頬が赤らみ、そわそわと落ち着かない気持ちになった。
そんな私を見透かすように笑みを深めると、空いた手で私の髪を梳く。
「俺もあちらで夕食を摂ろう」
「白檀様も───ですか?」
「ああ。香のことだ。夕食の準備などすぐに整えるに違いない。そろそろお前の好物のスープを作る頃合だろう」
「ああ、そうですね。そう言えば、口調が心持ち楽しそうでしたから、そうかもしれません。驚かせたい時はすぐに嬉しそうな声音になりますから」
「それに黒方の御菓子もあるだろう。あれの作る料理は美味いし、顔も見ておきたい。こちらからしたら久しぶりだしな」
くしゃり、と身内にしか見せない笑顔を浮かべた白檀様に私も頷いた。
確かに時間の枠が違うとはいえ、こちらの世界で換算すれば黒方と顔を合わせたのは大体20年前だ。
あちらで言っても数年の期間で顔を合わせていないため、顔くらい見たいだろう。
何しろ黒方は白檀様が保護している立場にある。
『養い子』との言葉どおりに彼の子供は私だけだが、保護者として見れば黒方も同じような立場だ。
小さかった黒方は身長が随分伸びたが、白檀様からしたらまだまだ子供だろう。
彼を可愛がっている白檀様を知っているので、至急香に連絡を取る。
少しばかり焦っていたが『是』と返事が返ったので伝えると、ならばすぐに行こうと移動した。
「・・・!?白檀!」
唐突に目の前に現れた私と白檀様に、畳の上で寝転がっていた黒方はがばりと上体を起こした。
湯のみと呼ばれるコップと、急須と呼ばれるポットを傍に置き、行儀悪くも寝転んだまま本を読んでいたらしい。
絵と文字が乱れる童話のような本と、文字ばかりの専門書。
言語も何種類か分かれているそれを無造作に積んでいた黒方は、物によっては相当な希少価値があるそれらを片手で退けると私と白檀様の前に座布団と呼ぶクッションを置いた。
並べられたそれに足を乗せようとし、中途半端な位置で白檀様が止まる。
黒方が言っていた、『畳の上は靴で昇らない』を思い出したのだろう。
靴を履いて家の中を歩かないのは元の世界の東の国とよく似ているが、あそこの床はフローリングだった。
この畳に未だに慣れない白檀様の靴を力を使って消すと、礼の代わりに私の頭を撫でた彼はそのまま座布団へと足を置く。
「久しいな、黒方。元気だったか?」
「ああ。・・・こんなに長くなるなんて、聞いてなかった。前はもっと定期的に帰って来たくせに」
「もう子供じゃないと俺たちを送り出したのはお前だろう?」
「それでも、だ。二人とも全然帰ってこないから、こちらから来てしまった」
ふいっと顔を逸らした黒方は、どうやら拗ねているらしい。
私には態度を誤魔化したくせに白檀様の前では素直なものだ。
確かに、黒方が私達のところに来てからこれほど長期に渡り顔を合わせなかったのは初めてなので、色々と不安が過ぎったのだろう。
彼一人でこちらの世界に来れるはずがないから、協力者がいるはずだ。
該当するのは白檀様に仕える執事と、私達と面識がある白檀様の兄貴分。
執事の方は手を貸すと思えないので、きっと後者の彼が面白半分で力を貸したのだろう。
それであれば白檀様が黒方の存在を知っていた理由も納得できる。
予め知っていれば不干渉のこの屋敷内部にいても黒方の存在を認知していたのは不思議じゃない。
身長ばかりが大きくなった黒方は、分厚いレンズの下で瞳を輝かせているだろう。
彼は実の父親に対するように白檀様を慕っている。
そして白檀様も名前を呼び捨てにするほどには黒方を可愛がっていた。
久しぶりの顔合わせに私の心も少しずつ解れる。
ノック4つが室内に響き、返事をするとお茶の用意をした香も現れた。
ゆったりとした空間に、胸の奥深くにある心の中心が揺れた気がした。