第3幕:影の仕立屋 シニエ
「ル、ル、ルルルルルーーー!灰色の街からの脱出劇はなかなかスリリングだったよ!しかぁし!世界にはさらに奇妙な場所があるのだよ!ほら!首を捻じ曲げて前を見たまえ!次なる団員のスカウト先は──灰色を通り越した『影の都』だ!」
世界を旅して変人奇人を探し求める『マッド・サーカス』の団長、歌劇王ルールルルーが空間の裂け目からひょいと降り立ったのは、薄暗い霧に包まれた常世の都市『影の都』。
この街は常に深い霧に覆われており、石畳も建物も朧げな闇の中に佇んでいる。一見すると静かなだけの街に思えるが……街灯が照らしだす影はどれも不定形に滲み、霧の中でゆらゆらと揺らめいている。
鼻歌を唄いながら歩くルールルルーは『影の都』の路地裏へ適当に入り、眼も鼻もない真っ黒な顔を持つ黒猫に道を尋ね、誰も見ていないのに完璧なムーンウォークを披露し……やがて、いくつもの路地を曲がった突き当たりの先にある、看板すら出ていない服飾店に辿り着く。
「……」
そこは商品棚に黒一色のドレスしか並んでいない、奇妙な仕立屋。キャンドルの微かな灯りに照らされた店内の隅には、無数の『切り取られた影』が布のようにひらめいている。
不気味な店内にたった一人で、黒一色のエプロンドレスを身にまとい、同じく真っ黒なミシンに向き合っているのは、『影の仕立屋』シニエ。
彼女は今まさに、自分の足元から伸びる影を「チョキン」と巨大な裁ちバサミで切り離し、ミシンにかけていた。
カタカタと静かな音を立てて脚踏み式のミシンが動き、針を繰り出しては布のように影と影とを縫い合わせていく。寸分の狂いもなく漆黒の影を縫製していく手際を目にして、ルールルルーは拍手を贈り、歓喜と称賛の声を上げた。
「ル、ル、ルルルルルーーー!素晴らしい!『影の仕立屋』シニエ!キミの手にかかれば影は後ろをついてくるものではなく、身にまとい着飾るものなのか!なんという背徳的な美しさ!ちなみにオーダーメイドの服は受け付けているかな?一着おいくらだろうか?そろそろ燕尾服を新調したくてね!」
「……やめておいたほうがいいわ」
突然の騒がしい侵入者に対しても、シニエは顔を上げない。ただ、店内に飾られた無数の『影のドレス』たちが、意思を持っているかのようにザワリと蠢いた。
「私の影の服は、正気を保っている人には着られない。まともな人が着たら最後、精神は影に取り込まれて同化し、正気を無くして二度と元には戻れない。死装束なの、それ」
「ルルルッ!ルルル……ルルルルーッ!素晴らしい!まさに私のサーカスにおいて最も邪魔なものがその『正気』だ!そんなくだらない固定観念や固定資産税はゴミ箱に捨てて燃えるゴミの日に出してしまえばいい!いいや!むしろ唾棄すべき不燃物だ!観客たちが心の底から演目に熱狂するためには、誰も彼も老若男女一切合切『まとも』でいてもらっては困るのだよ!この私のようにね!ルルルルッ!」
「……」
「『影の仕立屋』シニエ。我がサーカス専属の仕立屋としてキミをスカウトしに来た。キミが縫い上げるのは影を使った黒い死装束ではない。着る者の本当の姿を形作るシルエット・ドレスさ。人はみな、『正気』という名の仮面を被って着飾り、本当の自分を隠し、影という闇の中へと押し込んで生きている。キミの服を着た者は影に精神を取り込まれておかしくなるのではなく、得た影こそが本当の自分なのだよ!そうだろう!?ルルルルー!」
「はぁ……」
いつもの通りに極彩色の燕尾服の裾を翻し、おおげさな身振り手振りを交えて朗々と語る歌劇王ルールルルー。影を縫う仕事に没頭していた『影の仕立屋シニエ』は、今に至ってようやく顔を上げ、口やかましい歌劇王の姿を視界に納めた。
彼女は目つきの悪い、睨むような目線でルールルルーのシルクハットからピエロの尖がり靴のつま先までを観察し……興味を失ったかのように視線をミシンへ戻した。
「お断りするわ。私にはこのお店だけがあればいいの」
「オーーウッ!まさか断られるとは露ほどにも思っていなかったよ!だがしかし!だがしかし!嘘をつくのはいただけないね!まさか影を編む仕立屋が自分の気持ちを影に押し込んでしまうとは!悲しすぎて涙がチョチョ切れてしまいそうだ!これはとてつもない悲劇だよ!ルルルルー!」
ルールルルーが泣き真似をしながら語り始めると、舞台の照明が落ちるかのように薄暗い店内の闇が色濃くなり、代わりに極彩色のスポットライトがどこからか差し込み、燕尾服の裾を翻し大げさなポージングを決める歌劇王の姿を闇の中で鮮明に浮かび上がらせる。
「なぁシニエ君。キミはどうしてそんなに一生懸命に影を縫い合わせてドレスを作っているんだい?あぁ答えなくていい!答えは常に影の中にあるからね!キミと同じく、私も真実を愛している!光の下で見せている偽物の顔ではなく、地面にへばりついたむき出しの真実……その魂の本質をね!ルールルルーッ! 」
極彩色のスポットライトを浴びて歌劇の勢いを増したルールルルーは燕尾服の胸ポケットから一枚のハンカチを取り出すと、握りこぶしの中へギュギュっと押し込み、フッと息を吹きかける……再度彼が手のひらを見せると、ハンカチは一枚の真っ赤に輝く『熱狂の契約書』へと姿を変えていた。まるで、手品のように。
「『影の仕立屋シニエ』。光の届かない影の都の奥に閉じこもり、孤独を纏いながら手慰みに影を縫う夜はもう終わりにしたまえ!キミの影は、他人の人生の最後を着飾るための悲哀の死装束ではない!着る者が自らの影と同化し、本当の自分の姿を取り戻すためのマリアージュ・ドレスだ!」
「……わかったような口をきかないで」
「ル、ル、ルルルルルーーー!わかっているのではなく!わかってほしいのだよ!キミの仕立てた服を着た我々は、より一層の輝きを放つことができる!想像したまえ!七色の花火が打ち上がり、毒々しい紫のオーロラが星空を照らす夜……君の影を纏った”圧倒的な不動”が観客の視線を釘付けにし、”可憐な音符”が心からの笑い声を響かせて舞台を跳ね回り、”歌劇王”の歌声が脳髄まで響き老若男女の精神を侵す、まさに狂騒のサーカス会場だ!観客は退屈という悪夢を忘れ、我々は熱狂というスポットライトで照らされ、燦然と輝くのだ!もちろん『影の立役者』と共にね!ルルルルーッ!」
「……うるさい。うるさいうるさい!」
ルールルルーのやかましい歌声が、あるいは芝居がかったセリフ回しが、あるいは両方……もしくはルールルルーの存在そのものが、影の仕立屋の逆鱗に触れた。
激高したシニエが顔を上げ、ギョロリとした瞳でルールルルーを睨むと、店の中に展示されていた影のドレスたちが蠢き、飛び上がってルールルルーへ向けて突進し、影の腕を伸ばして飲み込もうと襲いかかる。
しかし燕尾服の裾を翻したルールルルーは軽やかなステップで影の突進をかわし、伸ばされた影たちの腕を捻り上げてチョウチョ結びを作ってみせた。歌劇王はその名の通り、いやその名以上に見事な演舞を披露する。店内だけではなく壁や天井を縦横無尽に踊り回り、いくつもの影のドレスと共にダンスを舞い踊る。
ルールルルーに翻弄された影のドレスたちは手を握られて情熱的なフォークダンスを踊ったり、ぐるぐるとコマのように振り回されて過激なブレイクダンスを披露する羽目になったり、伸ばした腕を複雑なあやとりに使われてしまう。しまいにはチョウチョ結びした腕の余分な部分を切り離され、ルールルルーは影の結び目をまさに蝶ネクタイのようにして胸元に飾った。
「ちょ……っ!あなた!」
「オゥ!ワンダフォー!私という狂気を彩る装飾品がまた一つ増えたようだ!似合うかね?あぁ言わなくてもけっこう!キミのその驚いた顔を見ればわかるとも!さすがは腕のいい仕立屋が作った蝶ネクタイだ、映えるな。この黒の色使いなど最高じゃないか!うむ、うむ!素晴らしい!そうだ思いついたよ!この影は私たちだけで着るのはもったいない!サーカスにやってきた観客たちに提供するドレス・コードとして採用しよう!見える見えるぞ!退屈に支配された観客たちが本当の自分を身にまとい、文字通り『自分を脱ぎ捨てて』別の存在に生まれ変われる姿が!我々と共に歌い踊る、影のドレスを着た漆黒の輝きたち……最高だ!キミの手によって、マッド・サーカスは最高のランウェイへと姿を変えるのだよ!ルルルーッ!」
「……影のドレスを着た人が、踊ると言うの?」
「踊るどころか、世界を震撼させ、精神そのものを揺さぶる華麗なダンスショーを披露するだろう!今踏みだしたステップは自分かそれとも影の仕業か、もしやこれが本当の自分なのか!観客は自分の影と踊る奇妙な感覚に酔いしれる……これぞ究極のファッションショーだ!」
蝶ネクタイを締めて七色のスポットライトを浴びたルールルルーは優雅に歩き、シニエの眼前で大仰なポーズを決め、再び赤熱する『熱狂の契約書』を突き出した。
ルールルルーを狙う極彩色のスポットライトの端がシニエをかすめると、彼女の影が薄暗い店内の床に色濃く浮き上がる。久しぶりに、ずいぶんとケバケバしい光に照らされたシニエはふらふらと遠慮がちに手を伸ばし、冷たいハサミの刃先でその『熱狂の契約書』をそっとなぞる。
「……おもしろいわ。私の影があなたの舞台をどんな狂乱で飾るのか、舞台袖で見せていただきましょう」
シニエが契約書に自らの影をひとしずく落とした瞬間……『熱狂の契約書』はドス黒い色に染まり、薄暗い店内の闇の中へ紛れて消えていった。
「ルルル──!契約、成立だ!他人のために影を切り売りする素朴な仕立屋は今夜で店仕舞い!これからは本当のキミのッ!自らの望むままの影を編み、世界中から熱狂と渇望の脚光を浴びる、輝かしいシンデレラ・ストーリーが始まるのさ!なぁ影のドレス諸君!キミたちもそう思うだろう?ルルルルッ!」
契約を取り付けて喜色満面のルールルルーが盛大な拍手を響かせると、仕立屋の部屋中に散らかり、しなしなと力なくへたり込んでいた影のドレスたちは力を取り戻し、一斉に主人であるシニエの元へ飛び──彼女の影に入り込み、色濃く混ざり合い、不気味に蠢いて身体を繭のように取り巻いた。やがて闇のような影の繭が霧散すると、シニエの服装は漆黒のゴシックドレスへと変貌していた。
「うそ⋯⋯これが⋯⋯本当の私⋯⋯?」
「ルルルルッ!影が嘘をつかないのはキミが一番よく知っているだろう?影こそが真実!本当の自分はいつも闇の中にある!夜の闇に紛れる孤独な仕立屋のキミも素敵だが、うむ⋯⋯とても良くお似合いだ。常夜の闇の中でよりいっそう黒く輝く綺羅星、漆黒の灰被り姫よ。狂騒のファッションショーは絶対の成功をお約束しよう。ルルルルッ!」
「ふん⋯⋯当然よ。この私が仕立てた服を着るんだからね」
シニエは生まれ変わった姿で不敵な笑みを零す。影の都の闇に紛れて本当の自分を隠し、他者のために自分の影を切り取り継ぎはぎを仕立て上げていた彼女もまた、おかしな歌劇王の狂気の誘いに乗ることで本来の自分を取り戻したようだった。
こうしてまた一人、新たな団員を仲間に加えたルールルルーがピエロの仮面の下でニヤリと笑う……笑ったような気がした。歌劇王が指パッチンの音を高らかに響かせると、空間の切れ目から這い出した巨大なサーカステントが店ごと丸呑みにして、二人は夜よりも深い闇の中へ吸い込まれていった。
◆◇◆◇◆ 『マッド・サーカス』団員メモ ◆◇◆◇◆
『歌劇王』ルールルルー:団長。常に歌うように喋る、変人奇人を見つける感覚が異様に鋭い。
『不動の哲学者』ゼノ:300年間動かなかった伝説の変人。存在自体がサーカスの「重し」になる。
『跳ねる音符』フェルマータ:常に動きを止めず、笑いを生み出し続ける道化師。
『影の仕立屋』シニエ:団員の舞台服を仕立て、観客の影を奪いドレスに変える。




