第三話 王の日常と天才の逃亡戦術
空は夜明け前の群青に染まり、ヒカルとレヴィアが到着した廃墟の城は、切り立った山脈の奥深くに位置していた。
周囲には鋭い岩肌と深い森が広がり、人間社会の追手から身を隠すには最適の天然の要害となっている。荒廃した城壁は、かつての竜族の強大な力を物語っているが、今は静かに時を待つ仮の拠点でしかなかった。
城の中庭に降り立つと、レヴィア配下の炎竜族の小部隊がすでに駐屯していた。彼らはレヴィアの命令で人型をとり、恭しくも警戒心に満ちた視線をヒカルに向けた。
レヴィアがヒカルを抱き寄せたまま進み出ると、兵士たちの間に動揺が走る。先頭に立っていた、燃えるような赤い髪を持つ竜人の男が、恭しくも警戒心に満ちた視線をヒカルに向けた。
「レヴィア様。そのお方を連れ帰られたのですか。ま、まさか……人間では?」
レヴィアは、先程までのデレた表情を一瞬で消し去り、絶対的な威厳を纏った竜姫の顔になった。
「黙れ! 無礼であろう。この方は、我が火炎竜軍団を率いる『王』、ヒカル・クライヴ様だ。そして、我の夫でもある。貴様たちも、忠誠を誓い、命を捧げよ」
兵士たちは、一瞬顔を見合わせたが、はっと我に返ると、一斉に片膝をつき、恭順の意を示した。ヒカルは内心で安堵しつつも、この関係の危うさを再認識する。
レヴィアは兵士たちに指示を与え、ヒカルを連れて城の最上階にある、かつての王族の居室へと入った。扉が閉まり、空間が二人きりになった瞬間、レヴィアの表情は一変する。
「あぁ、もう! ヒカル! あの連中の前でずっと威厳を保っているのは疲れるわ! さあ、早く! もっと私に愛の言葉を!」
レヴィアは全身をよじらせながら、ヒカルに抱きついた。ヒカルは冷静に彼女を落ち着かせた。
「レヴィア、その前に一つ聞きたい。俺が処刑寸前だった場所は、お前たちの聖地から遠すぎる。なぜ、正確なタイミングで俺の窮地を察することができた?」
レヴィアはヒカルの額にキスを落とし、得意げに微笑んだ。
「ふふん! それは、愛のお告げよ、夫どの! 貴方が裏切られ、絶望の淵にいることが、愛の契約を交わした我には分かったの! 我らの愛の力は、距離や時間なんて関係ないのよ!」
(あ、愛のお告げ!? 契約時に何らかの感知能力が発動した可能性が高いが、真実を言わないということは、何か策略があるのか……。い、今は追求しないでおこう)
ヒカルは思考を切り替え、真剣な眼差しを向けた。
「改めて、俺が、なぜ人間社会に追われていたのかを話しておく必要がある、と思っている。聞いてくれるか?」
レヴィアはヒカルの真面目なトーンに、デレを抑え、興味深そうにヒカルの顔を見つめた。
「よかろう、夫どの。貴方がなぜあの醜い人間どもに追われ、処刑台に立たされたのか、我に話してみよ」
ヒカルは静かに話し始めた。
「俺は、ドラゴンスレイヤー教団で天才軍師候補として将来を嘱望されていた。だが、俺を妬んだ同僚、カインの卑劣な罠と、腐敗した教団上層部の陰謀によって、身に覚えのない敵国への『内通』の罪を着せられた」
「ふむ。して、夫よ、お主はどうしたい?」
「あの日、処刑されそうになった時、人間社会への復讐を誓った。……レヴィア。俺は、お前の力を借りて、この世界を間違った形で支配する者たちに、地獄を見せる。それが、俺の生きる理由だ」
ヒカルの瞳に宿る冷たい炎に、レヴィアは満足げに微笑んだ。
「ふ、ふふふ。そうか。やはりヒカルは、我にふさわしい悪しき王の器よ。我の愛と貴方の復讐心は、世界を焼き尽くす最強の力になるわ!」
レヴィアはヒカルの唇に熱いキスを落とし、さらに独占的な愛を求めようとした、その時だった。
ドォン!
静謐な声と共に、扉が乱暴に開かれた。
そこには、赤い髪を持つ竜人の男が、ヒカルへ強い敵意と嫉妬を向けて立っていた。彼の剣の柄には、手がかけられている。
「はぁはぁ、レ、レヴィア様! その『人間』が、我が軍団の『王』などと、ほ、本気で仰っているのですか!」
ヒカルは息を飲んだ。ここにいるのは、炎龍軍団の補佐竜であり、レヴィアの最も忠実な腹心、フレアだった。彼の視線には、ヒカルという異物を排除しようとする強い意志が宿っていた。
扉が乱暴に開かれた後、レヴィアの補佐竜であるフレアは、露骨な敵意をヒカルに向けたまま、レヴィアの前に進み出た。
「レヴィア様! わ、私は承服しかねます! なぜ、なぜよりによって彼なのですか!」
レヴィアは不快感を露わにし、威厳ある声で一喝した。
「黙れ、フレア! この方は既に我の夫であり、王だ。貴様の嫉妬など、軍務の妨げになるだけだ!」
フレアはヒカルを一瞥し、憎しみに満ちた視線をレヴィアに戻した。
「し、嫉妬などと! レヴィア様への忠誠心から申し上げているのです! この男を排除しなければ、炎龍軍団の誇りが――」
ヒカルの内心は激しく波打っていた。
(あの巨竜の真の姿を知るフレアを敵に回せば、俺はここで炎に焼かれて死ぬ。柄にもないが、虚勢を張るしかない。軍師としての才能で、彼をねじ伏せろ!)
ヒカルは、レヴィアの横に立ち、フレアに直接語りかけた。彼の声は、内心の恐怖とは裏腹に、鋭く冷静だった。
(フレアは常に角、翼、尾を持つ「半竜体」の姿だ。これは竜族が高速戦闘や機動力を重視する際の標準的な形態。ほかの六天将も同様だろう)
ヒカルは、フレアの形態が持つ戦闘効率を冷静に分析した。フレアの憎悪と警戒は、レヴィアの非効率な人型への固執にも向けられているのだろう。
ヒカルは、内なる恐怖を押し殺し、冷静な声でフレアに語りかけた。呼吸を維持し、脈拍を維持し、体温を保つ。動揺を少しでも察せられた途端に、ヒカルの命は尽きる可能性があるのだ。
(呼吸は制御できているが、頭の奥でリリアの断末魔が響き、復讐心が制御を破りそうだ……)
「フレアだったな……。お前の忠誠心は理解できる。だが、お前は王の才能を疑う前に、己の無能を恥じるべきだ」
ヒカルは強い口調で畳み掛ける。
たかが人間と思っていた男の反論に、フレアは意表を突かれた。竜を目の前にして、このようなことを言える人間など、彼は知らなかったのだ。
「お前が王の才能を問うならば、こちらも問おう。貴様は、この廃墟の城を取り囲む敵の規模を正確に把握しているか? 俺はわかっているぞ!」
フレアはヒカルの言葉に憤慨しながらも、驚愕を隠せなかった。
「て、偵察結果を、なぜこの男が知っている!?」
ヒカルは自信に満ちた笑みを浮かべ、あえて自らの過去と能力を語った。
「私は王立の士官学校で、軍略や兵隊運用といった科目を歴代最高の評価で修めた。そして、今は『戦場の視覚化』の異能を持つのだ」
ヒカルは、まるで盤上を見るかのように、敵の布陣を正確に把握していた。これは彼の異能と、過去の天才的な軍師としての頭脳、そしてあらゆる情報を統合して可視化する能力によるものだ。
「敵は既に、この城を包囲する大規模な包囲網を形成しつつある。ワイバーンは100頭あまり。それに加え、地上の騎士団、一大隊くらいか。さらに遠距離には中隊規模の魔法師団が俺たちの討伐に動いている。我々の手元にある兵力は、お前の連れてきた護衛を含めても、良くて数十体という絶望的な少数だ。この兵力で、教団の総攻撃を防げると思うか?」
フレアは、その天才的な分析能力と、ヒカルの口から語られた絶望的な情報量に舌を巻かざるを得なかった。彼は憎悪に満ちた瞳でヒカルを見つめ、屈辱を滲ませた。
「……無駄に頭だけは切れるようですね。ですが、私は、そう簡単に貴様を王とは認めない。お手並み拝見といきましょう」
フレアは、ヒカルの提案する奇想天外な逃亡戦術に、半ば賭けとして従うことを決めた。これが、ヒカルにとって初めての、竜族の兵力を使った作戦指揮である。
「フレア。お前は炎龍軍団に不可欠な優秀な将軍であり参謀だ。俺は、お前の忠誠心を否定しないが、今はこの窮地を脱すために、俺に協力してもらうぞ」
「それは、貴方の作戦次第、だ」
「わかっている。作戦を立てるのは俺の責務だ。そして、それを理解し確実に実行するのが、お前の責務だ。優秀なお前なら、俺の作戦の真意をわかってくれると信じている」
ヒカルの言葉は、レヴィアの嫉妬をさらに煽った。彼女はヒカルがフレアを「優秀な参謀」として独占的に評価したことにすら激しく嫉妬し、フレアの目の前でヒカルの腕に抱きつく。
「私の夫どの! 貴方は我に尽くしていればいいの! なぜあんな男を褒めるのよ!」
ヒカルはレヴィアの甘い要求に疲労困憊しつつも、「お前こそが最強の力だ」と応じ、この愛情表現が軍の士気を高める王の義務であることを再確認した。
ヒカルはフレアの嫉妬をさらに煽りつつ、この廃墟の城を脱出し、次の拠点を定めることを決意する。
【第4話へ続く】
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