閑話【菊花】
R15になります。伽羅が白檀以外と絡むのが駄目な方は、どうぞ回れ右でお願いいたします。
しゅるり、と小さな音を立てて髪を結んでいたリボンを解く。極上のレースを利用し作られたそれは菊花が自分で選んだものだが、生憎伽羅が気に入ることはなかった。
彼女の嗜好はあくまで白檀が中心であり、彼の名にあるのに彼女は『白』を嫌っている。それもこれも彼女が敬愛する白檀自身が白を嫌っているからで、それ故に彼女は極力白を身につけようとしなかった。
解いたリボンを投げ捨てれば、波打つ金の髪がさらりとほどけ腰元まで流れる。小悪魔の姿であるのと、白いドレスを纏うことから生娘のようにあどけなく無垢に見える様子に、喉の奥で小さく笑えば掛けていた眼鏡を飛ばされた。柳眉を顰める伽羅に笑いかけ気にせず顔を近づける。菊花の場合眼鏡は別に視力強制に必要なものでもないので、そのまま白くまろい頬に口付け小さな体を抱き上げた。
華奢な体は比喩表現でなく空気より軽い気がする。抱きしめれば彼女特有の熟れた果実のような甘い香が漂い頭がくらくらした。
こみ上げる愛しさを押さえる術を知らぬまま、菊花のベッドへとその体を下ろす。白いシーツに埋もれるように置かれた伽羅は、碧の瞳の色を濃くし菊花を見詰める。
カーテンが締められていない窓から、人間界でも美しいと感じる月の光が差し込み、きらきらと金色の髪を輝かせた。黄金の海のように美しいそれは、指に掬ってもさらさらと音を立てて流れ落ちる。気紛れで留めて置けない様が彼女の本質を現しているようで、伽羅の前でしか見せない笑顔でくすりと笑った。
菊花が目の前の悪魔にあったのは、もう軽く700年以上は前になるだろう。その時から彼女の美貌は秀でていたが、時を経て益々磨きが掛かってきた。
天界でも見ることが出来なかった見事な金色の髪に、宝石より美しい碧の瞳。肌はぬけるような雪白で、華奢な体は抱きしめたら折れてしまうのではないかと思えるくらいだったのに、それでも抱きたいと願う気持ちが抑えきれない強烈な欲望を抱いた。その感情の強さに、自分でも驚いたほどだ。
一般に天使は博愛主義といわれている。それは実際に本当で、天使族は漏れなく誰にでも平等の愛を注ぐ。誰にでも等しく公平に。それが天使の特徴でもある。
しかしながら、その天使の博愛の意味を正しく理解する存在は、同じ天使以外にはいないだろう。
天使の博愛は二種類ある。文字通り全てを愛する博愛と、誰にも関心がない故に平等性を保つ博愛。
菊花の場合は当然後者であり、その中でも変り種と呼ばれる存在だった。
天使は常に微笑みを浮かべ愛を説く。それなのに菊花は笑顔を浮かべるのが極端に苦手で、むしろ楽しくもないのに笑っている同僚を見て虫唾が走ったものだ。悪魔と違い淡い色を纏う天使。白を好むのも相俟って人には敬愛されたが、その実質は菊花の好むものではない。関心がない故に平等でいられた菊花は、微温湯のような生活を受け止めていた。
「───伽羅」
蕩けそうな声が自分から出ているなど、700年以上経った今でも信じられない。人の身であれば自分は幼女趣味に分類されるのかもしれないと今日来た勇者を思い出し、また小さく笑った。
腕の中の存在が愛しい。この存在だけが愛しく、好ましいために菊花は堕天した。
博愛を謳う天使は特別を作ってはならない。王である神はあくまで平等を説き、それを守るのが天使の主文だ。それを守れなければ、卑しいとされる魔に身を堕とさなければならない。そしてそれは天使がもっとも恐れることでもあった。
細い首筋に口付け、ちゅっと吸えば赤い華が咲く。自分を刻み付ける行為は楽しく心が踊る。色が白い伽羅には簡単に痕が残り、それがまた歯止めの利かない行為を助長させた。
ふっと漏れる息が耳に掛かり、ぞくりと背筋を駆け上るのが快感だと理解したのはいつだったか。噛んでも殺しても漏れる愛しさに、胸が苦しく呼吸が困難になる。
魂を握られている感覚。息すら難しいほど荒れる感情は彼女が原因であるのに、菊花を留めるのもまた彼女の存在だった。
愛しくて恋しくて仕方ない。
唇で鎖骨を辿り、ドレスから見える胸元ぎりぎりに唇を落とす。吸い付けばやはりあっさりとしるしが残り、とても気分が昂揚した。
もっと、もっとと望む声に逆らう気は起こらず、舌で辿ると薫りどおりに甘い体を満足するまで舐め回す。どんどんと薫りが濃くなり、菊花の理性を徐々に奪った。
「愛してます、伽羅」
博愛主義の天使は一人に愛を告げることも出来ない。
菊花は伽羅に恋したがために堕天した。
彼女に唯一の愛を捧げたいがために堕天し、そして彼女のものとなった。
「あなただけを愛しています」
天使は悪魔を忌避する。しかしながら唯一の愛を捧げるためにはとても都合がいい。
堕天した天使は悪魔と同じ。だからこそ、伽羅も菊花の言葉を信じる。
───悪魔は唯一の愛を囁く。見せ掛けだけでない想いを一途に捧げる。
それを愚かだと思っていた菊花はもう存在しない。
ばさり、と意識して羽を出せば、在りし日には白かったそれは漆黒に近い色になっていた。
三対六枚の羽を見て、伽羅は満足そうに瞳を細めて笑う。
この色に羽を染めたのは伽羅で、ここから先菊花が生き続ける限りこの色が白に戻ることはないのだろう。
悪魔から天使へと変わるものも稀に存在するが、菊花にはそれは望めない。
「あなたが恋しい」
甘ったるい気は伽羅のもの。それを吸い込むたびに菊花はどんどんと堕ちていく。
塗り替えられる体の構造。否、体だけでなく魂から作り変えられる。
目の前の存在が失くしては生きていけないように。
それは何とも喜びに満ちた変化で、どんどん深まる愛情に眩暈がしそうだ。
愛しくて恋しくて仕方ない。
彼女が願うから菊花は白檀の側近へと納まった。そしてこれからも彼女が願えば何だってしてやるのだろう。
「伽羅」
桃色の唇に唇を合わせれば、菊花にとって極上の気が奔流となり流れ込む。
彼女の唇を舌で開け、辿り、貪れば貪るほどその甘く美味しい伽羅の気が体を支配するのが判った。
甘美な束縛に抗う術はなく、もっと自分を堕として欲しいと望む。
生きるために摂取しなくてはいけない伽羅の生気。これが絶えれば菊花はただ死に絶えるしかなく、それを望まれたら喜んでそうするだろう自分を知っていた。
月明かりに照らされた部屋の中、ただ一人に愛を囁くために堕天した愚かな男は、満足いくまでその原因を貪った。
静かな夜、世界よりも大事な伽羅は、確かに菊花の腕の中に存在していた。