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7.熟成鳳凰鳥のまるごとハーブ焼き②

「飢えた今のお前らにゃあ、火竜のブレスより強烈だぜ? ぶっ倒れるんじゃねぇぞ?」

「まさか……料理の香りで、って事? そのひげ面よりも大袈裟ね」


 鞄から魔道具のランタンを取り出したロクシオがテーブルの両端にそれを置き、マリアリアの隣のスツールに腰掛けた。


 不安定なテラスの床で、ロクシオの身体は前後にふらりと揺れた。足が届かないのだから仕方が無い。


「大袈裟なもンかよッ……――」


 にやりと嫌らしく口端を上げ、グランはドッヂ・オーブンのゆっくりと蓋を開いていく。鉄の擦れる音の後、水蒸気でしっかりと密着していた蓋と鍋の隙間から、長年の眠りから覚めたドラゴンの吐息のような、細く鋭い白の蒸気が一気に噴き出した。


 ほんのり香る程度だった芳醇な香りが濃度を増して、瞬く間にテラスを満たす。小さく息を吸うだけでそれは、嵐のように鼻腔を突き抜け、脳を直接揺さぶった。


 蓋から落ちる水滴が鳳凰鳥の皮を通って油とともに灼熱の鍋底に落ち、じゅわじゅわと合いの手を入れれば、もう嗅覚と聴覚は支配されたも同然だ。


 視覚だってもう音を上げた。芳香な蒸気が風に乗って立ち去ると、ほどよく焦げた黄金色の丸鶏が突如出現。艶やかな衣は、ランタンの火屋の中に揺らめく美しい橙すら、引き立て役に収める程の存在感を放っている。


 水晶球(タマネギ)はその名の如く透明になっており、黒い鉄の鍋底までも見通せる程だ。


 石のように硬いニンジンですら、熱と圧に負けて、すっかり鎧を脱いでいる。繊維が解け、少しでも触れればほろりと砕けてしまいそうである。


 あえて皮のまま放り込んだジャガイモについた焦げ目の黒も、アクセントとなってまた美しい。


 煮えたハーブのモスグリーンに、味の旬を迎えたミニトマトの鮮やかな赤が加われば、一目で食欲の奴隷だ。


 最初から熱い眼差しを送っていたアルクは勿論、腰を落ち着けていたマリアリアも立ち上がり、そっぽを向いていたロクシオでさえ、料理の魔力に釣られてその美しい黒い瞳で鍋の中の演出に目をこらしていた。


 眠っていた腹の虫も、堪らず目を覚ましたようだ。ぐぅぐぅと、四つの腹を叩く音がやかましい。


「どうやって取り分けるんですか! 先生?」

「いいかぁ? こうやって食うのが、ドワーフ流なんだぜ」


 グランは、テーブルに並べてあった牛刀の柄を掴むと、鍋の中の鳳凰鳥にそれを真っ直ぐ突き立てた。力を入れずともほろりと砕ける鳳凰鳥の身を、腹の中に詰めたハーブとニンニク、タマネギにミニトマトはもとより、柔らかくなったとはいえ、骨すらを気にかけず、ざくざくと大きく四つに切り分けていく。


 更に食欲を刺激する蒸気が眼から耳から鼻から侵入し、本能に止めを刺した。ただただ食いたいのだ、目の前の獲物を!


 先ほどまで、食に興味が無いと口を揃えた子ども達のモノとは思えない。翡翠、青空、宵闇。それぞれに喩えられる美しい瞳からも、感情があふれ出ている。涙の代わりに目から、よだれでも零れてきそうだ。


「ほぉら、ガキ共! 皿を寄越せぇ!!」


 納得のいく出来映えだ。満足の笑みを湛えたグランがそう呼びかけると、三人が同時に耐熱皿を両手に掴み、我先にとグランの手元にそれを突き出す。


 ふと我に返ったロクシオは恥ずかしそうにそれを下げ、アルクはレディーファーストといって手招き、結局マリアリアが一番はじめに、次にロクシオ、アルク、最後にグランの順。


 耐熱皿にはカラフルな野菜のベッドが用意され、その上に黄金色の鳳凰鳥が、たっぷりと盛り付けられた――


「さあ、食え食え、飢えたガキ共ぉ!!」


 手が届くところにご馳走が来た、もう待ちきれない。


 グランの号令がかかると、三人は食前の祈りを瞬時に済ませた。すぐさまフォークとナイフを両手に持ち、まずは大きく切ったジューシーなもも肉を口に放り込む。


 繊細な鳳凰鳥の肉が口の中でほろりと解け、本来の豊かな香りが口の中いっぱいに広がった。


 一噛みすると、閉じ込められていた肉汁が解き放たれる。旨味溢れる脂と新鮮なハーブの風味、野菜から溶け出した甘いスープとが絡まり合って調和を成し、無抵抗に喉へと滑り込んでいく。


 四人は自然と眼を閉じ、鼻からゆっくりと息を吸い込んでいた。未明の空気と混じり合って煌めき、胃の中でなおも続く余韻……。絶品だ。


 美味いメシの前では、生まれも育ちも、貴賎もまるで関係無い。ただただ平伏し、誰もが無言になる。ただ頷き、次々に掻き込んでいく。


 皿の底が、もう見えた――


「おいおい! 肉だけじゃ無く、ちゃんと野菜も食うんだぞ! 偏食の冒険者は強くなれねぇし、何より、どこでも、何でも食えるってのは、一番大事な生存スキルなんだぜ。一口食うか食わねぇかで、生死を分けることもあるんだ」

「そうか! 『腹が減ったら銅すら掘れぬ』ですね!」

「ドワーフの格言まで抑えてやがるとは……。感心したぜ、アルク!」


 グランはバシバシと力一杯、隣に座るアルクの背中を叩いた。


「……どうしたぁ? ロクシオ」


 向かいに座るロクシオの手が止まっている。グランは、はてなと首を傾げた。


「グラン師の言っていることは理解できるわ。きっと正しいのね。……だけど私、ニンジンだけはどうしても苦手。あの食感と、苦みが不快なの」


 顔を伏せ、尖らせた口先だけでロクシオが、ぽつりと呟いた。


 狡猾なロクシオならば、それをこっそり捨てることも、アルクやマリアリアに押しつけることも出来ただろう。


 彼女なりに、必死に苦手と戦おうしているのだ。そういう内面的な格闘と、弱点を乗り越えた先に人が見せる表情が、グランはとても好きだった。


「いいから一口いってみろよ。とんでもなく美味いぜ。ニンジンはよぉ、鳳凰鳥の脂とよく合うんだ」

「でも……」

「どうしても無理ってんなら、お前好みに再調理してやるさ。家には他にも美味い調味料がどっさりある、安心しな」

「……うん。分かった、わ」


 浮かない顔をしたロクシオが、小さく切り分けたニンジンをフォークに刺し、震える手でゆっくりと口の中に運ぶ。


 眼を力一杯ぎゅっと閉じ、口を小さく動かすロクシオ。


 場にピリリとした緊張が走る。一同は手を止め、ロクシオの口元に視線を注いでいた。


「な、なによこれ!! 私の知ってるニンジンじゃないわ!? グラン師、これは何? 特別なニンジンなの?」

「いーや、ごくごく普通だぜ。そこの畑で今朝引っこ抜いたばかりの、新鮮なニンジンだがよぉ。な、美味いだろ?」

「美味しいわ……。このタマネギも、ミニトマトも最高よ!! 鳳凰鳥も美味しいけど、野菜だって少しも負けてない!」

「それが調和ってやつさ。鳳凰鳥の脂と野菜の水分がドッヂ・オーブンの圧力で溶け合って、この味を出すンだ。どれが欠けてもいけないって面白さが、料理にもある」

「不思議ね。魔法と同じみたい。術式があって、魔力があって、詠唱があって、呪文がある。もちろん、杖も。どれが欠けても、美しい魔法は使えないわ」

「わたし、たちも、だよ」

「そうだね、マリー。三人だったから、昨日はグラン先生に善戦できたんだ」

「はン! あの程度の連携じゃあ、まだまだ甘ぇぜ! 苦労もいいが、喜びを共有することが大切なのさ! 仲間とバカ騒ぎしながら美味いメシと酒をたらふく喰らう。腹割って話して、下手な歌でも歌えばよぉ、最高のパーティーの出来上がりってなぁ!」

「喜びの共有……ね。私、図書館では勉強と魔法の練習ばっかりで、いつも一人で食べていたわ。おじいさまは何度も食事に誘ってくれたのに」

「ローグのジジイ、あれで結構さみしがり屋だからなぁ。帰ったら、一緒にメシを食ってやるンだぜ」

「……うん」

「僕もです。父上や兄上達と食事するのは、どうにも気が重くて……。『勇者』に選ばれた事を口実に、鍛錬の時間を調整して、最近はずっと一人で食べていました」

「わたし、ね。あったかい、ごはん。はじめて、だよ」

「染みついた孤独は、お前達の強さであり、弱さだぜ。まずは、何のために命を張るのかを……いや、自分たちの幸せをしっかり理解することだな」

「命をかける、理由……」

「あー! すまねぇすまねぇ! メシ中だってのに、説教臭くなっていけねぇな。俺はおっさんだからよ。一度くらいは許してくれ」


 誤魔化すようにグランは、空になったグラスに焼酎をなみなみと注ぎ、ぐいっと一気に飲み干した。


「その……さっきは横柄にしてごめんなさい、グラン師。私、焦っていたみたい。色々と大事なことを見失っていたわ」

「今わかりゃあ上出来さ。お前達には未来しかねぇンだ」

「ところで、グラン師……。お代わりはないの? 私、まだまだ食べたいわ。こんな気持ちになるの、はじめてなんだけど」

「はっは! 急にしおらしくなったと思えば、本命はそっちかぁ?」

「そ、そういうわけじゃ――……」

「俺様を誰だと思ってんだぁ? 成長期のガキをよぉ、腹が減ったまま寝させてたまるかってンだ! こんな事は想定内さ! ……覚悟しろよ。とっておきを準備してあるからよぉ!!」


「「「とっておき……――!?」」」


 最後に完食したマリアリアも顔を上げる。一同は期待の眼差しで、グランのグレイの瞳を力強く見つめていた。

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