6.熟成鳳凰鳥のまるごとハーブ焼き①
修練場での手合わせが終わり、帰宅。グランがしっぽりと焼き鳥と焼酎をやり始めた頃にはもう、満月は空の天辺にあった。
ギルドの個人情報管理は厳重だから、魔力を辿って必死に探し歩いたのだろう。ボロボロの三人がグランの家を訪ねた頃には、とうに日付が変わっていたのだ。それから調理準備やあれこれで数時間――
東の空には、太陽が白い光の前兆を見せはじめている。満月は西の山の背に姿を消す。闇の漆黒は深い群青へと移ろいはじめていた。
あれだけ騒がしかった秋の夜虫は泣き止み、空腹の限界を迎えた腹の虫でさえ、ついに抵抗することを諦めたらしい。
世界にはただ、ちりんちりんと、涼やかな音だけが鳴っていた。超高温で時間をかけ、じっくり焼かれた樫の炭が、鈴の音のよう煌びやかな声で明けの静寂を彩っているのだ。
ドッジ・オーブンを下火にかけて、蓋の上にもたっぷりの熾った炭を乗せてから、既に一時間が経過。
未明の、湿気を含んだ優しい風が頬を撫でる。と同時に、良質な鶏肉の油と、ニンニクに香味野菜、香り高いハーブが溶け合った芳醇な香りと炭火のスモーキーさが重奏を織りなし、空腹で敏感な鼻腔に悪戯をして去って行った。
何であれ一緒に作業をすると、心が近くなるものだ。
グランを中央に、左にマリアリア、右にアルク。仲良く丸太の長椅子に腰掛け、両側から小さな頭をグランの肩に預ける二人は、すうすうと小さな寝息を立てている。こうしていると、修練場で気迫を見せた一端の武人と同じとは、とても思えない。
風呂を焚きにいったロクシオは、まだ帰ってこない。言葉はぶっきらぼうだが、シャイな彼女の事だ。風呂の準備などとうに済ませて魔法で姿を隠し、本でも読んでいるかも知れない。はたまた、初めての薪の着火や、湯温の調整に意外と手こずっているのだろうか。
仲間が家を訪ねてくることはあったが、冒険者というのは根無し草なものだから、身体を休め、道具を手入れしたら皆、一週間も滞在せずに去って行く。世界を巡り、名声を得、王都に腰を据えてからは、グランは長い間一人きりだった。
というのに、受け入れたばかりの三人の少年少女のことを、既に愛おしく思う自分がいる。左右の肩から伝わる二つの体温と重み、呼吸のリズムとが、この上なく心地良い。グランは不思議な心持ちであった。
「そうはいっても、貴重な鳳凰鳥を焦がしちまうのはもったいねぇ。こいつらとの時間は、これから始まるんだからな……」
この幸せな一時を、自ら打ち砕いてしまうことがもったいなく、鍋の中を確認することも、一度もしなかった。だが、料理を焦がしてしまっては、はじめての四人の共同作業が台無しになってしまう。
大きく息を吐き、意を決したグランは、すうすうと眠る二人の頭を優しくぽんぽんと叩いた。
「オイ、そろそろ起きやがれ。アルク、マリアリア」
呼びかけに、アルクは身体を起こして眼を擦りはじめるが、マリアリアは微動だにしない。
そろそろロクシオにも声をかけねばと思い、グランは周囲の魔力を探知する。
「……そこに隠れていやがったのか。魔導書を読むとは感心だが、休むことも大切だぞ、ロクシオ」
鼻先をすんと鳴らしてグランは、足下にあった革手袋を丸め、なにもない方向へふわりと放り投げた。
「痛……! 少し触れただけで臭うわね。この手袋」
「すまねぇな。お前もこっちにこればいいのによ。火の近くの方があったかいだろ?」
「髪に、煙の匂いが付くのよ」
「くっく……。今更じゃねえか」
グランはふふんと鼻を鳴らした。
炭おこしに風呂沸かし、火を使う仕事を立て続けにこなしたロクシオからは、風が吹けば焚き付けの藁と、生乾きの薪から出た煙の匂いが漂ってくる。
汚れた手で汗を拭ったのだろう。彼女の頬には、黒いすすの跡も残っていた。
「……もう少しマシな薪を用意しておきなさい」
ぼやきながらもファイヤーピットの近くに歩みを寄せ、ロクシオはそっと炭火に手をかざした。
「今年は雨が多くてな……。おお! なら、その仕事も追加だなぁ! 風と炎の魔法を同時に使って薪を乾かすンだ! 魔法制御のいい訓練になるぜ」
「二重詠唱……なるほど、それもそうね」
「よし、決まりだな!」
「いいように使われている気しかしないわ。私たち、グラン師の介護に来たわけではないのだけれど?」
ロクシオはぷいっとそっぽを向いた。相変わらず一言多いが、横顔に見える口元がぴくぴくと動いている。どうやらその反応は、了承と捉えても問題ないらしい。なぜだか愛おしく思え、グランは肩を震わせて笑った。
「ふわぁー……ぁぁ。とってもいい香りですね、先生」
何も無い空に向かって両手を真っ直ぐ突き上げ、間抜けな声を漏らすのはアルクだ。
「ようやく起きやがったか、アルク。今日の鳳凰鳥、脂が乗った極上品だぜ? 氷室の氷はもうほとんど溶けちまったが、涼しい秋は修行にも、肉を熟成するにも最高の環境さ。くっく……。聖女様はお目が高いぜ」
グランは、今も左肩に重みを残すマリアリアに目線を移す。
小さな肩に手を回し、壊さないように軽く揺すってみみるけれど、するすると頭が滑っていくだけだ。そのまま落ちていき、気がつけば、グランがマリアリアに膝枕をする格好になっていた。
秋桜色の小動物がグランの腿の上で寝返りを打つと、清涼感のあるコロンの香りがふわりと舞った。
「オイオイ、いい加減起きやがれって、マリアリア。まだ未明だが、今日の訓練、全部終わりだぜ。後はたらふく食って、ロクシオが焚いた風呂に入って、一日ぐっすり眠るのさ。……俺の歳じゃあ、徹夜は辛いんだ」
寝不足と空腹で、頬の辺りがぞわぞわしている。そんな三十男は、がっくりと肩を落とした。
「ははっ! マリーは相変わらずだね。……よかった」
「よかねぇだろ!?」
「いいのよ。安心しているとその子、なかなか起きないから。こういう時はね、いつもこうしてやるの……――」
マリアリアの正面に腰を下ろしたロクシオは、躊躇う事無く絹のような頬をつまんだ。そして、力いっぱい左右に引っ張る――
「ふふっ。相変わらず柔らかいわねー……。お餅で出来ているのかしら?」
ロクシオの指の隙間に吸い付くようにびよーんと伸びた頬の肉は、色といい形質といい、確かに伸びた餅を彷彿とさせるものだ。
「……いた、い。いたい、よ。ロクちゃん」
「ほら、早く起きなさい? こんなおっさんに膝枕されてるなんて知れたら、この家にマリアの全世界五千万のファンから、投石の雨が降るわよ」
「ご、五千万! マリアリアのファンだとぉ! そんな連中が存在するってのかぁ!?」
「そうね。少なく見積もってその数よ。マリアは神教会のアイドルですもの。南大陸中の注目を集めていると言っても過言じゃないわ」
「はぁー……。全く知らなかったぜ」
「世間知らずのおっさんは、これだから困るわ。ねえ、マリア?」
「えへ、へ」
のそりと身体を起こしたマリアリアは、まだ眼が開ききらず薄目で、左右にゆらゆら揺れている。どうやら照れているらしく、揺れながら後ろ首に手を添え、ポリポリと可愛らしく掻いていた。
「もうさ、その人数で北大陸を攻めればいいんじゃね?」
「分かるでしょう? 雑魚は幾ら集めても雑魚よ」
「それもそうだな。……あー!! ンな事より、鳥だ鳥! 鳳凰鳥!!」
「香りだけは上等ね。もしも二十も下の女子に鼻の下伸ばして折角の料理を焦がしたりしたら……目も当てられないわ」
「はっ! 俺はガキに興味はねぇし、今後一切、料理の心配はいらねぇよ! ……そして、お前は重大な勘違いをしているぞ、ロクシオ!」
「な、何よ……」
「鳳凰鳥のハーブ焼きのポテンシャルは、こんなもンじゃねぇぜ!!」
両手に火蜥蜴の鱗で作った耐火手袋を嵌め、グランはドッヂ・オーブンの上火の熾をまとめて取り除く。
「炭の欠片の食感は最悪だからよ……」
グランは大きく息を吸い込み、蓋上に残る炭の残骸を、綺麗さっぱり吹き飛ばす。
軒下のテラスに据え付けてある無垢のテーブルには、熱々のドッヂ・オーブンが直接置けるように、がっしりとした鋼鉄の五徳が仕組まれている。
ドッヂ・オーブンのハンドルを手にかけ、軽々と持ち上げると、グランはそれを五徳の上にどんと置いた。久々の重みに、雨風で苔むしたテーブルの太い脚から、ぎしりと音が鳴った。
「ロクちゃん、アル君。楽しみ、だね!」
スツールにちんと座っているマリアリアの、翡翠色の瞳はいつの間にか輝きを取り戻している。
六つの輝く瞳は、ただ真っ直ぐにグランを見つめていた。