エピローグ
「これでいいのかよ」
濃紺に染まった空が、列柱の間から覗く。
昼間とは打って変わって静まり返った会議場に、不機嫌そうな女性の声が反響した。すると、熱気が去った柔らかな空気から滲出するように、一人の妙齢女性が姿を現した。
「ええ、上出来よ。さすがはデメキンね」
「出所はテメェか、この腹黒がっ! こんな万年皆既日食みたいなヤツが太陽の神じゃ、日本は毎日暗くて大変だな、おい!」
「失礼ね。そちらほどじゃないわ。女神もニンフも人間も、ところ構わず孕ませまくる、ギリシャの最高神様ほどじゃ」
「……まぁ、それは否定しないが。…………ウチの娘もアノ色情魔のせいで」
「あぁ、ペルセポネちゃん。結局どうなったの?」
「あの色ボケ爺とハーデスの野郎を半殺しにしてきた。これでしばらく大丈夫なはずだ」
「そう。良かったわね。今度お祝いにザクロでも送るわ」
「本当に送ってきやがったら殺す」
「やあ。相変わらず物騒ですね、君たちは」
間延びした声が、二人の応酬を止めさせた。
その正体は、丁度二人の間に割り込むような形で顕在化した長い銀髪の男。
「仲が良いんだか悪いんだか」
「これが仲良く見えるんだとしたら、テメェの頭は末期だぜ。フレイ」
「そう言うわりに、迫真の演技だったじゃないですか」
「ハッ、抜かせ。言っとくがオレは本気だったぜ。あのガキどもが条件をクリアできないようなら、問答無用で巨大隕石を落とすつもりだった」
「……台風、地震、酸性雨から、随分スケールアップしてますね」
「クライマックスは派手に盛り上げろ、との導き手のお達しだったからな。オレのささやかな心配りだ。ま、それも無駄に終わったが。お前の予想通り。――にしてもなぁ」
そこでデメテルは納得の行かないように腕を組んだ。
「一体どうやったのか、オレにも想像がつかねぇ。自分で言うのも何だが、二十日かそこらで東京在住の人間と同数の人間に祈らせるなんて、普通にやったら万に一つも達成する見込みの無い課題だ。どうせセコい真似したんだろうが……」
「あ、それは簡単ですよ」
フレイは手品の種明かしをするように得意げに笑うと、場所を譲るように身をどけた。
デメテルの視線が、その先に向かう。
それから間もなく、信じられないというように大きく目を見開いた。
「テ、テメェは……!」
「どうも。デメテルさん」
デメテルの視線が縫いとめられたのは、そこに佇む一人の少年だった。
小柄で垂れ目、撫で肩に天然パーマ。一見すると無害そうな、人の良さそうな少年。
しかし、その雰囲気は何事をもしなやかに受け流してしまう柳を連想させ、瞳の奥には好奇心という、何よりも心揺さぶる情熱を湛えていた。
「あら、加藤君じゃない」
「どうも。学長」
加藤清俣――そう呼ばれる少年が、天照大神と言葉を交わしていた。
フレイがしたり顔で、加藤を示す。
「彼に協力を仰ぎました」
「……ハッ」
デメテルが参ったというように額に手を当て、背筋を逸らした。
そして、
「ク、ククハハハッハハッハハハハッハハハッハハハハハハッハハハハッハハハハッ!!」
盛大な哄笑が会議室に木霊する。
「ハハッ……ハー……そうかよ、そういうっ、ことかよ。これでようやく合点が行った」
一頻り笑い終えると、息苦しそうに呼吸を繰り返した。
「期間中、何やらこそこそと動き回ってる鼠がいるのは気付いていたが、まさかテメェだったとはな」
デメテルは、少年の本当の名をすぐさま看破した。
「随分と似合わねぇことしたじゃねえか――ロキ」
「はは。だってフレイさんが『手伝わないと君の居場所をオーディンに教えちゃうよ』って笑顔で脅してくるからさ。僕、あの人あんまり得意じゃないんだよね。喧嘩っ早くて」
「『人の不幸は蜜の味』で御馴染みのテメェが、それだけの理由で人助け、ねぇ」
胡乱な目を追求の刃とし、加藤――改めロキへと突き刺す。
「北欧神話の終焉である最終戦争『ラグナロク』のきっかけともなったバルドルの殺害をその弟に嗾けた鬼畜な能力を、日本人相手に使ったのか」
「まあね。僕の能力は普通の人には効果がないけど、ここは日本で、今回の条件では東京の人口以上ってことだったからね。僕の神様を唆す能力だけで何とかなったよ」
「……八百万、か」
「そうです」
フレイがロキの言葉を継いだ。
「日本には太古より八百万の神々がいると言われてきましたが、現在だってそれは変わっていません。そして東京特別区の人口は約八百五十万。元々八百万とは数が途轍もなく多いことの意味ですから、プラス五十万人程度なら余裕ですよ」
「……それは『人』なのか?」
「自分の事を普通の人間だと信じているなら、例えその本質が違ったとしても、それは紛れもなく普通の人間ですよ」
「何か、釈然としねーなー……」
デメテルはガリガリと頭を掻く。
「それにしても、あのロキがこの調子。フレイヤも日本で生殖する気バリバリみたいだしよ、最近日本と北欧の間に同盟でも出来たのか?」
「そんなの無いですよ」
フレイは笑顔で首を振る。
それから、まるでとっておきの宝物を自慢するように、こう言った。
「ただ――気に入ってしまっただけです。日本を」
「すっかり情が移ってんじゃねえかよ」
「貴女ほどじゃありませんよ」
「……だから何度も言わすなウスノロ。オレは別に」
「聞きましたよ?」
物知り顔でデメテルに近寄っていくと、その耳元で囁いた。
「何でも、最近ペルセポネさんが日本への留学を希望しているとか」
「……!」
「日本のオタク文化にダダ嵌りして、最近ではすっかりその道まっしぐらとか」
「……っ!」
「お忍びで時々日本に来ては、声優さんのライブを喜々として見に行っているとか」
「…………ッ!!」
「愛しい娘さんのためにも、日本に被害与える訳にはいきませんよね?」
「ッッッ……ッダ――――――――――――――――――――!! 黙れ黙れ黙れ!! 知らねぇ知らねぇ知らねぇ――――――――――――――――――――――!!」
怒気に任せてデメテルは目の前のフレイに殴りかかった。繰り出しているはずの拳は見えず、ただ水面に平手打ちをしたような破裂音が連続して、耳障りなハウリングとなる。
しかしフレイは不変の笑顔のまま、デメテルの不可視の攻撃を最低限の動きで飄々とかわしていく。
限界ある体力。やがてデメテルの方の表情が苦しげに歪み始めた。
一方のフレイは、緩みきった表情を微塵も崩していない。それが尚更デメテルの癇に障った。
「分かってんだろうなァ――!!」
「何がです?」
「これじゃあ何の解決にもなってない、ってことがだッ!!」
唐突に、デメテルの動きが止まった。
肩を上下に揺らしながら、荒い呼吸を繰り返す。
他の三者は、それを神妙な面持ちで見つめていた。デメテルの言葉に、何かしら思うところがあったのだ。
「今回の世界趨勢決定会議は裏技で切り抜けたが、それは結局のところ全ての問題を一度棚上げしただけってことだ。日本の、引いては世界の直面している問題に、解決の糸口すら掴めていないままでな。もちろん悪いのは日本だけじゃねぇ。他の国だって大なり小なり同じことくらいしてる。その技術力の差を僻んでいただけで、この世界の住民、全員が全員同罪だって言っても過言じゃねぇ。でも、だからこそだ! 世界が羨み、そして世界を救済できるかも知れねぇ技術をテメェら日本が持っているからこそ!! テメェらは大きな責任を背負わなきゃなんねぇんだぞ!?」
「分かっているわよ、そんなこと」
憤っているのか心配しているのか判らない絶叫が響く。しかし、確かにデメテルの中にもあった、強い信念。
信じ、念ず。
人を導く立場の者が持たざるを得ない、とても重く――強い想い。その悲痛な心を覆い包むような声を発したのは天照大神だった。
デメテルとふざけあっていた時の声色は、もう見当たらない。天照大神の表情には、一国の頂点に君臨する神としての責任にも似た、熱い想いが滾っていた。
「だからこそ、私は農業大学の学長なんてしてるんだもの」
「…………ッ!」
デメテルは息を呑んだ。
天照大神の中に根付く、自分とは似て非なる心。しかし根本は何も変わらない、強い信念に気付いたのだ。
「確かに、この世界は危機に瀕している。それに相対する上で、日本に掛かる責任は途轍もなく重大なものでしょう。だからこそ私は、そんな問題を解決しうる優秀な人材を社会に送り届ける。それらの問題を解決するための礎を、生徒たちの中に作り続ける」
「ハハッ――遠大な話だな、おい」
「そうかしら。私は悲観してないわ。だって今も大学には優秀な子が沢山いるんだもの」
目を瞑る。
その瞼の裏に移るのは、過去か現代か、それとも――
「彼らが担う未来だもの。この世界の将来は明るいわよ」