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第一話:星の欠片と、世界の終焉

新作です。

ゆっくり更新していけたらと思っています。

 その村は、アルマス山脈の懐に抱かれるようにして佇む、世界の果てのような場所だった。

 名を、揺り籠村ゆりかごむら

 街道の終着点であり、その先にあるのはただ、古き神々が眠るとされる「古老のころうのもり」と、天を突く険しい山々ばかり。訪れる者も稀な、忘れられたような村。

 だが、レオにとっては、ここが世界の全てだった。


 八歳になったレオは、今日も親友のアレンと共に村はずれの小川で水切りに興じていた。


「そらっ!一、二、三……くそっ、三回か!」


 勢いよく投げられた扁平な石が、水面を数度跳ねて沈んでいく。アレンは太陽をいっぱいに浴びた快活な笑顔で、悔しそうに頭を掻いた。燃えるような赤毛が、彼の性格をそのまま表しているかのようだ。

 対照的に、レオは物静かだった。彼は川岸に座り込み、水面ではなく、アレンが今投げた石が描いた軌跡と、それが沈んでいった先の水の波紋を、じっと目で追っていた。亜麻色の髪が、さらりと風に揺れる。


「アレンは、投げる時の力が強すぎるんだ。肩の力をもっと抜いて、手首のスナップを効かせないと、石が綺麗に回転しない」

「うっせーな、理屈はいいんだよ!次こそ五回は跳ねさせてやる!」


 アレンはそう言うと、また別の石を探し始めた。レオは小さく息をつくと、おもむろに立ち上がり、手の中にあった石を水平に、すっと滑らせるように投げた。

 シュルルル、と軽やかな音を立て、石はまるで水面を舐めるようにして跳ねていく。一、二、三、四、五、六……七回。対岸の草むらにぶつかるまで、その勢いはほとんど衰えなかった。


「……なっ!ずりぃぞレオ!お前、またやったな!」

「言った通りにしただけだよ」


 レオは淡々と答える。彼はいつもこうだった。物事を一度観察すれば、その本質や理屈を、まるで最初から知っていたかのように理解してしまう。村の大人たちからは「少し賢すぎる子」として、子供たちからは「ちょっと変わってる奴」として、その特異性を認識されていた。だが、そんなレオの性格を気にせず、真正面からぶつかってきてくれるのがアレンだった。だからレオも、アレンのそばにいるのは心地が良かった。

 この平穏が、ずっと続けばいい。

 この、世界の果ての揺り籠で、親友と笑い合える日々が、永遠であればいい。

 この時のレオは、まだ心の底からそう願っていた。

 ―――自分の右手が、やがて友の運命を、そしてこの世界の形すらも歪めてしまうことになるなど、知る由もなかった。


「なぁレオ、古老の森に行ってみようぜ!」


 水切りに飽きたアレンが、とんでもないことを言い出したのは、太陽が中天に差し掛かった頃だった。

 古老の森。村の子供たちにとっては、絶対に足を踏み入れてはならない禁忌の場所。森の奥には恐ろしい魔物や、迷い人を惑わす妖精が住んでいると、村の誰もが信じていた。


「だめに決まってるだろ。長老様から、あそこだけは入っちゃいけないって言われてる」

「だって、一昨日来た行商人が言ってたんだ!森の奥で、夜中に空から星が落ちてくるのを見たって!すげー綺麗だったってよ!」


 アレンの瞳は、好奇心でキラキラと輝いている。一度こうなると、彼を止めるのは難しいことをレオは知っていた。


「星が落ちるなんて、あるわけない。きっと見間違いだ」

「見てみないと分かんないだろ!大丈夫だって、すぐそこの入り口までだからさ!」


 言うが早いか、アレンは森の方向へ駆け出していく。レオは頭を抱えたが、放っておくわけにもいかなかった。この無鉄砲な親友が、本当に一人で森の奥まで行ってしまいかねない。


「……仕方ないな。本当に入り口までだからな!」


 レオはそう叫ぶと、アレンの後を追った。

 村はずれの小さな祠を越えると、空気はがらりとその貌を変えた。今まで聞こえていた鳥の声や小川のせせらぎが嘘のように途絶え、支配的な静寂が満ちている。樹齢何百年にもなるであろう巨木たちが、空を覆い隠すように枝を伸ばし、昼間だというのに森の中は薄暗い。地面は厚い苔に覆われ、足音すらも吸い込んでしまうかのようだ。


「うわ……」


 さすがのアレンも、その荘厳で不気味な雰囲気に気圧されたのか、足を止めてごくりと喉を鳴らした。


「ほら、帰ろう。ここはやっぱり、何かおかしいよ」


 レオがアレンの袖を引いた、その時だった。

 森の奥から、微かに、獣の低い唸り声が聞こえた。二人同時に、びくりと肩が跳ねる。


「……今の、」

「……ゴブリン、かもしれない」


 村で一番弱いとされる魔物。だが、子供二人で敵う相手ではない。

 アレンの顔から血の気が引いていく。レオは冷静に周囲を見渡し、一番近くにあった身を隠せそうな岩陰を指さした。二人は息を殺してそこへ駆け込み、膝を抱えてうずくまる。心臓の音が、やけに大きく聞こえた。

 唸り声は、幸いにも近づいてくる様子はなく、やがて遠ざかっていった。


「……行った、みたいだな」


 アレンが安堵のため息をつく。レオも張り詰めていた緊張を解き、顔を上げた。

 そして、彼はそれを見つけた。

 岩陰から数メートル先。森の開けた場所に、不自然なほど新しい、小さなクレーターができていた。直径は三メートルほど。土が抉れ、周囲の草木がなぎ倒されている。

 まるで、本当に空から何かが落ちてきたかのように。

 そして、そのクレーターの中心に、それは鎮座していた。

 人の頭ほどの大きさの、黒曜石のような石。しかし、ただの石ではない。その表面は滑らかで、内側から、まるで呼吸するように虹色の光が明滅している。熱を持っている様子はないのに、周囲の空気がそこだけ陽炎のように揺らめいて見えた。



「……なんだ、あれ……」



 アレンが呆然と呟く。恐怖よりも、その神秘的な美しさに心を奪われているようだった。

 レオも同じだった。いや、彼が感じていたのは、ただの美しさではなかった。

 懐かしい、という感覚。

 まるで、ずっと昔に失くした自分の半身と再会したかのような、抗いがたい引力。

 気づけば、レオは岩陰から出て、その不思議な鉱石へと歩み寄っていた。


「おい、レオ!危ないって!」


 アレンの制止の声も、今の彼には届かない。

 鉱石の前まで来ると、レオはゆっくりと膝をついた。内側で明滅する光は、まるで万華鏡のように複雑で、無限の奥行きを感じさせる。彼は、何かに憑かれたように、そっとその表面に右手を伸ばした。


 ―――触れた瞬間、世界が砕け散った。


 最初にきたのは、音の洪水だった。

 キィィィン、という金属の軋む音。ザザザ、というノイズの嵐。知らない言語の会話。けたたましいサイレン。車のクラクション。赤ん坊の産声。爆発音。静かなピアノの旋律。

 次に、視覚が暴力的なまでの情報量に侵された。

 ガラスと鉄でできた摩天楼。夜空を埋め尽くすネオンの光。無数の人々が行き交うアスファルトの道。白い部屋、青いカーテン、小さな机。教科書にびっしりと書かれた数式と歴史の年号。パソコンのディスプレイに表示されるプログラムコード。

 知らないはずの記憶。生きたはずのない人生。

 過労で倒れたオフィス。鳴り響く電話。上司の怒声。後悔。無力感。諦め。

 ―――それが、前世の記憶だと理解するのに、時間はかからなかった。


 だが、絶望はそこからだった。

 前世の記憶が流れ込み終わると、今度は別の奔流が彼を襲った。

 それは、まるで一冊の本を、最初のページから最後のページまで一瞬で読まされているかのような感覚だった。

 この世界の「物語」が、彼の魂に直接刻み込まれていく。


 『英雄アレンの誕生。始まりは、アルマス山脈の麓、揺り籠村の壊滅からであった』


 そんな、残酷な一文から始まる物語。

 彼は「見た」。二年後、ゴブリンを遥かに凌ぐオークの群れがこの村を襲う光景を。炎に包まれる家々。阿鼻叫喚の地獄と化す、見慣れた広場。

 彼は「見た」。目の前で両親を殺され、怒りと絶望の中で英雄として覚醒する親友アレンの姿を。

 彼は「見た」。アレンが仲間と共に魔王を倒し、世界を救うまでの、長く険しい旅路を。その途中で失われる、多くの命を。裏切りを。苦悩を。

 そして、彼は「見てしまった」。

 物語の終盤、魔王を倒したアレンが、しかしその代償として、自らもまた命を落とす、その瞬間を。


「あ……ああ……あああああああああああああああああっ!」


 レオの口から、生まれて初めて上げるような絶叫が迸った。

 子供の精神が、肉体が、二つの人生と一つの壮大な物語の情報量に耐えられるはずがなかった。脳が焼き切れるような激痛。全身の骨が軋むような感覚。

 薄れゆく意識の中、彼はアレンが必死に自分の名前を呼んでいるのを聞いた気がした。

 闇が、全ての感覚を飲み込んでいった。まるで、深い深い湖の底へ、ゆっくりと沈んでいくかのように。


 . . .


 次にレオが目を覚ました時、そこは見慣れた自室の天井だった。

 チク、タク、チク、タク、と壁にかけられた古時計の音が、やけに大きく耳に響く。窓から差し込む光は、もう夕暮れの茜色に染まっていた。

 体を起こそうとして、全身に走る鈍い痛みに顔をしかめる。筋肉の節々が、まるで固まってしまったかのように軋んだ。


「……目が覚めたかい」


 ベッドの脇に置かれた椅子から、しわがれた声がした。村で唯一の治癒師であり、レオの育ての親でもある老婆、イーダが、心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。その目元には、深い隈が刻まれている。


「……イーダ、ばあちゃん……」


 声が、ひどく掠れていた。


「三日も眠ったままだったんだよ。アレンが、血相を変えてあんたをここまで運んできたんじゃ。森で高熱を出して倒れたって…。全く、あれほど森には入るなと言ったのに」


 イーダは小言を言いながらも、その声は安堵に震えていた。彼女は慣れた手つきでレオの額に手を当て、熱が引いていることを確認すると、心底ほっとしたように息をついた。


「食欲はあるかい?何か消化に良いものを作ってくるよ」

「……うん。ありがとう」


 イーダが部屋を出ていくと、レオは再び一人になった。

 彼はぼんやりと、自分の右手に視線を落とした。そこには、あの虹色に輝く鉱石が、まるで最初から体の一部だったかのように、固く握られていた。ひんやりとした感触が、夢ではなかったことを雄弁に物語っている。


 ―――夢じゃ、なかった。


 その事実が、鉛の塊のようにレオの胸にのしかかる。

 頭の中に渦巻いていた情報の洪水は、今や静まり返り、まるで巨大な図書館の書物のように、整然と彼の意識の中に収まっていた。前世の記憶も、この世界の「物語」も、全てが嘘のようにクリアに思い出せる。

 彼はゆっくりと、痛む体を無理やり起こした。

 窓の外に目をやる。

 いつもと変わらない、平和な揺り籠村の夕景。家々の煙突から立ち上る、夕食の支度をする煙。仕事を終えた大人たちが、談笑しながら家路につく姿。

 昨日までと同じ風景。

 だが、レオにとって、その風景は、もう二度と同じものには見えなかった。

 あれは全て、やがて来る破滅の前の、かりそめの平穏に過ぎない。

 広場では、アレンが木の枝を剣に見立て、一人で振り回しているのが見えた。きっと、森での一件以来、強くなろうと決意したのだろう。それは、彼が「英雄」への道を歩み始めた、小さな一歩だった。


 物語の通りだ。

 この出来事をきっかけに、アレンは強さに憧れる。そして二年後、オークの群れが村を襲った時、彼は誰よりも勇敢に戦い、そして生き残る。目の前で両親を失うという、あまりにも大きな代償と引き換えに。

 そこから彼の英雄譚が始まる。

 悲劇を乗り越え、仲間と出会い、世界を救う。

 なんと美しい物語だろう。なんと感動的な、英雄の生涯だろう。

 けれど。


 (冗談じゃない)


 レオの心に、冷たい怒りの炎が灯った。


 (誰が、そんな物語を認めるものか)


 アレンの父親は、口は悪いが誰よりも村を愛する実直な男だ。母親は、いつもレオに焼きたてのパンを分けてくれる、太陽のような女性だ。彼らが無残に殺される?アレンが、その優しい心を憎しみで塗りつぶされる?

 そして、全てを成し遂げた果てに、彼自身も死ぬ?

 そんな結末のために、彼らは生きているわけじゃない。

 この村の誰もが、物語の駒として消費されるために、毎日を懸命に生きているわけじゃない。


 (もし、これが神の描いた筋書きだというのなら)


 レオは、右手に握られた鉱石を強く、強く握りしめた。ひんやりとした石の感触が、彼の決意を固めさせる。


 (―――俺が、その物語を書き換えてやる)


 それは、八歳の子供が抱くには、あまりにも傲慢で、あまりにも途方もない決意だった。

 世界の理に、運命そのものに、たった一人で喧嘩を売るのと同義だ。

 だが、レオの心は不思議と凪いでいた。前世の記憶がもたらした諦念と、この世界で育まれた確かな愛情が、彼の魂の中で奇妙なバランスを保っていた。

 彼は窓ガラスに映る自分の顔を見た。

 そこにいたのは、もうただの子供ではなかった。

 深い絶望を知り、それでもなお、冷徹な覚悟を瞳の奥に宿した、小さな反逆者の顔だった。

 レオは、広場で汗を流す親友に向かって、静かに、しかし鋼のような意志を込めて呟いた。


「アレン……。二年後、君はここで、その優しすぎる両親と共に死ぬ」


 一拍の間を置いて、彼は言葉を続ける。

 それは、世界の運命に対する、彼の宣戦布告だった。


「―――いや、死なせはしない」

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