二日目【6】
私は白檀様の側近だ。誰よりも彼に忠誠を誓い、誰よりも彼を敬愛している。養女として可愛がってもらっており、彼の様々な面を誰より知っていると自負している。誰よりも信頼していただいているし、誰よりも信用していただいている。
その信頼信用に応える為日夜修練は積んでいるが、世の中は努力だけではどうにもならない部分もある。私は文武魔に秀でていると名高い悪魔だが、それは器用貧乏でしかないと自分が一番判っている。武の面ではどうしたって梅香に劣る。文と魔の面では堕天使の菊花に劣る。戦闘力は高いが、二人を超えるほどはなく、魔力は高いが菊花ほど癒しの力を持たない。
それでも私は白檀様の役に立つために、他の誰にも負けないものを一つだけ有している。
使い方次第では状況を引っくり返す、白檀様に教えられた自分の使い方。
魅了の力。
悪魔の癖に金色の瞳と碧の瞳を持つ私だが、物珍しさもあって魅惑の力だけは他の悪魔より優れていた。美貌を誇るのは悪魔の常識。力が強い者ほど容姿が優れる世界にあって、私は全てにおき異色を放っていた。
何しろ、私の魅了の力は、その気になれば王族を超える。恋心を忠誠心と置き換える悪魔の、王族のために育成された暗部の者さえ誑し込めるほどに。
生まれ持っての力だと、これだけは白檀様も称賛してくださった。そしてこの力があるからこそ、私は彼の側近でいれる。
成体であろうと小悪魔であろうと魅了の力は使える。存在するだけで魅了されると誉めそやす相手も少なくないが、それでも場に相応しい格好がある。
何か特別のことをするわけではない。ただ意識するだけでその力は強まり、姿は関係ない。しかしこの力を使うと意識するならば、と昔白檀様と約束した。
もっとも効果的な時に、鮮やかに全てを攫って見せろ、と。
『俺の娘ならば、何もかも奪って嗤って見せろ。何より誰より美しく、泥中でさえも咲き誇れ』
薄汚れ死に掛けた私が回復し初めて敵を魅了した時に、白檀様は僕とも奴隷とも呼べる存在を連れた私にそう言って笑った。
私の美学は彼の規律に反しない、ただそれだけ。鮮やかに全てを奪い、上から見下ろし嗤うだけ。魅了すると決めたなら、美しく鮮やかであれ。
微笑み方を変えた私に、梅香はひょいと片眉を上げた。物言いたげにしながらも、口を噤む代わりに力を使う。この部屋の入り口を魔力で閉じ、人は入れないよう工夫した彼は、何食わぬ顔で伝心を繋いだ。
『堕とすのか?』
『ええ』
『そうか』
短い会話の後、一方的に繋がりは切れる。
視線は逸らされたままでちらりともこちらを見る気配はない。けれど梅香の意識がこちらに集中していて、尚且つ彼が不機嫌であるのは長い付き合いで判った。
彼は表に出していないだけでこの世界の『人』が嫌いだ。その原因の一端を担う身としてどうこうしようとは微塵も思わないが、上辺に騙され気を許しつつある勇者一行───取り分け女性というだけで親切にされたシェリルを哀れと思わないでもない。
何しろ梅香がちやほやしたとしても、それは逆上せさせるための演技でしかなく、最終的に彼は自分へ向いた想いを踏み躙ると決まっているから。
ああ、でもそれなら今この瞬間に私に魅了されるのは幸せかもしれない。
私の血を一滴とはいえ持っているくせに、持ち主の雰囲気の変化にすら気付かぬ愚鈍な男たちを見れば、相変わらず瞳の色を変えて目の前の、敵にすらならない存在を脅かしていた。
余程逆鱗に触れる内容だったのだろうが、空気を読んでいただきたい。
仕方なしに指先を弾き小さな風を起こす。
はっと瞳の色を本来のものに戻した二人が執事服で礼を取り、そうすることで彼らの視線の先にいた私に意識が集中した。
部屋の人間の視線が集中したところで、指を鳴らし幻の花を空から降らす。形も色も様々なそれらは、けれどきちんと芳しい香を一つ一つが放っていた。
幻なのに芸が細かいと梅香には言われるけれど、より本物に近づけるのが幻の骨頂。本物と認識させれば、幻でも生物は息絶える。
贋物は時に本物を越える。
頭を下げたハークとアークとは違い、この幻想的な雰囲気を直に見た三人は唖然と口を開けた。幻想により高くなった天上から、花は降ってくるように見えるのだろう。窓すらない場所から光が差し、私を中心に照らしていく。
正直作りすぎだと思うが、『人』にはこれくらいが判りやすくて丁度いい。視覚、聴覚、嗅覚を支配すれば容易に術に嵌るのが『人』だ。
一番奪いやすいのは視覚。だからこそ見た目は派手に美しく幻想的に。
視線が集まったのを感じ、口角を上げる。
相手の好みを読み、より相手の理想に近づける。彼らと話をした上で、一番彼らを堕とし易いと感じた形へ。
僅かに小首を傾げ、髪を結んでいたリボンを風の力で解く。
ふわりと金髪が舞い顔を隠す。その動きにあわせて光を流し、自分の姿を覆い隠す。足元から布を解くように光を退けて行くのとあわせ体の作りを本来のものへと戻していく。
ふわふわだった白いドレスから、体にフィットした形の黒のドレスへ。
いかにもお姫様が着そうなレースが幾重にも重なるチューリップ型のドレスではなく、アシンメトリーなデザインのそれは、右側に腰に届くすれすれまでのスリットが入っており、歩くたびに足が露出する。白檀様の髪とお揃いの黒と対比する白い肌。スリットネックラインの胸元に飾る薔薇のコサージュは毒々しさ一歩手前の赤色。それと同色のピンヒールを履けば、視界が随分と高い位置へと変わる。
右側でまとめてあげていた髪は優雅に流し、右に分けたて胸まで垂らした髪にリボンを編みこんだ。右手だけ肘まであるレースで蝶が描かれた手袋をすれば出来上がり。
口を開き、魂すら抜けるのではないかと思わせる間抜け面を晒す勇者一行に、精々鮮やかに微笑んで見せた。
呼吸をしているのか怪しい彼らの顔は徐々に紅潮し、今にも卒倒しそうだ。倒れられたら面倒だからやめて欲しいと考えながら、微笑みは継続する。
頭を垂れているはずのハークとアークの耳すら紅いのが視界に入り、一部しか開放していないとはいえそれでも私の前で礼を崩さぬ態度に感心した。何しろ同族ですら下級の相手であれば、呆気なく理性を失うくらいだ。その自制心には人にしては中々のものだろう。
目の前の勇者一行はすでに自意識すら保てているのか怪しいところなので、彼らの自立心の高さは相当だ。
たっぷり五分ほど経っても何も反応を示さない勇者一行に痺れを切らしたらしい梅香が、ぱちんと指を鳴らす。
同時に空気を伝い微弱な雷が彼らを貫き、止まっていた時がようやく流れ始めた。
「・・・黒の、聖女様」
その名を広めたのも人間であれば、その名を呼ぶのもまた人間。
忌々しくも面倒な呼び名を私に付けた男はもう世界に存在しないのに、鬱陶しくも時を跨いで二つ名は受け継がれた。
先ほどまでの警戒心丸出しの視線から、羨望と恋慕と思慕と敬慕、ありとあらゆる憧憬の視線を篭めた彼らに、嫣然と微笑んだ。