表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

既読のまま、返信が来なかった十分間

作者: たくわん。
掲載日:2026/04/12

 間違えた、と気づいたのは、送信ボタンを押した0.5秒後だった。


 スマホの画面に表示されたトーク画面の名前は、「七海」ではなく、「有馬颯太」だった。


 私の指が、固まる。


 心臓が、一回だけ、ドクンと大きく跳ねた。


 送れなかった言葉が、世界で一番読まれてはいけない人のところへ飛んでいった。


 ——颯太のこと、ずっと好きだった。三年間、ずっと。


 画面の端に「既読」という小さな文字が灯った瞬間、私はスマホを落としそうになった。


     *


 時間を少し巻き戻す。


 十六時四十分。放課後の教室。


 夕暮れが窓から斜めに差し込んで、黒板消しの粉がきらきら舞っているのを、私——桜山ひよりは、机に頬杖をついて眺めていた。


 有馬颯太は、廊下側の席でクラスメートの男子と笑いながら話していた。声が大きくて、笑い方が豪快で、相変わらず部活帰りみたいに少し乱れた制服のままで。


 ——あ、また見てる。


 自分でわかってて、目が離せない。


 颯太と私は幼なじみだ。小学校一年生のときから同じ団地に住んでいて、今は同じ高校の同じクラスになってしまった。なってしまった、というのは私の主観で、客観的に見ればそれはただのラッキーなのかもしれないけど、好きな人と毎日顔を合わせるのは正直言って拷問に近い。


 好きだと気づいたのは、中学三年の春だった。颯太がバスケの試合でシュートを決めたとき、ワーッと盛り上がる体育館の中で、私だけ声を出すのを忘れていた。胸がうるさくて、それどころじゃなかった。


 それから三年。私はずっと、この気持ちを誰にも言わないまま生きてきた。


 言えるわけがない。幼なじみだから。距離が近すぎるから。もし振られたら、もう二度と昔みたいには話せなくなるから。


「——ねえ、ひより」


 そのとき、親友の椎名七海が私の机の横に立った。陸上部のショートボブ。いつも核心を突いてくる天才。


「聞いた? 颯太くん、二組の伊藤さんと付き合うらしいよ」


 七海の声は小さかったけど、私の心臓には聞こえた。


 伊藤さん。知ってる。背が高くて、笑顔がきれいで、去年の文化祭でステージに立ってた子。颯太が「あの人歌うまいよな」って言ってたのを、私は覚えてる。覚えてしまってる。


「……そっか」


 自分の声が、どこか遠いところから聞こえた。


「そっか、じゃないでしょ。ひより、顔色悪い」


「大丈夫。ちょっとトイレ行ってくる」


 立ち上がって、颯太の方を見ないように廊下へ出た。


 でも、廊下に出た瞬間、目が合ってしまった。


 颯太と。


 向こうから話しかけてきた男子と笑っていた颯太が、私に気づいて、笑顔のまま軽く手を上げた。


「ひより、帰り一緒に——」


「ごめん、先行く」


 私は目を逸らして歩いた。早足で。颯太の声が後ろで「え、あ、うん?」と途切れるのを聞きながら。


 こんな顔、見せられない。今すぐ泣きそうな顔なんて、絶対に。


 トイレの個室に入って鍵をしめて、冷たいドアに背中を預けた。


 泣かなかった。泣けなかった。


 ただ、胸のあたりがじわじわと重くなっていくのを感じながら、スマホを取り出した。七海に送ろうと思った。全部吐き出してしまいたかった。ここに閉じ込めておくのが、もう限界だった。


 指が動いた。LINEを開いた。文字を打った。


 ——颯太のこと、ずっと好きだった。三年間、ずっと。もう終わりにしようと思う。ありがとうね、聞いてくれて


 送信した。


 そして一秒後に気づいた。


 トーク画面の上部に書かれた名前は——「有馬颯太」だった。


 七海とのトークを開いていたはずだった。でもきっと、さっき颯太からクラスの連絡が来て、そのまま画面が颯太のトークに切り替わっていたんだ。


 頭が真っ白になった。


 消せ、と思った。送信取り消しのボタンに指を置いた。押す直前で、手が止まった。


 ——もう読まれてたら?


 既読がついた後で消したら、読まれたことが確定する。消さない方がいい。でも消した方がいい。どっちが。どっちが——


 画面の端に「既読」という小さな文字が灯った。


 消すタイミングを、失った。


 足が震えた。個室のドアに手をついて、なんとか立っていた。


 スマホを握りしめながら、画面をじっと見つめた。


 返信が、来ない。


 十六時五十二分。


 十六時五十三分。


 十六時五十四分。


 三分経った。まだ来ない。


 頭の中でぐるぐると言い訳を考えていた。


 ——友達へのメッセージを間違えて送った、って言えばいい。実際そうだし。「ごめん誤爆した!!気にしないで!!」って送ればいい。それで全部なかったことにできる。できる、はず。


 でも指が動かなかった。


 スマホの画面を閉じた。開いた。また閉じた。また開いた。「既読」の文字だけが、冷たくそこにある。


 颯太は今、何をしてるんだろう。画面を見てるのか。クラスメートと話してるのか。それとも、伊藤さんと——


 そこまで考えて、胃がきゅっと縮んだ。


 なんで動かないの。早く打って。早く送って。こうしてる間にも颯太は読んでる、読んだ、どう思った、どう思ってる——


 十六時五十六分。四分経った。


 七海から着信があった。出た。


「ひより! ちょっと待って、颯太くんが今すごい顔してる! 何かあった!?」


「……七海、ちょっと黙ってて」


「えっ」


「黙ってて。お願い」


 電話を切った。ごめん七海。あとでちゃんと話す。


 十六時五十八分。


 六分経った。まだ来ない。


 通知の振動が来るたびに心臓が跳ねた。でも全部、関係ないアプリからだった。颯太からじゃなかった。


 返信が来ないのは、どういう意味なんだろう。


 ——あ、そうか。


 静かに、腑に落ちた。


 颯太は伊藤さんと付き合うんだ。だから返信に困ってるんだ。幼なじみから急にそんなメッセージが来ても、どう返していいかわからないんだ。


 気まずい沈黙。それが答えだ。


 ずっと怖くて言えなかった三年間が、こんな形で終わった。みっともなく誤送信で、しかも返信すら来ないまま。


 自嘲するみたいに笑おうとしたけど、笑えなかった。


 まだ来ない。まだ——


 そのとき、トイレのドアがノックされた。


「ひより」


 颯太の声だった。


 全身の血が、一瞬で冷えた。


「……なんで男子がここに」


「女子トイレの前に立ってる。中に入ってない。ひより、いるだろ。声聞こえてた」


 返せなかった。喉が詰まって、声が出なかった。


「返信しようと思ったんだけど」颯太が続ける。声のトーンがいつもと違う。「なんか、ちゃんと顔見て話したくて。来た」


「……誤爆だから」


「うん、知ってた」


「え」


「七海に送るつもりだったんだろ。お前、たまにやるじゃん。中学のときも俺に南極の豆知識送ってきたし」


「……それは関係ない」


「でも内容は、お前の本音だろ」


 静かな声だった。責めてるわけでも、からかってるわけでもない。ただ、真っ直ぐな声。


「……出てこいよ、ひより」


「出たくない」


「顔、真っ赤なのわかるから、それはわかった上で言ってる」


「なんでわかるの」


「声でわかる。ずっと一緒にいたから」


     *


 私はしばらく、個室の中で立ち尽くしていた。


 逃げたかった。消えたかった。床に穴が開いてくれればよかった。でも床は開かなくて、颯太はドアの向こうにいて、心臓は嘘みたいにうるさくて、もう全部終わりだと思った。


 ——終わりにしようと思う。


 私がさっき打った言葉が、頭の中でリフレインした。


 終わりにしようと思っていた。颯太に彼女ができるなら、もうこの気持ちは捨てようと思った。ずっとそばにいられるだけでいいと思っていたのに、いざ本当にそういう現実が来たら、全然平気じゃなかった。ぜんぜん。全然。


「ひより」


 また颯太が呼んだ。


「伊藤さんの話、聞いた?」


「……聞いた」


 颯太が少し黙った。


「……颯太、今から言うこと、ちゃんと答えてくれる?」


「うん」


「伊藤さんと付き合うの」


 また間があった。今度は少し長かった。


 その沈黙の間に、私の心は静かに沈んでいった。やっぱりそうなんだ。だから間があるんだ。なんて言えばいいか考えてるんだ——


「嘘だよ、あれ」


 息を、飲んだ。


「え……」


「俺が断ったんだ。告白してもらったけど、断った。三組の奴が広めたみたいで、話がひとりでに歩いてた」


「……なんで断ったの」


 少し間があった。


「それ、今聞く?」


「……聞く」


「じゃあ出てきてから聞けよ」


 私はもう一回、深呼吸をした。


 一回。もう一回。


 手が震えていたけど、鍵に指をかけた。


     *


 女子トイレの出口に、有馬颯太は壁に背中を預けて立っていた。制服のネクタイが少し緩んでいて、バスケ部で日焼けした頬が、夕方の廊下の光の中でいつもより赤く見えた。


 私の顔を見て、颯太は一瞬だけ、なにか言いたそうな顔をした。


 でも言葉より先に、その視線が私の目を捕まえて、離さなかった。


「……赤い」


 颯太が静かに言った。


「わかってる」


「かわいい」


 心臓が止まりかけた。


「やめて」


「なんで」


「そういうこと言うのやめて。私が、しんどくなるから」


 颯太が一歩、こちらへ近づいた。廊下の端、夕陽が差し込む場所で、私たちは向かいあっていた。


「ひより、俺と幼なじみになって何年?」


「……十年」


「十年で、俺がお前にかわいいって言ったことあった?」


 記憶を探った。


 なかった。颯太はそういうことを言う人じゃなかった。からかいはするけど、そういうふわっとした言葉を使う人じゃなかった。


「……ない」


「ない。じゃあ今初めて言ったわけじゃん」


「……うん」


「それ、なんでだと思う」


 返せなかった。


 颯太が、少し息を吐いた。


「伊藤さんのこと断ったのはさ」と颯太は続けた。「好きな人がいるから、って言った。ちゃんとそう言った」


「……誰?」


 即座に聞いてしまって、自分でも驚いた。颯太は少しだけ目を細めて、苦笑いみたいな、でも笑いきれないような、そんな顔をした。


「バカじゃないの、お前」


「バカって言わないで」


「バカだろ。三年間ずっとそばにいて、気づかないって、どういうことだよ」


 廊下の向こうで、部活帰りの生徒が数人通り過ぎていった。でも私には何も見えていなかった。颯太の声しか聞こえていなかった。


「……颯太」


「お前がメッセージ送ってくる十分前」颯太は、少し声のトーンを落とした。「俺、教室で今日こそ言おうかって思ってた。ずっとタイミング逃してたから、もう今日、放課後に言おうって決めてた」


「……嘘」


「嘘じゃない。でも伊藤さんの話が広まって、ひよりが出てったから、追いかけようとしたら七海に止められて。そしたらメッセージ来た」


 颯太はポケットからスマホを出して、画面を私に見せた。


 私のメッセージが表示されていた。


 既読がついて、返信がない状態のまま。颯太はずっと、ここへ来るために歩いていたから、打てなかったんだ。


「颯太のこと、ずっと好きだった、か」颯太が静かに読み上げた。「三年間、ずっと」


「……やめて、声に出さないで」


「もう終わりにしようと思う、ってとこだけ、俺は嫌だった」


 颯太の声が、少しだけ揺れた。


「終わりにしないで」


 目の奥が、じわっと熱くなった。


「……颯太」


「俺も、三年間だから。ひよりが好きだって、三年間ずっと思ってたから」


 廊下の先に夕陽が伸びて、颯太の輪郭を金色に染めていた。部活で鍛えた肩の線と、照れているのに真っ直ぐ私を見ようとしている目と、少し乱れた制服と。十年間ずっと見てきた有馬颯太が、今この瞬間だけ、ぜんぶ違って見えた。


「だから」と颯太は言った。「俺と付き合って」


 シンプルだった。


 ドラマみたいな演出も、気の利いた言葉も何もなくて、ただ真っ直ぐで、あんまりにも颯太らしくて——私は笑ってしまった。


「……なにそれ」


「なんだよ」


「告白の言葉、それだけ?」


「充分だろ」颯太が少し頬を赤くした。「なんか言い方あった?」


「もっとこう……ロマンチックなやつ」


「じゃあ言い直す。——ひより、お前のことが好きだ。三年前から、ずっと。誰よりも」


 今度は笑えなかった。


 目の端から、一粒だけ、涙が出た。


「……うん」


 私は言った。


「私も。颯太のことが、ずっと好きだった」


     *


 放課後の廊下に、夕陽が長く伸びていた。


 颯太は私の隣に並んで歩きながら、少しだけ照れくさそうにしていた。いつもと歩く速さが違う気がした。ゆっくりで。私のペースに合わせているみたいで。


 ——こんなに近くにいたのに、こんなに遠かった。


 でも今は、それだけが、嘘みたいに消えていた。


「……ねえ、颯太」


「なに」


「さっき、今日言おうって決めてたって言ったじゃん。何がきっかけだったの?」


 颯太は少し考えた。


「先週、ひよりが図書館で本読んでたじゃん」


「うん」


「俺が声かけたとき、顔上げた瞬間、なんか……すごく綺麗だと思って」


 また心臓が変な動きをした。


「それで?」


「それで、あ、もう無理だと思った」


「無理って何が」


「黙ってるのが。このまま卒業したら絶対後悔するって、そのとき初めてちゃんとわかった」


 私は前を向いたまま、口元が緩むのを止められなかった。


「ちゃんとわかった、か」


「うるさい。わかってたけど、ちゃんとわかった、っていうのがあるんだよ」


 颯太が少しムキになっているのがわかって、私はまた笑ってしまった。


 十年間、ずっと隣にいた人。うるさいくらい声が大きくて、笑い方が豪快で、たまに無神経で、でも大事なところで優しい人。


 この人のことが好きだった三年間が、今ようやく、ちゃんと報われた気がした。


「颯太」


「なに」


「誤爆してよかった」


 颯太が噴き出した。


「それは笑うわ」


「笑わないでよ」


「だって誤爆してよかったって、なんだよ」


「ほんとのことだもん」


 颯太がまた笑った。今度は声を出して、廊下に響くくらい笑った。


 そして笑いながら、何気なく、指先が私の手に触れた。


 軽く、そっと。でも離さないように。


 私は何も言わなかった。颯太も何も言わなかった。


 ただ、夕陽の中を二人で歩きながら、手が、繋がっていた。


 少し歩いたところで、颯太がぼそっと言った。


「次は誤爆じゃなくて、ちゃんと言えよ」


 え、と思った瞬間、颯太が少し前を向いたまま、耳まで赤くなっているのに気づいた。


「……お前もな」


 私の声も、たぶん、震えていた。


 颯太がまた笑った。今度は声を出さずに、俯いたまま、肩を揺らして。


 繋いだ手が、少しだけ、強くなった。


     *


 後から七海に聞いた話だと、あの日教室に戻ってきた私たちを見た瞬間、七海は「あ、終わった(始まった)」とつぶやいたらしい。


 理由を聞いたら、「二人とも、今まで見たことないくらいいい顔してたから」だそうだ。


 颯太はその話を聞いて「七海、観察力ありすぎだろ」と笑っていた。


 私は後日、ちゃんと七海に誤爆の経緯を話した。七海は爆笑して「いや、神様がやったとしか思えない」と言った。


 それから颯太はたまに「また誤爆してくれてよかった」とからかってくる。そのたびに私は「うるさい」と言う。颯太は笑う。


 十年間ずっと当たり前だった人が、今は特別になった。


 景色は変わっていないのに、隣に颯太がいるだけで、なんだか世界が少し、きれいに見える。


 それはたぶん、三年間ずっと好きだった気持ちが、ちゃんとここに届いたから。


 ——既読のまま返信が来なかった十分間は、私の人生で一番長い十分間だった。


 でも、その十分間がなければ、颯太は廊下へ来なかった。


 だから私は今でも思う。


 あの日、間違えてよかった、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ