二日目【10】
気が付けば二十話突破しておりました。
ここまで読んでくださった皆様に、深く感謝を申し上げます。
本当に、ありがとうございます!
目の前の二人は黒方より掌半分くらい背が高い。普通の人間と同じ生態しか持たない黒方よりは鍛えられた体はがっしりとしており、瞳には戦いに慣れた者特有の鋭さがあった。
現在は知り合いから拝借した執事服を着ているが、初めて見えた時の衣服は彼らの世界で騎士が纏うものだったので、単なる『人』の黒方と比べるのは初めから間違っているのかもしれない。
微かに強張る体から緊張感が伝わる。幾度か口を開いて閉じを繰り返した彼らは、私が苛立ちを覚えるぎりぎりのところで漸く声を発した。
「・・・伽羅様は我らが邪魔ですか」
「邪魔・・・?」
躊躇の末悲しみを堪えるような声を出したのは、黒子がない方なのでハークだった。言っている意味が理解できず軽くかぶりを振る。
面倒だと思うが、邪魔と思うはずがない。まずそもそもからして邪魔と考える理由がないのだから。
私にとって彼らの存在は『意味を持たない』ものだ。捨てられ死に掛けていたから拾った。ただそれだけで、それ以上の意味を持ちようがない。
邪魔だと思うなら道端の石を拾う者はそう居ないだろう。私にとって彼らは石に等しい。拾ったからには面倒を見たが、怪我が治れば必要がない。
「我らは伽羅様に拾って頂き生き長らえました。貴女様は我らになんら見返りを求めることなく瀕死の我らを世話してくださった。己の力を分け与え、傷口の手当をして下さった。何も求めぬまま何もかもを失った我らに衣食住を提供して下さった」
「それが?」
「貴女様は我らの命の恩人です。そして、同時に今の我らの全てです」
「・・・だから、何だと言うの?私にとって貴方たちを拾った意味は何もないわ。捨てられたから拾っただけ。生きたいと望んだから生かしただけ。行く場所がないと言うからこの場に置いただけ。ただそれだけの話でしょう?私の屋敷にはルールがあるの。一つ、ここに連れてくるのは捨てられた存在のみ。一つ、ここで世話をするのは怪我が癒えるまで。一つ、怪我が治ったのならその後は自由にさせる。貴方たちはもう怪我は癒えている。だからこの場に留まる理由はないでしょう」
交互に話す二人を見て、双子とは不思議なものだと考える。
互いの言葉を補うように続けるさまは息が合うというよりも、何を口にするか判っているようだ。ハークが発言し足りない部分はアークが補う。
だが二人の言葉の内容は私にとって価値がない。彼らが発言したとおり、私は彼らに見返りは求めていない。
拾いたかったから拾った。助けたかったから助けた。ただそれだけだ。
「私は貴方たちに何も求めていないわ。私の血を飲んだからには貴方たちはもう人として純粋に生きられない。生き長らえた対価としてマシな方と思いなさい。それ以上の何が貴方たちに必要?」
生きたいと望んだから生き延びる手伝いをした。
怪我をしていたから生きていけるように怪我を癒した。
私の血を内包しているから馴染まない内には治癒の力も使えず、その分時間はかかったが体を動かせるまでになった。
それで、十分ではないのか。
私の問いに唇を噛んだ双子は、吐息と紛うような囁きを漏らした。
「・・・たが」
「言葉ははっきりと口になさい」
「・・・───あな、た、・・・さまが」
「あな、た、さまが?」
呪文か何かだろうか。中途半端な言葉に力は感じないが、意味が判らず眉間に皺を寄せる。
私を抱く黒方の腕に力が篭り、双子から意識を逸らし見上げれば、面白くなさそうに唇を曲げていた。
血は繋がってないが、昔から弟のように可愛がってきた彼の仕草が、今よりもっと幼い頃と重なって思わず手を伸ばす。昔よくそうしてやったように白檀様のそれより僅かに固い髪質を梳いてやれば、黒方は擽ったそうに首を竦めた。愛玩動物が甘えるように、私の肩に額を摺り寄せて息を一つ漏らす。
目の前に立つ人間二人とのやり取りより、黒方との交流の方が私にとって遥かに意味と価値があった。
体ばかり大きくなったがまだまだ甘えたい盛りの弟分は、自分から話を聞けと言ったくせに独占しようとばかりに私を抱きしめる。ほんのささやかな力であるのに、彼の心が伝わる抱擁に心が和らいだ。
しかしそんな柔らかな空間も、無粋な声により破られる。
「伽羅様!」
「伽羅様、こちらをご覧ください!」
強い口調についっと眉を上げ視線を向ける。
きりきりと整った眉を吊り上げた双子は、そっくりの顔にそっくりな表情を浮かべている。
苛立ち、悲しみ、悔しさ、羨望。表情からは様々な感情が伺えるが、どれが一番強いかは判断付かない。
そう言えば、彼らが自分から意思を持って私に呼び掛けたのは初めてかもしれない。だからといってどうという話でもないが。
強い口調に意識を戻せば、瞳の色を碧くした彼らはじっと私を見詰めた。
「───会話が出来ないなら、貴方たちに意見を求める気はないわ」
「伽羅様・・・っ」
「言いたいことがあるなら言いなさい。自分の意思を殺せと私は言ってないはずよ」
いい加減苛立ちながら彼らを眺めれば、息を呑んだ彼らは、今度こそ私に判る言葉を発した。
「我らを傍に置いて下さいませ」
「・・・何故?何故私がこの世界の人間ごときを傍に置かなくてはならないの?」
「我らはもう人間ではありません。貴女様の血を分け与えられた我らは純粋な人でないと、仰ったのは貴女様です」
「だから何?傍に置くために拾ったのではないわ」
「我らを拾ったのは貴女様です」
「意味はないと言ってるでしょう」
「意味なら我らが持ちました。与えるだけで何も求めぬ貴女様に、全て捧げると誓ったのです」
「そんなこと、望んでないわ」
「我らが望みました」
「我らが願いました」
『この命存えたなら、貴女様のために生きようと』
先ほどまでのやり取りが嘘のように二人の口から言葉が流れ出る。否定しても否定しても次の瞬間には全て肯定され、面倒で仕方ない。
言葉は交わされても会話が出来てない。何を口にしているか、彼らは理解しているのだろうか。
悪魔の私の傍に居たいと望むのならば、『家族』も『世界』も『人生』も捨てねばならないということを。
そもそも私は望んでないと、言っているのに。何と強引で厚かましいのか。
「そんな脆弱な身で私の傍を望むというの」
「強くなります。貴女様に恥を掻かせぬほど強くなります」
「全てを捨てて何を得るの」
「貴女様のお傍に存在する栄誉を得られます。何にも勝る幸せです」
「───私は」
「やめろ、伽羅。これ以上は無意味だ」
苛立ちに紛れて言葉を放とうとした私を留めたのは黒方だった。
白衣を纏う腕で私の頭を柔らかに抱きしめると、宥めるように背中を撫ぜる。あやすリズムに心が落ち着き、どちらが年上か判らないとため息を落とした。
降ろして欲しいとジェスチャーで示すと、逆らうでもなく畳へ降ろす。私に触れはしないものの、それでもぴたりと寄り添う黒方を見上げた。
「諦める方が早い、伽羅。『彼ら』を拾ったのはお前だ。───折角俺が『開放』こそルールだと言ったのに、『自由』にすればいいと言い直したのはお前だ。拾い物の自由を保障するならば、彼らを傍に置いてやれ」
「黒方。貴方はそれでいいの?」
「嫌に決まってる。伽羅は俺のなのに、害虫は目障りだ」
「なら」
「でもこの程度の存在でも、矛になれなくとも盾にはなれる。お前の血を与えたなら、お前の役に立つはずだ」
言葉とは裏腹に、黒方は私よりよほど不機嫌に見えた。
それも仕方ないかもしれない。私が白檀様に依存するように、彼も私に依存している。私たちと価値観が違う彼にとって、目の前の双子を傍に置けと口にするのも業腹だったろう。
それでも私のためになるだろうと、嫌々渋々と口にした弟分に、重いため息を吐き出した。
「梅花がお前を下がらせた理由が少しだけ理解できる。今のお前は普段のお前より隙がある。言葉尻一つとっても、俺ですら付け入れる」
「・・・・・・」
「だからこそ、『彼ら』を傍に置く意味がある。俺はお前が大切だ。お前に危険が及ぶのは恐ろしいし、傷が付けば耐えられない。だから、頼む。俺のために、『彼ら』を傍においてくれ、姉さん」
「───・・・はぁ。貴方にまで指摘されるなんて、本当に気を入れなおさなければいけないわね」
「・・・」
「心配する必要はないわ。この世界で私に傷を負わせれる人間など、ほとんどいない」
「姉さん」
「でも、貴方が心配だというのなら、そうね、保険をかけるのも納得するわ」
伸びてきた手が私の掌を掴む。昔は小悪魔の姿の私とほとんど変わらぬ大きさだった掌は、いつの間にか包み込めるほど大きくなっていた。
それがとても不思議で、喜ばしい。嘗ての彼を覚えているから、成長した姿が嬉しかった。
可愛い弟分の言葉なら、私も聞いてやれる。彼が安心するのなら、自分に妥協できる程度に、私は黒方を大切にしていた。
私の決断を聞いたなら、この場に居ない幼馴染は笑顔で圧力をかけるだろう。
白檀様は仕方がないなと笑い、菊花はひっそりと眉を顰めるだけで終わる。
この場に居ない心配性の知り合い達も、きっと各々の反応を見せるに違いない。十人十色のそれは思い浮かべるだけで少し面倒だったが、許容するしかないだろう。
「・・・とりあえず、正式に自己紹介を求めるわ。あと発言に一々私の許可を求めるのは止めなさい。上下を見せる必要がない場所でまで畏まる必要はないわ」
「伽羅様、それは」
「それは我らをお傍に置いてくださると、解釈しても宜しいのですか・・・?」
「説明しなければ判らないの?空気くらい読みなさい」
「・・・っ、必ず貴女様の盾となります」
「貴女様が誇れる存在となると誓います。ですから」
『どうか、我らを捨てないで下さい』
異口同音に希う彼らに、私は嗤った。
捨てる気があるなら初めから拾ったりしないと、気づかない彼らが酷く滑稽で少しだけ哀れだった。