序章【2】
「やれやれ。本当にあなたは心配性でいけない」
「うるさいわ」
「本当だな。魔物のトップレベルにいると認識されている僕たちよりも、百倍は強いと知っているだろうに」
「黙れ」
「度を越えれば無礼にしかなりませんよ」
頭の上から降ってくる小言に、私は足を止めた。
謁見室からもう随分と歩いているが、菊花と梅香の言葉がやむことはない。
私の怒りを感じてか、すれ違う部下も一人もおらず、調子に乗っているらしい二人は普段は滅多に共同戦線などはらないはずなのにと忌々しく感じるほど息がぴったりだ。
何が言いたいと睨もうにも身長差がありすぎて、首を上げるのも結構辛い。
なので端的に切って捨てていたが、我慢も限界に達しそうになっていた。
瞳を閉じ意識を集中させる。
「おや」
「おお」
瞳を開けたときには、彼らの視線は随分と近くにあった。
小悪魔の身体であるときの私は身長が僅かに135cmほどしかなく、長身である二人───特に梅香は人型でも二メートルを超える巨体である───に視線を合わせるだけでも一苦労だが、本来の姿に戻った今ならばさして難しくない。
髪の色が濃くなりさらなる輝きを放つ。右で結っているそれを後ろに流すとすっと目を細め彼らを睨んだ。
肌を包むのは黒革で出来た露出の高い衣装。長い足にヒールの高いブーツを履いき高らかに靴音を響かせ距離を詰める。
先程よりも首を上げる角度が柔らかくなった菊花を睨み、次いで視線をずらすと少し首を上げ梅香も睨む。
「静かにしろと言っているのが聞こえないの」
「怖いな。小悪魔の姿でいるときはまだ可愛らしさが前面に立つくせに、本来の姿に戻ると怒りもまた違った印象を与える」
「全くです。白檀様の側近としては余程そちらの姿の方が相応しいでしょうに」
「煩い。菊花、あなたの言葉に従う謂れは無い」
「まぁ、そうでしょうけどね」
「勿体無いとは思うけどな。いい身体をしているのに」
無造作に伸ばされた手が胸を掴む。
頬を赤らめる必要も、いまさら恥らう関係でもなかった。だが、不快には思う。
眉間に皺を刻み、力を使おうとした瞬間。
ばちり、と音が弾け青白い閃光が火花を散らす。
「おっと・・・これはまた」
黒焦げになった己の掌を余裕の表情で眺めた梅香は、くすくすと笑いながら自分の手を前に翳した。
その顔に驚きは無く、むしろ面白がる様子だった。
ちらり、と横目で梅香とは反対隣にいる菊花を眺めればため息を吐きながら眼鏡を指先で押し上げている。
その姿に内心で胸を撫で下ろした。
「大丈夫ですか!?お姉さま!」
大理石の廊下に響いたアルトの声。
様々な呪が刻みこまれた褐色の肌に濃緑の髪を持つ少女は、黒地に赤の入ったターバンを髪に巻いている。伏せられたままの瞳は彼女が盲目であることを示していた。
何よりも特徴的なのは身体中に彫られた呪。普段は黒いそれを怒りのため赤く発光させた存在にため息を一つ落とす。
成体でいる私の胸ほどまでしかない少女───香は私のただ一人の傍仕えであり腹心の部下だ。
だが白檀様の側近である私の傍仕えであっても、一個人で見れば私と肩を並べる梅香の方が当たり前に香より身分は上になる。
普段どれだけおちゃらけていようと、気が向けば城のメイドどころか人間にすら手を出す好色男であろうと、彼は魔王側近なのだ。
けじめをつけるべき相手───つまり、他人の目がないところで何をされても子猫に引っかかれた程度にしか思わない梅香は処罰を下したりしないだろう。
だが、相手が菊花となれば話しは別となる。
元天使であった所為か彼には規律に厳しい部分がある。
上下関係をはっきりとさせるのを好み、分別を弁えない小物は容赦無く消すこともあった。
しかしながら何故見逃すのかは理解できないが、今のところ香に手を出す気は無いらしい。
「香。こちらへ来なさい」
「はい、お姉さま」
「───怪我はない?」
「はい。あたしは大丈夫です」
「酷いな、伽羅。今のは何をどう見ても僕がやられてただろう?僕の心配はなしなのか?」
「あなたのは自業自得でしょう。その位で済んだことを感謝すべきです。あと数瞬でも遅ければ伽羅があなたの手を吹き飛ばしていたでしょうから」
「そうね。その右手首があるのは香のおかげよ。感謝なさい」
「二人とも友達がいがないコメントをありがとう」
「友人になった記憶は無いですからね」
「腐れ縁ではあるけどね」
「それはどうも。涙がでそうなコメントだ」
「───涙が出たら魔族として欠陥品ですよ、梅香様。変な病気だといけません。速やかにお姉さまから離れてください。永久に、久遠に消えてくださると尚良いです」
「君は本当に伽羅以外は眼中にないんだな。年も力も身分も上の相手に物怖じ無く命知らずに主張するところは感心するよ」
「あたしはお姉さまのことでは譲らないと決めているんです。人目をはばからずお姉さまに不埒な真似をする輩など全て滅べばいい」
「・・・本当に、感心する。他の誰にでもなく、この僕に対してそれを言うのだから」
じんわりと、藍色の一重の瞳を細めた梅香は香を眺めて頷いた。
その仕草は今にも狙いを定めんとする獣に酷似していて嫌になる。
香の腕を引っ張り抱き込むと小さな悲鳴を上げた少女は、すぐに腕の中で大人しくなった。
「おや?伽羅に抱きしめられるなんて羨ましい限りだな。僕にもする気は無い?」
「全く無いわ。私の可愛い香とあなたを一緒にしないで」
「───本当に手厳しいな、伽羅は。千年近くも付き合いがあるのに」
「だからこそ、とでも言うべきかしら?」
「はぁ。本当につれないな。ま、そこも含めて魅力的なんだが」
「気持ち悪いわ」
「全くです。早く居なくなって下さい」
「本当に辛らつだな」
「仕方がありませんね、それは。普段の行いを省みてからアプローチすればいいんじゃないですか?さて、ではそろそろ私たちは失礼しましょう」
「はいはい」
「私たちは勇者様ご一行の為にしっかりとした警備体制を準備します。伽羅。あなたは白檀様直々に面倒を見るようにと言われていますのでくれぐれも粗相が無いように」
「判ってるわ。───ここに居る、誰よりもね」
「そうですか。ならば宜しい。勇者が来るのは数日後と聞いております。部屋の準備はあなたに任せます」
「随分と早いのね」
「話自体は前から上がっていた内容でしたので。人間からの面会の申し込みが続いているのはあなたもご存知でしょう?」
「ええ。この地に現れるたびに繰り返される行事ですもの」
「ならば、あなたの為に白檀様がぎりぎりまで口を開かないのも毎度のこととご存知のはず。あの方の過保護ぶりにも呆れますが」
眼鏡のつるを押し上げた菊花は、腕を組むとため息を吐いた。
言葉通りに呆れているのだろう。けれど白檀様はたかだか養い子一人の為にそこまで視野が狭くなる方ではない。
考え違いをしていると指摘しようかと思ったけれど、それより先に二人は踵を返し背を向けた。