一日目【3】
『これこれ。そんなに脅すものじゃないよ、お前たち』
響き渡る声に、目を眇める。すかさず隣を見上げれば、梅香は眉を下げて苦笑しながらひょいと肩を竦めた。
どうやら予定外の事態に眉間に皺を刻む。
お戯れが大好きなあの方は、待ちきれなくなってしまったらしい。子供のような部分を持ち合わせているのを理解しているので今更驚くことはなかったが、けれど十分に頭が痛い事態だ。
私と梅香が何かするよりも先に扉が開き、赤い絨毯が敷かれた先にいる方はゆったりとした王座に腰掛け行儀悪くも肘掛に腕をついていた。
指先を動かす仕草にふわりと身体が浮く。圧倒的な力だがそれが私の身体を傷つけるはずがないと知っているので身は委ねた。
ふわりとした力に包まれ視線が高くなる。眇めた蒼色の瞳と一瞬だけ視線が絡み、それと知られぬように目を逸らした。
面白そうに唇を持ち上げる幼馴染はどうやら状況を見守る事を選んだらしい。お気に入りの白魔術師の隣を陣取ると、ひらひらと掌を振ってよこした。
平行移動する視界をそれとなく眺めると、僅かな後に自分を包んでいた力が緩むのを感じ自身の力を展開しようとする。だが、さらに大きな力に握りつぶされ僅かにバランスを崩した。
「白檀様!」
小声でその力の主を窘めるも、何を思いついたのか楽しそうに瞳だけで笑う彼は私を膝の上へと抱き込む。慌てて控えている菊花に視線をやれば肩を竦めお手上げとジェスチャーで伝えてきた。
本当に役に立たない男だと唇をかみ締め睨み付けるが、何処吹く風と相手は涼しい顔のままだ。
どうにかして状況を立て直そうと身を捩るも、それほど力が篭められていなそうに見える彼の腕を払いのけるなど無理な所業だった。
仕方なしに彼の膝に抱かれたまま顔を上げれば、最早こちらを見ていない視線は一直線に勇者一行に向いていた。
「白檀様」
「ああ、何だ、養い子?」
「機嫌が良さそうですね」
「そうだな。そうかもしれない。───なあ、俺の養い子。あの勇者は本当に俺を退屈させぬな」
黒い瞳を眇めて喉を震わせる白檀様は、勇者の異変に早くも気づいたらしい。愉快そうに唇に手を当て、くつくつと声を漏らす。
その姿に、不敬だと知りつつも私は眉根を寄せて反感の意を露にした。
昔から白檀様は何かと言うと勇者の肩を持つが、私はそれが気に入らない。
厭きないから気に入っている。
その言葉を彼に貰える存在など、一握りも居ないと誰より知っていたから。
不機嫌になった私に気づいたのか、宥めるように大きな掌が髪を弄る。優しく触れる様はまるで慈しむようだと勘違いしてしまいそうで、俯き唇をかみ締めた。
だがそんな反応など一瞬で、この身体になっている間は普段よりも大きく感じる掌をやんわりと両手でどかす。
愛しさを恋しさが超える前に、この感情を整理する必要があった。
「白檀様。勇者一行を御前へとお連れしますが、宜しいですか?」
「ああ、構わぬ」
「伽羅はそのままで?」
「ああ。───反応を確かめたい故な」
まるで私の想いを見透かすようなタイミングで割り込んだ菊花は、何食わぬ顔で白檀様へと語りかける。
感情の色のない言葉。白檀様よりも年上の彼らしい制御の行き届いた声を多少羨ましく思うが、今はそれどころではないと気分を切り替えた。
白檀様の指示に従い力を使った菊花は、指を動かし入り口から動かないレイノルド達を先ほどの私と同じように浮かすとそのまま移動させた。
ただ一人術の制御下に入らなかった梅香は肩を竦めると、瞬間移動で菊花と反対側の白檀様の隣へと並ぶ。
「あんたが魔王か」
口を開いたのは叩頭すらせず真っ直ぐに突っ立ったままの勇者一行の真中に居た、勇者様本人。
飾らぬ口調と言えば聞こえは言いが、無礼にも程がある態度に私の髪がふわりと浮く。
危うく力の発現を催そうとした私を、押さえ込んだのはやはり白檀様だった。
「そうだ」
「俺の名は───」
「知っている。レイノルド・ラッチェだろう?否、今生ではレイノルド・F・ラッチェだったか」
「何故知っている?」
「何故?それを俺に問うのか?クククッ、愉快だなレイノルド。お前は本当に俺を厭きさせぬ」
蒼色の瞳を剣呑に細めた『彼』は、やはり何故か判らぬらしい。
魔王と呼ばれる白檀様が笑う理由も、彼が何故『彼』の名を知っているかも。それが判らぬからこそ更に白檀様が笑いを堪えれぬというのも。
短く刈り上げた海を映した蒼い髪。硬質そうな髪型は私も初めて見るが中々に似合っている。
苛立ちを湛えた空と同じ蒼い瞳。虹彩の色も、中の少し濃い瞳孔も覚えているのと同じ色。覚えているより面立ちは幼いが、それでも十分に記憶と重なる。手に出来た剣だこ、身に纏う褪せぬ銀の鎧。
だが私が知っている『勇者』は『彼』とは違い、もっと───。
「伽羅」
「ッ、はい、魔王様」
物思いにふけっている途中で呼ばれ慌てて身を正す。
先ほどとは違い距離はないので彼の名は呼ばない。白檀様が名乗らなかったのはそういう意味だろうから。
姿勢を正した私の頭を撫でると、勇者の顔から視線を逸らし私の耳へと唇を寄せた。
耳に当たる吐息がくすぐったく気恥ずかしい。この程度の接触は慣れているはずなのに、彼に対してだけいっこうに慣れなかった。
「勇者をもてなすがよい。お前の本来の姿をもって」
「!?」
「魔王様!」
諌めるような響きで声を上げたのは菊花で、気を重くしたのは梅香。
私はと言えば驚きで目を見開き硬直したまま、こちらを真っ直ぐに射抜く蒼い瞳を呆然と見た。
だから勇者は嫌いなのだ。
お願いではなく、ましてや懇願でもない命令を耳にした私は、屈辱で唇を噛みただ一人を睨み付けた。