三日目【3】
「勇者はどこまで行っても勇者と言うわけね」
嫌味を篭めて鼻を鳴らしながら睨めば、負の感情を前面に出しているにも関わらず、それを向けられた勇者は笑みを深めた。
打っても響かない態度に、じとり、と眉根を寄せる。
取り繕うなというなら、それを糧に白檀様に文句を言うのなら、態度くらいは改めよう。
髪に手を入れてかき上げる。ふさりとした金色の髪が一瞬だけ視界を遮り、そのままの流れで髪は右上で纏めた。
早業に目を丸くする勇者───フレドリックを眺めると、うんざりと息を吐く。
「凄いな、それ。どうやったんだ」
「力の応用よ。どうせ人間には出来ないわ。追求するだけ無駄」
「・・・初日の初めの会話より素っ気無いな。そっちが素か?」
「そうね。───戻して欲しければ戻すわ」
「いいや。そっちの方があんたに似合う。失礼で無遠慮で高慢ちきだけどな」
「・・・・・・」
どちらが無遠慮だと突っ込みたいが、言葉は喉奥で咬み殺す。
見た目と違い、この勇者は遠慮がない。もしかしたら想像するより若いのかもしれない。
ここ何代と続いた勇者がもう少し落ち着きがあったので、どう対応していいか迷う。
考え込んでいる私に接近しようとしたフレドリックが、アースに威嚇されきゅっと眉根を寄せた。
何故か知らないが、どうやら私に近寄りたいらしい。
「おい。こいつどうにかならないのか」
「この子は私の眷属だから、私に害意がある相手を近づけたくないのよ。───これでもマシな態度だわ」
「ふぅん、随分と愛想がないんだな。見た目は格好いいのに」
「手は出さない方がいいわ。私が許可しない限り・・・」
「うをッ!?」
「喰いつかれるわよ」
「もっと早く忠告しろよ」
無造作に伸ばしていた腕を咬まれそうになり慌てて引っ込めた彼は、柳眉を吊り上げて怒鳴ってきた。
あと少しで利き腕が取れるとこだったのに、と考えながら、ひょいと肩を竦める。
口に出したとおり、アースにしては随分と甘い態度だ。
この獣は私に過度の独占欲を抱いており、私以外の命令は聞かない。
本当なら触れようとしただけで、喉に喰らいついていてもおかしくないほどの凶暴性を持っている。
壁のように私の前に立ちはだかる姿に、ひょいと眉を上げる。
そして背中を撫でると一言命令を下した。
「少し大人しくしてなさい。勇者様は私に御用があるらしいわ」
「フレドリック」
「それで、私に何がしたいの勇者様」
「フレドリック。───次は返事をしないぞ」
別に返事をしてもらえなくとも一向に構わないが、話が進まないので頷いておく。
満足そうに笑う姿はやはり子供っぽく、表情が崩れるだけでこれほど年齢に対する考察が変わるのかと一種感心してしまった。
私の言葉に従ったアースは、フレドリックが近寄っても今度は唸り声も上げないし牙も剥かない。
若草色の瞳で私を見詰めると、静かに頭を垂れた。
無言の請求に応えるべく、手を伸ばして首をさする。彼が座っていても、小悪魔である私からしたら頭を撫でるより首の方が撫で易い。
ぐるぐると喉を鳴らして目を細めたアースは、一応それで満足したらしい。
緋色の獣の喜びを渋面で眺めていたフレドリックは、今度こそ手が届く範囲まで私に近づくと何かを差し出した。
「・・・何」
「花。───歴代勇者はこの花畑に足を運んだと書いてあった。可愛い花だからあんたに花冠を作ったんだ。子供の頃も碌に経験がないから不恰好だが、気持ちだけは篭っている」
言葉通りに、確かにそれは不恰好だった。
元々この緋色の花が冠を作るのに適していないのもあるだろうが、それにしてもぴょんぴょんとはみ出ている花は、可愛らしいが何処か憐れだ。
そのまま咲いている方が明らかに美しいだろうに、無意味に人の手が入ったばかりに本来の美が損なわれてしまった。
あまりの不恰好さに呆れ、彼の行動の意味を察するのが遅れた。
不恰好に作られた花冠を見た瞬間にアースが息を詰めぶわりと毛を逆立たせる。
まずい、と思った瞬間にはもう体は動いていた。
「・・・止めなさい、アース」
「ッ・・・るゥ!!?」
右肩から胸の辺りまで走る激痛。
がっちりと埋まった牙は、どうやら背中まで突き抜けているらしい。
傷の深さを判断すると、私の体に前足をかけて毛を逆立たせたままのアースの背を撫ぜる。
落ち着けと繰り返せば、徐々に呼吸を和らげた。
ゆっくりと牙を引き抜いたアースは、謝罪するように傷口を舐める。
だが彼に癒しの力はなく、舐めるだけで傷口は塞がらない。
「大丈夫か!!?」
「大丈夫よ。・・・その花を私に寄越しなさい」
「ッ、そんなこと言ってる場合か!先に手当てを」
「寄越しなさいと言っているの。その花は、貴方が摘んでいいものじゃないわ」
繰り返し、傷がない方の手を持ち上げると花冠を奪った。
勇者は───フレドリックは、あまりに何も知らな過ぎる。
書面から読み取れるのは文章のみだ。そこに書かれた『想い』は、それだけで足りないのに。
見た目以上に中身が成長していないらしい勇者に、一つため息を吐く。
彼は歴代の『勇者』に何か憧れでも抱いているのだろうか。
書面をなぞり行動することで、自分にそれを浸透させようとしているように見える。
眉根を寄せ私より余程痛そうな顔をするフレドリックを一瞥すると、耳を伏せ尻尾を丸めたアースに視線をやる。
全身で後悔していると訴える獣をもう一度撫でると、花冠を無造作に解いた。
「貴方は何も悪くないわ、アース」
「グルるゥゥ」
「これは事故よ。貴方は守ろうとしただけだわ」
「うをーぉん!おオーん!」
「これは私が招いた結果よ。黙りなさい」
悲しみを訴える獣の前で解いた赤い花を宙へ浮かす。
緋色の花弁を散らしつつ、風に溶かして私に纏わせた。
傷口を埋めるように花弁が触れると、小さく弾けて消えていく。
それと共に私の傷口から流れる血も、どんどん出血を押さえ消えていった。
最後に身を囲うように一陣の風を吹かせると、赤い花弁が花畑から舞い上がる。
それら全てを風に溶かして、力に交えて纏って見せた。
「ほら、見なさい。貴方程度に傷つけられる存在じゃないのよ」
この緋色の花は体温が近づくと香りが強くなる。
それをふんだんに織り交ぜて作り出した緋色のドレスは、本来なら私の趣味ではない。
私が好きなのはあくまで『闇色』。白檀様が身に纏う、美しい黒。
だがこの場合は仕方ないだろう。
肩から流れる血と傷を消し、鉄錆び臭い臭いも消し去る。
萎れかけた花を私が使ったことによりアースは満足し、傷がなくなったことで安堵するだろう。
「ッ、大丈夫なのか!?」
「当然よ。眷属の力などでどうこうなるようなら、側近は名乗れないわ。───それよりも、貴方はアースに謝りなさい」
「何?」
「アースが牙を剥いたのは、主として私が謝罪するわ。でも、貴方はアースへその浅慮な行動を謝罪なさい」
「・・・何故だ。俺は何も」
「篭められた想いを踏み躙るのが勇者の仕事なの?自我を通すのが勇者の使命なの?」
「!!?」
「この場所の意味は『手記』に書かれていなかったようね。それなら貴方は足を踏み入れるべきじゃなかった」
「・・・どういうことだ」
「ここはアースの聖域よ」
苦々しい顔でこちらを睨むフレドリックに淡々と告げる。
悪いのはアースではない。意味を知らずに踏み荒らしたフレデリックだ。
そして、その想いを理解しながら見過ごした私にも罪はある。
「遙かな昔、この地で命を落とした愚かな男が一人居たわ。彼は自分の命を核として、この地に長き呪いを掛けた。陽の射さないこんな辺境で、鮮やかに花が咲いているのはおかしいと思わなかったの?」
「だが『手記』には何も───ッ」
「書く必要がない事柄よ。これは勇者の仕事に関連しないわ。けれど、意味を知らないなら、貴方は此処に来てはいけなかった。・・・始めはたった一輪だった。死に絶えた骸を苗床に、緋色の花は数を増やした。ここはね、昔はこんな空けた場所じゃなかったのよ」
昔はもっと、森と同じ陰気な植物が広がる場所だった。
この地で生き残る花など食虫植物や肉食植物だ。花や香を使い獲物をおびき寄せるようなものばかりが集まる中、ここだけが異色だ。
年を追うごとに広がる花畑に、何も感じないわけじゃない。
伏せて忠誠を請うように動かないアースをもう一度撫でる。
私が安易な気持ちで居たから招いた結果だ。気にする必要は欠片もない。
だが気にせずに居られぬのだろう。それが眷属というものだ。
「筋道を辿っても、貴方は『勇者』と同じにはなりえない。上っ面だけの行動をする気であるなら、私もそれに合わせるわ。それが嫌なら、まず知ったかぶりを止めなさい。レイノルドではなく、フレドリックと呼べと、私に告げた理由を考えなさい」
「俺は」
「『彼』を理解したいなら、最初にすべきは先入観を捨てることよ」
フレドリックの存在は、私に違和感しか覚えさせない。
確かに勇者の証を持っていてその魂にも覚えがあるのに、フレドリックには何かが足りない。
欠けたパーツがあるのか、それともどこかに押し込めているのか。
平時であれば揺らがないのに、切欠があるとすぐに不安定になる。
今までの勇者では一度も見たことがない現象だ。
考え、ゆるく首を振る。
どちらにせよ、これ以上は私の管轄ではない。
勇者の中身を知る必要も、理解する必要もないのだから。
私はただ、白檀様に害が及ばぬように護るだけ。
「帰るわ」
「え?」
「貴方も朝食はまだでしょう?思ったより時間をとってしまったわ。私の力で移動する。アースはどうしたい?」
「ぐるるルぅ」
「判った。じゃあ、何かあれば呼ぶわ。それまで好きになさい。勇者に牙を剥いた罰と、私の命に背いた罰は後ほど与えるわ」
残りたいと望んだアースに頷くと、フレドリックに視線をやる。
するとまるで迷子のように頼りない眼差しでこちらを見ていた彼は、どうすればいいか判らないとばかりに被りを振った。
すっと眉を上げると目を細める。
何を逡巡しているか知らないが、私には関係ない。
慰めて欲しいのなら私じゃなく、お優しい仲間に頼めばいい。
じっと眺めていると、何を考えたのかフレドリックは私へと手を伸ばしてきた。
帰る意思が通じたのを察すると、その手が届く前に私は移転の力を使った。
消える瞬間狼に似た悲痛な鳴き声が耳に響いた気がした。