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二日目【12】

ぞわり、と体中を走る怖気に似た何かに、全身に鳥肌が立つ。無防備でいた時に飛び込んできた姿に、暴発しそうになる力を必死に抑えた。

それでも押さえ切れない力が先ほど解いたままの髪を広げ、そんな醜態を咎めるように白檀様がこちらに視線を向けた。

体の奥深く、臓腑ではなくもっと別の───そう、言うなれば魂からの拒絶を必死に制御しようと浅い呼吸を繰り返す。

暴走しそうになっていた力が体の内に収束し、髪が背に流れるのを感じてから閉じていた瞼を開け表情を取り繕った。


警戒を怠らず、白檀様の名を呼ばすに居て良かった。

勇者に白檀様の名を呼ばれるなど、苛立ちを通り越し、世界の均衡も無視して殺してしまうだろうから。



「失礼いたしましたわ、勇者様。魔王様とお食事をされていらしたのですね」

「・・・ああ」



クッキーを片手に持ち替え、スカートの端を摘むと略式の礼をする。

すっと瞳を細めた勇者───レイノルドは、表情がないだけで無骨に見える端整な顔をこちらに向けた。

まるで珍しい生物を観察するように注視した後、ゆっくりと唇を持ち上げる。



「あんた、笑えるんだな」

「え?」

「笑ってる方がいい。年相応で可愛いく見える」



しみじみとした言葉に、眉を跳ね上げる。

一体彼は何を言っているのだろうか。

昨日梅香との会話で出たが、私は彼らより遙かに永い時を生きている。

千年近くを生きてきた私からすれば、目の前の男は子供以下だ。


元々こちらの世界と私の住む世界では一年の換算が違う。

一年を365日とするこちらと違い、私の住んでいる世界は一年が1099日となる。

さらに時間の感覚も違い、こちらの世界の方が早く流れている。

私達がこちらの世界に来るのは大体百年に一度。単純に計算したらこちらの世界に現れるのは約三百年に一度の頻度になるが、時間の流れが違うためこちらの世界で私達が現れるのは約四百年に一度に変換される。

忘れた頃にやってくるこの仕事で毎回勘違いされるが、私は私の世界で921歳なのだ。つまりこちらの日数のみで考えれば2500歳を超えている。

したがって目の前の男に子供判定される言われもなく、年相応と嘯かれる理由もない。

しかしながら白檀様の前で怒声を上げるなどはしたない真似をすることも出来ず、仕方なしに貼り付けていた笑みを益々深めた。



「あら、勇者様。私は笑顔で応対していましたでしょう?」

「そうか?」

「ええ」



反論は許さない、と目に力を篭めれば、納得していないと表情に出しながらもレイノルドは黙った。

これが以前の勇者であれば、ここからさらに反応が発展していたので、今回の勇者はとても相手が楽だ。

食事中だというのに無作法にも短い髪をがしがしと掻き毟ったレイノルドは、不満そうに唇を尖らせて白檀様を見る。

子供っぽい仕草を愉快そうに眺めた白檀様は、寛容にもマナー違反を咎めることなく笑い、私を手招いた。



「悪いな、レイノルド。俺の養い子は俺が好きで仕方がないんだ。あの笑顔は俺専用の特別製だから俺が居ないと披露されない。この子の世界は極度に狭い───許せよ」

「・・・何であんたが許しを請うんだ」

「これが俺のものだからだ」



招き寄せた私を片手で抱き上げ膝の上に乗せた白檀様は、解いたままの私の髪を摘むと指先に絡まる。

金色の髪が私のよりも浅黒い肌を持つ白檀様の指に絡まり、するりと落ちていく。

髪を梳くのを好まれる白檀様が仰るには、私の髪質はさらさら過ぎて留めておくのが難しいらしい。


ちなみに髪の手入れは基本的に私ではなく、過保護なまでに私に構う執事がしていた。

本来白檀様が好まれるのであれば自分で手入れしたいのだが、まだ子供の頃に髪を乾かそうとして燃やしてしまって以来、執事に涙ながらに訴えられ彼に一任していた。

現在彼は留守番をしているため香が代わりを務めているが、たまに白檀様自らがして下さる日もある。

髪に触れる手は優しくて、それが嬉しくて幸せだ。

伝わる体温に顔を綻ばせ見上げれば、くつくつと喉を震わせた白檀様は、髪が解けた指をそのまま頬へと滑らせた。



「借りてきた猫のように大人しいんだな」

「───くくっ・・・猫、猫か。言い得て妙だな。これは俺が拾い俺が育てた、俺だけの猫だ。俺だけを敬い、俺だけを瞳に映し、俺だけを愛する」

「・・・・・・」

「これは愛らしく美しい。俺の世界では他に類を見ぬ色彩を持つ異端であり、忌避されながらも欲される。誰の心も好きに奪え、これが望めば相手は悦び、求めなくとも全てを捧げる。だが、これは与えられるものに対し、酷く執着が酷薄だ。何故か判るか」

「・・・知るか」

「ははっ、───嘘だな、レイノルド。お前は知っている・・・・・はずだ。この世界に住む他の誰よりもな」



肩を震わせて笑う白檀様を睨むレイノルドの視線が鋭くなった。

思わず力を溜めようとして上げかけた手を握られる。

見上げれば穏やかな眼差しで見下ろしている白檀様が居て、私はそのまま力を解いた。

指先で喉を撫でられ、心地よさに目を細める。

胸の奥が暖かくなり、白檀様だけが与えれる『愛しい』という感情で胸が詰まった。



伽羅・・は俺のものだ、レイノルド」

「・・・違う」

「いいや、違わない。髪の毛一本、血の一滴すら含め、頭の天辺から爪先まで、何から何まで俺のものだよ」



まるで宣言するように囁きに似た声で告げると、私の頬に唇を落とされた。

柔らかな感触に頬を染めると、そのまま腕の中に抱き込まれ胸に顔が当たる。

心臓が鼓動を早め、幸せで死んでしまいそうだ。


私は、白檀様のもの。

他の誰に認められずとも、白檀様が認めて下さるのなら、私はそれだけで生きていける。

それが私の存在意義で、白檀様のためになら向けられる想いも利用する。

全てはエゴだと知っている。

でも、望まれてなくとも、私は捧げることしか出来ない。

ゴミ同然の私の命を拾って下さった優しい主に、ただ幸せを感じて頂くために。


唇を噛み締め視線をレイノルドへと戻す。

の存在は私にとって恐怖・・以外の何物でもない。

により受けた傷は忘れないし、良い教訓になった。



「なぁ、レイノルド・・・・・。聞こえるか」

「・・・何を」

「俺の養女むすめは今も昔も何も変わらず、このままだ。俺だけを愛し、俺以外の何かを迷わず切り捨てる。───俺の育てた俺の愛しい俺のためにだけ存在する、可愛く純粋な子供のままでいる」



言い聞かせるよう、ゆっくりと言葉を発した白檀様を、レイノルドは険を含んだ眼差しで睨み続けた。

表情を隠さず、感情を隠さず、苛立ちを露にした愚かな勇者。

この顔・・・であからさまに機嫌を損ねたのを見たのは、何百年ぶりだろう。

世界でただ一人蒼い髪と蒼い瞳を持つ勇者。

魔王の対抗手段として生まれる世界の異端・・は、私と似た存在であり正反対に属する男。


彼は世界から望まれて、私は世界から嫌われた。

生まれながらに誰もに祝福された彼とは違い、同じ異端でも私には白檀様しか居なかった。

それは私には幸福だった。

白檀様の存在こそが全てで、彼だけを見ていればいいのだから。



「・・・違う」

「何がだ」

「伽羅は、あんたのために存在するんじゃない。伽羅には伽羅の意思があり、あんたは解放しなくてはならない」

「本人が望んでいないのに?」

「望みも持たせぬほど縛り付けておいて何を言う。他を見ないよう眼を塞いでいるくせに何を嘯く。都合よく育つよう耳を塞いだくせに何を願う。伽羅の世界を狭め、あんた以外を排除した。そしてその後、どうする気だ」

「随分と俺の養い子に肩入れするな。お前がこの娘の何を知る?どうしてそこまで断言できる?お前は───この娘を、何も知らぬのに」

「そうだ。俺は伽羅を知らない。でも、俺は『知っている』」



挑戦的に口の端を持ち上げたレイノルドは、白檀様の瞳を真っ直ぐに射抜いた。

何故、いつも・・・こうなのか。

私は白檀様の傍に在れて、彼の役に立てればそれだけで幸せだ。

他の何も求めていない。ただ、白檀様が笑ってくだされば、それだけでこの身も命も魂ですら捧げれる。

それなのに、その幸せを、目の前の男は崩そうと躍起になる。

私はこのまま時が続けばそれでいい。それだけで、いいのに。



「お前が俺の養い子を知っている・・・・・?」

「ああ」

「どういう意味だ?」

「そのままだ。俺の家は代々勇者が選出される家系だ。だが古くから続くのは血だけではない。俺たちには知識も継がれる」

「知識?」

「そう、知識だ。蒼い髪の子供が生まれて最初に教えられるのは古代語だ。剣術でも魔術でも、社交でも歴史でもなく、最初に覚えるのは文字だ。何故か判るか?」

「文字を覚えるならば、文字を読むため、もしくは書くために他ならぬだろう」

「そうだ。俺の家には代々勇者のみに拝読を許される書物が存在する。初代から脈々と受け継がれるそれは、歴代勇者の手記だ。彼らは魔王とはどんな人となりか、その力は何か、側近は何人か、その時交わされた会話は何か、一週間の出来事のみを細かく綴ったそれを後世へ残している」

「それが知識か」

「ああ。勇者の力の一つに封印と解除がある。手記はそれぞれ勇者のみが解除でき、新たに作成した手記に俺もいづれ封を施す。そうして知識は受け継がれてきた」



レイノルドの言葉に私は目を丸くした。

本来なら・・・・そんな面倒必要がないはずなのに、彼は保険・・をかけていたのか。

どこまで細かく記されていたか知らないが、知識と呼ぶ程度に彼に情報は与えられたのだろう。

よくよく面倒しか生まない男だ、勇者という存在は。


白檀様の反応を伺えば、少しだけ驚いたようだがすぐに平静に戻った。

面白そうに唇が弧を描き、片眉を上げてレイノルドを見る。



「その手記に、俺と俺の養い子が書かれていたか」

「ああ。だから俺は『伽羅』を知っている」



断言したレイノルドに、初めは堪えていたようだが、ついに体を震わせて白檀様は笑い出した。

不機嫌そうに眉を顰めた勇者を無視して心行くまで笑い続ける。

暫くして、息も絶え絶えになりながらそれでも何とか呼吸を整えると、私を片腕に乗せて立ち上がった。



「残念だな、レイノルド。手記に書かれた『知識』では、到底俺と養い子の関係は理解出来まいよ」

「何を」

「俺から『伽羅』を救えとでも書かれていたか?それとも『伽羅』に自我を持たせろとでも書かれていたか?」

「・・・・・・」

「愚かだな、人間よ。お前はいつだって見えていない。勇者の役目を逸脱し、お前こそ何を望んでいるのだ?」

「俺は・・・俺は、ただ」

「お前の考えはどうでもいい。だが、そうだな。俺の退屈しのぎにはなる」

「・・・どういう意味だ」



警戒心に毛を逆立てる獣のように、低い声を出したレイノルドは椅子から立ち上がり身構えた。

盾になるために離れようとし、白檀様に遮られる。

大丈夫だと唇の動きだけで伝えた白檀様は、私をそのまま床に下ろした。

力を使い黒いリボンを作り上げると、私の髪をいつもどおりに右上で纏め肩の前に垂らす。



「伽羅」

「はっ」

「俺の命令を覚えているか?」



笑いを含んだ声に、息を呑む。

そして素早く配下の礼を取ると、白檀様の前に跪いた。



「───勇者の、面倒をみろ、と」

「そうだ。勘違いしているようだが、お前は一行の面倒を見るのではなく、ただ一人の相手をしていればいい」

「・・・申し訳ございません」

今日一日・・・・の失態には目を瞑ろう。お前の役目は仕切りなおしで明日からでいい」

「はっ」



顔を下げたまま是と返せば、人差し指で顎を持ち上げられた。

逆らわず顔を上げれば、愉しそうな白檀様の顔があり、私もふっと微笑み返す。

満足気に頷き、一歩下がった白檀様は、迎え入れるよう両腕を開いた。



「今日は俺と共に下がるぞ。おいで、俺の可愛い養い子」

「・・・はい、魔王様」



誘われるままに腕の中に納まれば、優しい口付けが額に落とされた。

柔らかな感触に心が浮き立ち幸せが膨れ上がる。


例え今の遣り取りの全てが、勇者に見せ付けるための茶番だったとしても、それでも私は幸福だった。



「さて、では下がる前に勇者殿に挨拶をしろ。俺の客人だ。粗相がないようにな」

「はい、魔王様」



頷き踵を基点にくるりと回る。

スカートの裾が広がり、花が閉じるようふわりと収まった。

足を僅かに引いてスカートの裾を両手で持つ。

中腰になり深々と頭を下げた。

本来の世界で王侯貴族のみに捧げる完璧な礼。

一番美しく見える姿勢は、完璧を愛する執事に仕込まれている。



「お食事中に邪魔をして申し訳ございませんでした、勇者様。明日からは私が専属で付かせていただきます。誠心誠意お仕え致しますので、どうぞよしなにお願い申し上げます」



ごてごてに飾った言葉ではなく、判り易く砕いて言葉を伝えた。

白檀様に向けるものとは違うが、先ほどまでより心を込めて微笑めば、瞳を丸くして私を凝視したレイノルドは酷く渋い顔で頷いた。

本来なら許可なく顔を上げて発言するのは許されないが、本当の王侯貴族ではないので白檀様も指摘されなかった。

それにきっと、レイノルド自身もそこまで畏まると困るだろう。


眉根を寄せたままのレイノルドをそのままに白檀様が私を抱きしめる。

大きな体に埋もれるようにして凭れ掛かると、応えるように腕の力が強くなった。



「俺の伽羅をお前に貸してやろう。その間好きに接するがいい」

「っ」

「愉しませてくれ、勇者・・殿。ああ、そうだ。お前の仲間がお前を探している。今は梅香が屋敷を案内しているし、合流してやるといい。今日の相手はここまでで結構だ。夕飯は仲間と囲え」



言いたいことだけ言い切ると、ぱちり、と指先を鳴らす。

物言いたげに口を開いたレイノルドは、瞬きすらせず私達を見送った。

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