二日目【5】
少し残酷表現が入りますのでご注意ください。
立ち上がった二人は、梅香ほどではないが菊花よりも身長がある。と言っても、その差は小指の関節一つ分程度だが。それでも人にしては長身だろう。
改めて観察したが、ハークとアーク、彼らの見た目は見れば見るほどよく似ている。きっと双子なのだろう。
どちらがハークでどちらがアークか知らないが、静かに放たれる殺気もよく似ていた。彼らの経験値はこの場にいる勇者ご一行の誰よりも高そうで、勇者の一行を名乗る割にはお粗末な実力だと内心で嘲笑った。
人にしては珍しい黒に近い藍色の瞳をしたハークだかアークだかが、凪いだ眼差しをアイルに向けた。鋭くした殺気は衰えないのに、随分と器用なことだ。
「彼女は、伽羅様は、死に掛けた我らの命を救ってくださった」
耳に心地よいバリトンが伝えるのは先ほどと同じ言葉。幾度も繰り返しても状況は変わらないだろうに、愚直に伝えるのは口元に黒子がない方の男。
「伽羅様は我らの生い立ちも、所属も、人としての立場も何もかもご存じない。それでも無条件で死に掛けていた我らに再び命を下さった。手厚く加護し、何不自由なく生活をさせてくださった。伽羅様に連れられて一月近く。我らは伽羅様に見返りを求められたこともなければ、何かを強制されたこともない」
先に話した男と全く同じに聞こえるバリトンの声。しかしながら朴訥でぶっきらぼうな先ほどの男よりも、口元に黒子があるこの男の方が口が達者らしい。
やはり見た目が同じであっても、中身までは同じではないというところか。
「しかし、あなた方の失踪は未だに国内を巻き込んでの捜索が続き、中でも許婚候補であった王女の錯乱状態は酷く、お二人の弟君が連日付きっきりでお慰めをして漸く落ち着くほどの有様で───」
「王女が混乱しているだと?」
「ハーク様?」
「・・・弟が付きっきりで、か」
「アーク様?」
個人個人で呼びかけたアイルの反応で、私は漸くどちらがハークでどちらがアークか判断できた。
先に口を開いた黒子のない素っ気無い口調の方がハークで、彼よりも弁が立つ黒子がある方がアークらしい。
ふむふむと頷いていると、梅香からの伝心が繋がった。
『おい、伽羅』
『何?』
『何やら少しばかりややこしそうな話しになりそうだが、どうする?僕たちに必要な情報だと判断するか?』
『・・・そう、ね。彼ら二人が国の要人で、王女の許婚候補だと言うのは理解したわ。ついでに何やら泥臭い内容に巻き込まれて瀕死の状態だったらしいってことも』
『利用できる話になると思うかい?僕はなんだか話しを聞くのに飽きてきたよ。・・・人のいざこざは面倒なだけで、僕たちに有利な何かが出てくるとは思えないな』
『でも余興にはなりそうよ。それに、白檀様はこういういざこざを聞くのはお好きだわ。退屈が嫌いな方だから』
『君はいつもそればかりだ。───でも、確かに白檀様はお好きだろうね。勇者もまだ戻ってこないようだし、もう少し見物するか』
態々ため息まで伝心で伝えた梅香を横目で睨みつつ、目の前の光景に意識を戻す。
少し梅香と話している間にも、話は続いていたらしい。ハークとアークの瞳の色が危険色に光っている。助ける際に私の血を一滴飲ませたので、彼らは私の眷属扱いになる。自分のものにする気など欠片もなく、怪我さえ全て治ればどこにでも出て行けば良いと思っているが、血を抜かない限りは彼らは私の特徴を受け継いでいた。人の身であるくせに、私の名を正確に発音できるのもその所為だ。
私の瞳の色は碧。彼らの瞳の色は濃い藍色。全く違う色合いであるが、彼らが怒ると私の眷属としての力が僅かに発現する。血の一滴程度なら中級の魔物にも及ばないだろうが、人に比べれば遙かに強い。肉体的にも、魔力的にも、だ。
私の血を受け入れてから彼らが怒りに支配される状態を見たことがなかったのだが、どうやら余程腹に据えかねる言葉をもらったらしい。ぴりぴりと空気が震え、怒りが皮膚を刺す。
悪魔として力ある私ですらこの程度の刺激を受けるのだ。人である勇者一行はさぞかし強烈な殺気に身を焼かれる気分でいるだろう。
事実、アイルもシェリルもウェイも今にも気絶しそうな土気色の顔色をしていた。いっそ気絶できれば楽なのだろうに、中途半端に戦闘経験があり修羅場を潜ったから意識すら失えないのだろう。
私としては、この程度の殺気に当てられているのに、どうして私や梅香を威嚇出来たのか心底疑問だ。この二人程度の力の方が弱くて判りやすいのだろうか。少なくとも、レイノルドであればこうはいかないだろうに。
この場に居ない勇者を思い出しため息を吐けば、何故か梅香から鋭い視線を送られた。伝心を繋げたでもないのに、全く察しのいい幼馴染だ。
飽きつつある私と梅香を横目に、シリアスな空気は続く。
「王女が錯乱状態に陥るはずがない。───弟が、彼女に付きっきりなのは本当だろうがな」
「・・・どういう、意味ですか?」
「簡単で単純な理由だ。我らを瀕死の状態に追い込んだのは、その錯乱状態の王女様だという話なだけだ。魔物に襲われ彼女の護衛についていた我らは、王女を護るために命を懸けた。腕が捥がれても胸が裂かれても、我らは護る心積もりでいた」
「死に掛けながら戦う我らに、王女はおっしゃった。『私のために、死んでくださいませ』と」
「我らは意味が判らなかった。混乱し、胸を貫かれたハークを見て、王女は美しい顔に花が綻ぶような笑みを浮かべられた。全ては彼女と弟が仕組んだ罠だった」
『ありがちだな』
『ええ、ありがちね』
『あっちの世界のドラマでありそうな内容じゃないか。昼の時間に流れている感じのどろどろした』
『あなたが良く体験してそうな雰囲気の内容のあれ?』
『失礼な。僕は遊ぶ女は選ぶよ。三文芝居につき合わされるのは真っ平ごめんだ。出会いは運命的に、別れはスマートにが僕のモットーだ』
『・・・刺されなさい、一度』
ハークとアークの話よりも梅香の話が身近な私としては、この幼馴染を焼却処分するかを真剣に悩み始める。白檀様の直属の部下であるくせに、そこら中から隠し子が出てきたらどうすればいいのだろうか。
彼がどれだけ女好きか、そして女の扱いに慣れているかを知っているが、いくら子供が出来にくい体質の私達でも数を打てば当たる。
もし隠し子を連れている女性が名乗り出たら、絶対に責任を取らせてやろうと密かに決意していると、僕がそんなへまをするかと最悪極まりない伝心が来てぶちきった。
私達が心の中でそんな下らない遣り取りをしているとは知らない人間達は、シリアスムードを継続している。
信じられないと首を振るアイルたちに、ハークとアークは碧の目をしたまま続けた。
「王女は魔よけの守護を持つタリスマンを弟から受け取っていた。そして同時に我らには逆の効果のタリスマンを持たせていた」
「どうせ死ぬのだからと、彼女は我らに色々と教えてくださった。曰く、我らがいると弟と結婚できない。曰く、我らがいると弟が当主になれない。曰く、我らがいると近衛隊を制圧出来ない。曰く、我らが生きていることは邪魔で仕方ない、と」
「あれほど嬉しそうに微笑まれた彼女は初めてだった」
「我らが慈しみお育てした王女は、物心ついたときから我らが邪魔で仕方なかったそうだ。───殺す瞬間まで、絶望を与えようと望むほどに」
深い闇を感じさせる声音で告げた彼らは、いっそ鮮やかに微笑んで見せた。彼らの普段の笑顔は知らないが、それが酷く歪なものだと私でも判る。
怒り、悲しみ、絶望、悔しさ、憎悪、切望、哀切、その他もろもろを含んだ笑みは、凶悪なまでに美しい。
彼らはきっとその王女を大切にしていたのだろう。そこにあったのが愛慕や恋慕、思慕なのか、それともただ単に敬愛だったのか知らないが、慈しんでいたのには違いない。命を懸けるのに躊躇を覚えない程度に特別に想っていた相手は、しかし彼らを裏切った。彼らと弟の関係がどうだったのか知らないし、知りたいとも思わないが、心中は複雑で当然だろう。
絶対零度の眼差しと、今にも牙を剥かんばかりの殺気に、アイルたちが晒されるのは仕方ないだろう。
踏み込んでいけない領域に、彼は土足で踏み込んだ。それは知らないで言い訳は利かない繊細な領域で、当然の権利とばかりに主張した彼の言葉がどれ程外れたものかを物語っていた。
アイル自身もきっと二人の発言に驚いているだろう。昨日ちらりと聞いた内容では、彼は王女に強い憧れを抱いていたようだったから。
そこまで考え、気が付いた。付け入るための隙は、とても大きく口を開いて待っていたのではないか。
『梅香』
『何だい、伽羅』
『目の前のこの勇者一行を取り込むのは下策だと思う?』
『さぁ、どうだろうな。・・・彼らを取り入れて浮かぶデメリットはないが、メリットも思い浮かばない。ああ、でも勇者対策にはなるかもしれないな。いざと言うとき目の前の彼らが君の肩を持てば、勇者も簡単に白檀様に手を出せなくなる』
『・・・そうね。そんな状況作り出すはずがないけれど、一瞬の躊躇さえ得れれば手は打てる。ならば、この者たち取り込みましょう』
『どうする気だ?』
『───成体に戻るわ』
伝心で告げた内容に、梅香は少しも驚かなかった。