表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/24

数字という檻

 ――昼休み。

 教室の窓から差し込む光は白く、机の上のプリントの角だけが妙に鋭く光っていた。

 巫鈴は弁当の箸を止め、配布された紙をもう一度読み返す。

 紙面の上部に、太字の見出しがあった。

 レポート課題

 日本近代史における統治機構の変遷

 提出――明日朝八時二十分まで。

 字数――千六百〜二千字。

 引用必須。出典明記、ページ番号必須。

 形式――指定テンプレート厳守。余白、フォント、行間、見出し規則。

 評価――提出態度・形式遵守を含む。

「……早いね」

 萌香が口を動かしながら覗き込む。

 沙羅は箸を置き、淡々と指摘した。

「内容より形式に比重が寄ってる。最後の一行、わざとだね」

 ズーハンはスマホでテンプレートのQRを読み込み、目を細める。

「GG。フォント指定まである。教育っていうより事務処理だな」

 翔吾は弁当箱を抱えたまま、気まずそうに笑った。

「でも……こういうの、普通じゃない? レポートって形式あるし」

 巫鈴は首を横に振らなかった。

 ただ、紙の端を指で押さえた。

「普通かどうかじゃない」

 一拍。

「タイミングよ」

 琴美が机を叩きそうになって、手前で止めた。

「今日から見回り中止、午前に先生たち荒れてた、その日の午後にこれ。……露骨じゃない?」

 美優が小さく息を吐く。

「でも、怒ってる感じじゃないですね。言葉は丁寧。……だから怖い」

 紙の右下に、担当教員名がある。

 早乙女(古文)/大河原(社会)連名

 反改革派の核だった。

 巫鈴は紙を折りたたみ、弁当箱の脇へ置いた。

「……狙いは、点数じゃないわ」

 翔吾が首をかしげる。

「え?」

「やり方を守れない子にするの」

 巫鈴は静かに言った。

「そうすれば、言葉を無力化できる。制度を語る前に、お前は提出を守れ、って」

 沈黙が落ちる。

「それ、かなり陰湿じゃ……」

 萌香が言う。

「陰湿じゃない」

 巫鈴は言い切った。

「正当化できる」

 一拍。

「形式は必要。提出期限も必要。だからこそ、武器になる」

________________________________________

 ――放課後。

 日ノ本文化部の部室には、紙の匂いが増えていた。

 プリンターの吐き出す音。

 沙羅のシャーペンが机を叩く癖。

 琴美の「昭和の先生でもここまでやらないわよ」という愚痴。

 シャオの「テンプレって何味?」というズレた声。

 巫鈴はテンプレートを開いたまま、無言で規則を追っていた。

 余白。

 フォント。

 見出し。

 脚注。

 引用符。

「……これ、大学のゼミで見るやつじゃない?」

 真平が言う。

「そう。高校の授業で要求する形式じゃない」

 巫鈴が返す。

 沙羅がページをめくる。

「内容で勝てない相手にやる手口だね。形式で引っ掛ける」

 琴美が腕を組む。

「でも、巫鈴は形式も完璧でしょ? 引っ掛からないじゃん」

 そこで、巫鈴は視線を上げた。

「わたしが引っ掛からなくても、仲間が引っ掛かる」

 翔吾の肩がわずかに動く。

「え……僕?」

「あなたが悪いんじゃない。慣れてないだけ」

 巫鈴は怒るより先に、呼吸を整えた。

「改革って、仲間が増えることでしょう」

 一拍。

「でも、敵は仲間を減らしてくる。方法は簡単。やらかした、を作る」

 ズーハンが短く言った。

「GG。炎上の小型版だな。一回の失点で、全体像が消える」

 美優が、そっと翔吾の前にメモを置く。

「ここ、引用の書き方。いっしょにやろう」

 翔吾は救われたような顔で頷く。

 巫鈴は、その光景を見ながら胸の奥が少し冷えるのを感じた。

 これだ、と分かる。

 これが学校の戦い方なのだ。

 殴らない。

 怒鳴らない。

 ただ、記録に残す。

________________________________________

 ――翌朝。

 廊下の空気が、いつもより乾いていた。

 教室の前には提出箱が置かれている。透明なプラスチックケース。すでに何枚かの紙が揃っていた。

 村山が淡々と言う。

「提出は箱に。時刻を過ぎたものは、理由の有無にかかわらず減点対象とする。個別対応はしない。以上」

 救済を先に閉じる言い方だった。

 巫鈴はそれを聞いて、昨日の違和感の正体をもう一度確かめる。

 信じる、ではない。

 前提を置く。

 それだけで、空気はかなりのものを縛れる。

 翔吾が紙束を抱えたまま、箱の前で立ち止まる。

「え、脚注って……この位置で合ってる……?」

 手が震えていた。

 巫鈴はすっと近づき、紙を取り上げず、指先だけで示す。

「脚注番号は句点の前。ページ番号は括弧。あと、引用符」

「……ご、ごめん」

「謝らない。直すだけ」

 声は静かだった。

 その静けさが、今の巫鈴を守る壁にもなっている。

 直す時間は、まだある。

 そう思った瞬間だった。

「伊勢野」

 低い声がした。

 教室の入口に、大河原が立っている。

 社会科の古参。視線の温度だけで、室温が少し下がるような人だった。

「君のは、見せてくれ」

 命令口調ではない。

 当然の手続きの顔をしている。それがかえって怖い。

 巫鈴は一拍置き、紙束を差し出した。

 大河原は一枚目をめくる。

 そして、指を止めた。

「……脚注」

 巫鈴の胸の奥がほんの少しだけ跳ねる。

「ここ。番号の付け方がテンプレと違う」

「……内容の引用規則は守っています」

「規則は、規則だ」

 大河原は淡々と言った。

「君は制度を語った。なら、まず制度を守れ。――それが筋だろう?」

 教室の空気が固まる。

 翔吾が息を呑む音。

 萌香の箸が止まる音。

 ズーハンの「GG」が喉の奥で止まる気配。

 巫鈴は、いくらでも言い返せた。

 論理でなら、いくらでも。

 でも、ここで怒れば相手の土俵に乗ることになる。

 巫鈴はゆっくり息を吸った。

「……承知しました。直して再提出します」

 大河原はそれ以上何も言わず、紙を返す。

 去り際に短く付け足した。

「提出は八時二十分。忘れるな」

 ドアが閉まる。

 その瞬間、巫鈴の指先は紙の角を少しだけ強く握っていた。

 来た、と思う。

 正面衝突ではない。

 痛い言葉でもない。

 ただ、数字の檻が音もなく閉まり始めた。

 巫鈴は紙束を机に置き、ペンを取る。

 直すためではない。

 壊されないために。

 窓の外では、雲の切れ間から差す光が、机の上の提出用紙だけを白く照らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ