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回収率

 ――翌日、朝。

 那須塩原学園の昇降口に、白い箱が置かれた。

 透明のアクリルケース。投函口には黒マジックで書かれている。

 《教育現場タスクチーム 意見回収箱》

 《匿名可》

 生徒の靴音が通り過ぎるたび、箱は少しだけ現実味を増した。

 だが――その横に貼られた一枚の紙が、空気を鈍らせていた。

 《提出は担任へ》

 《回収期限:本日放課後まで》

 巫鈴は、その紙を見た瞬間に理解した。

(回収は担任経由に戻された)

 透明の箱は飾りだ。

 提出の本線を握るのは、担任――つまり教師側。

 翔吾が隣で小さく呟く。

「箱を置くことでやってる感。でも、導線は閉じてる」

「うん。回収率を落とす設計だね」

 巫鈴は、表情を動かさないまま、箱の前にしゃがみ込んだ。

 そして、スマホで箱と注意書きを撮る。

 シャッター音は消していた。

「……何するの?」とシャオ。

「証拠を残す。後で箱があったのに出さなかったのは保護者の関心って言い換える前に」

 ズーハンが頷いた。

「GG。導線トラップ」

 巫鈴は立ち上がり、淡々と告げる。

「回収導線を、こちらで作り直す。合法で。透明で。言い訳できない形で」


 昼休み。

 文化部の部室に、A4が何枚も並んでいた。

 封筒。付箋。QRコードの印刷。

 美優が湯呑を置きながら言う。

「これ、全部……今日中に?」

「今日中」巫鈴は即答した。

「期限が今日だから」

 沙羅が眉をひそめる。

「担任経由って、出す側が一番嫌がるやつだろ。先生に読まれるかもって思ったら、もう書けない」

「そう。だから匿名性の担保を行動で作る」

 巫鈴は封筒の束を指で叩いた。

「提出方法を三つ用意する。

 1.事務室前の回収箱(私が立会い)

 2.図書室カウンター(司書さん預かり)

 3.オンラインフォーム(匿名・IPログなし・外部集計)」

 翔吾が補足する。

「オンラインは、回答後にあなたの回答は保存されましただけ表示。再編集不可。操作ログも残さない。ただし、荒らし対策としてワンタイムコードを配布する」

 琴美が身を乗り出した。

「すご。もう選挙管理委員会じゃない」

 巫鈴は軽く息を吐く。

「選挙より重い。これは学校の未来の票だから」

 シャオが手を挙げる。

「パォ~!配布はあたし炎担当でやる!皆に声かける!」

「炎はいらない」巫鈴が即答。

「静かに出せる空気が必要」

「うっ……正論」

 ズーハンが笑って肩をすくめる。

「じゃ俺はQRの貼り紙を目立たない場所に貼る。目立つと潰される」

「そう」巫鈴は頷いた。

「目立たせないのが、最大の防御」


 放課後。

 図書室のカウンター。

 司書が小さな箱を置き、淡々と言った。

「ここに入れればいいのね。誰にも見えないように」

 巫鈴は頭を下げた。

「ありがとうございます。……本当は、学校がこれをやるべきなんですけど」

 司書は静かに笑った。

「学校ってね。やるべき人がいるのに、やれる人がいないことが多いのよ」

 巫鈴は、その言葉を胸の奥にしまった。


 同じころ。

 職員室。

 コーヒーメーカーの横に、また小さな輪。

 大河原が苛立ちを押し殺して言った。

「生徒が勝手に回収導線を増やしたらしいな」

 佐藤が鼻で笑う。

「校長も理事会も透明性のためって言うだろう。止めにくい」

 早乙女が淡々と答える。

「止める必要はありません。回収率が上がったとしても――評価で整える」

「評価?」

「提出物。発言。協調性。生徒の自由が増えれば増えるほど、教師の裁量は広がる」

 岸田が口角を上げる。

「なるほど。数字で縛るなら、こちらも点で返す。協調性ほど便利な点はない」

 佐藤が首をかしげる。

「やりすぎるなよ。露骨だと燃える」

 早乙女は、ゆっくり湯呑を置いた。

「露骨にしないから、効くのよ。人は、説明できない不利益を一番恐れる」

 その言葉は、雨の匂いみたいに職員室に広がった。


 ――翌週。

 巫鈴の机に、返却されたレポートが置かれた。

 赤ペンで、短い言葉。

 《主張は鋭いが、協調性に欠ける》

 《評価:B》

 巫鈴は、それを見て目を細めた。

 怒りは出ない。出す必要がない。

(来たな)

 翔吾が隣で小さく言う。

「巫鈴さんだけじゃない。

 改革に賛同した子、何人か提出態度で落とされてる」

「協調性は、数字にならないからこそ最強の武器」

 巫鈴は立ち上がり、廊下に出た。

 窓際。空はまだ灰色。

 そこに、村山が立っていた。

 担任。表情は固いが、目は逃げていない。

「……伊勢野」

「先生、聞きたいことがあります」

 村山は短く頷く。

「協調性って、何ですか」

 村山が黙った。

 答えは簡単なはずなのに、言葉が出ない。

 巫鈴は続けた。

「協調性がある生徒は、教師に従う生徒ですか。それとも、他人を尊重できる生徒ですか。評価が変わるくらいなら、定義が必要です」

 村山の喉が鳴った。

「……お前は、いつも正論を言う」

「正論で人が救われないなら、教育は制度です」

 村山は顔をしかめ、しかし目を逸らさなかった。

「……評価基準、統一シートが来た」

「知ってます。比較を封じるための」

 村山は低く言った。

「俺は……正直、怖い。お前を潰せって空気が、職員室にある」

 巫鈴は、ここで初めて人の声を聞いた。

 怖がっているのは、生徒だけじゃない。

「先生。私も怖いです」

 村山が驚いた顔をする。

 巫鈴は、淡々と告げた。

「でも、怖いのは――説明できない不利益です。協調性で点を落とされるのに、理由が示されない。それが、沈黙の圧力です」

 村山は、拳を握った。

「……俺にできることは?」

 巫鈴は一拍置いた。

 ここで味方に引き込むのは危険だ。

 村山は折れる。折れたら、次は彼が潰される。

 だから、巫鈴は構造を渡す。

「基準を文章にしてください。協調性の定義。評価の条件。誰でも確認できる形に。

 それだけで、圧力は弱まります」

 村山は黙り、ゆっくり頷いた。

「……書く。俺の言葉で」

 巫鈴は頭を下げた。

「それで十分です」


 その夜。

 美術室の奥。

 灯の会が集まっていた。

 市子、相沢、竹内、志水、そして巫鈴。

 市子は静かに言う。

「協調性で来たわね」

 巫鈴は頷き、レポートを差し出した。

「理由なしで点を落とす。これが沈黙の暴力です」

 相沢が眉をひそめる。

「定義が曖昧だから、無限に使える。でも逆に言えば、定義を出させれば崩せる」

 志水が小さく言った。

「生徒が傷つくのが一番つらい」

 市子は巫鈴を見る。

「あなた、どうするの?」

 巫鈴は、淡く笑った。

「集計者の椅子は半分取れました。次は、評価者の椅子を透明にします」

 竹内が静かに頷く。

「評価を、見えるようにする」

「はい」巫鈴は言った。

「評価は権力です。

 だから監査が必要です」

 市子は紅茶を一口飲んで、言った。

「――やるなら、勝ち筋は一つ。

 協調性を、教師の武器から、学校の倫理に変えること」

 巫鈴は頷いた。

「協調性は、沈黙に従うことじゃない。

 違う人間と一緒に学ぶ技術です」

 その瞬間、部屋の空気が少し温かくなった。

 誰も拍手はしない。

 ただ、全員が次を見た。

 巫鈴は最後に言った。

「次の会議で、私は提案します。

 協調性評価の公開基準と、異議申立ての導線を。

 集計と同じです。

 道があれば、人は声を出せる」

 窓の外。

 雨上がりの街灯が滲んでいた。

 遅い光が、確かに残っている。

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