5.「魔法」のお鍋
「せんせ、せんせ。この子、どう?」
三人の新弟子がそれぞれの課題に取り組み始めてから、小一時間が過ぎた頃。
全長一メートゥル近くある大きな鳥の足を掴んで逆さにぶら下げたマリアリアが、水に濡らした砥石で牛刀の手入れをしているグランの許に、ひょこっと姿を現した。
「一番手はマリアリアか。……ほう、いい選択じゃねぇか! こいつは『鳳凰鳥』ってンだ。さすがは俺様だぜ。仕留め方も、下処理もパーフェクト。完璧な温度でぴったり二週間熟成。ちょうど味が乗るころだな。聖女様はいい眼をしてやがる!」
「えへ、へ」
「素材としては文句なしだが、他の要素はどうだ?」
「えと、えっと、ね……」
鳳凰鳥は、赤から橙へのグラデーションの羽毛を持つ、美しい陸鳥だ。
炎の中で生まれると形容されるほどに美しい輝きを常に放っており、戦闘の際には高温のブレスを吐く。獰猛な性格とは裏腹に草食の鳳凰鳥は、食へのこだわりも非常に強く、甘みのある果実しか食べない。そのため、筋肉質で引き締まった肉の中には、甘みと深いコクが潜んでいる。
人里にも現れ、収穫直前のリンゴやブドウ、ベリーをついばむ害鳥でもある鳳凰鳥。美味への執念深さは、追い払おうとした農家の自宅を焼き払うほど。
神出鬼没で賢く、並の戦士など歯牙にもかけない強さを持ち、狩猟は困難を極める。それゆえ、南大陸でも一二を争う高級野鳥なのだ。
「あの、ね。ロクちゃん、火の魔力、たくさん、つかった、の。アル君、ね、はじめて、両手に剣、もってた、よ。だから、ね……だか、ら――」
次第に語気が弱まっていく。長く話すのは苦手なのだろう。マリアリアは顔を伏せ、もごもごと口ごもりはじめた。
「おうよ! 『鳳凰鳥』は、赤のエレメントをたっぷり蓄えてやがる。今のロクシオには必要だろうな。そういやアルクは、俺との手合わせで剣を二本使ってやがったか。……筋肉の修復にもコイツはもってこいだなぁ!」
「あと、ね。あと……。せんせ、この子、大好き!」
「はっはっはぁ! 俺の事なんざ、放っておきゃあいいってのによぉ! ありがとな、マリアリアぁ!」
マリアリアが見通したとおり、グランは鳳凰鳥が一番の好物だ。
それ故、ギルドに鳳凰鳥駆除の依頼があれば、いの一番に手を挙げる。正確には、鳳凰鳥が強すぎて、グラン以外は誰も手を付けられないのだが。
というのに、報酬は現物のみとなってしまっている。「足下見やがって」とグランはぼやくのだが、誰しも好物の魅力には抗えない。
そんな事を思い出しながらグランは、マリアリアの秋桜色の髪をわしゃわしゃとかき交ぜていた。
「せん、せ?」
マリアリアの頬は仄かに染まり、翡翠色の目と口とが大きく開かれた。瞼からまん丸な眼球が、ぽろりと零れ落ちてきそうだ。
「おっとと! すまねぇすまねぇ。下の妹がちっちぇえ頃、こうしてやると喜んでなぁ。ああ、染みついた習慣ってのは恐ろしいぜ! 聖女様にこんなことしちまうとは、とんだ罰当たりだなぁ!」
誤魔化すように大口を開けてグランは、げらげらと豪快に笑った。
「うう、ん。だいじょぶ、だよ。……もっと」
「そうか? 修練場での勝負とは大違いだぜ。……こうしてると、ただのガキだな」
よほど気に入ったのか、撫でる度マリアリアは恍惚とした笑みを浮かべる。
手を止めるとわかりやすく憮然とされるので、苦笑しながらもグランはそのまま続けていた。
「すまねぇな、マリアリア。湯がいい具合になってきやがった。次の工程に移らねぇと」
「わかった、よ。また褒めて、ね。せんせ」
「おうよ! 何百回でも、何千回でもだ!」
微笑み、とんとんとマリアリアの頭を優しく叩くとグランは、六十五怒の適温になった寸胴の前に立った。
湯に鳳凰鳥を丸ごとドボンとつけ、ぐるぐるとかき混ぜる。
一分ほど経ったら再び調理台の上へ。グランは両手で手際よく、鳳凰鳥の美しい羽を毟り取った。
「せんせ、じょうず」
「まぁな。ドワーフは料理好きが多いし、俺は世界中の美味いメシが食いたくて冒険者始めたってのもあるからよ。……一人で食うメシは、あまり美味くねぇんだ。せめて腕ぐらい磨かねぇとやってらンねぇ、だろぉ?」
「一人、寂しい、ね」
「慣れりゃあ案外いいもんさ。だが……――ああ、マリアリア。ハーブをこっちにくれ」
「うん!」
話しながらもグランは、裸になった鳳凰鳥の水気を取り、アルクが剥いて寄越したニンニクと塩をそれに塗り込んだ。
次に、アルクに渡した物とは違う、しっかりと手入れされた果物ナイフをくるくると回して持った。
刃の先端で躊躇う事無く鳳凰鳥の腹を割き、その中にマリアリアが選んだ三種のハーブとたっぷりのニンニク、ざっくり切ったタマネギ、四粒の新鮮な小赤果をヘタのまま詰め込む。
最後に、腹の裂け目を撚り糸で縫い戻し、パンパンと叩けば完了だ。
「マリアの身体に触れるなんて……。不敬の極みだわ」
「うぉっとぉ!!」
声にびくっと反応したグランが顔を上げると、玄関扉のすぐ横に、腕を組んで憮然とするロクシオの姿があった。
「なんだぁ、ロクシオかぁ!? ……てめぇ、いつからそこにいやがった?」
「グラン師が『ほう、いい選択じゃねぇか』とか、偉そうに言ってた頃かしらね?」
「オイオイオイ、最初からじゃねぇか!? ちっ! お前も入ってこりゃあよかったのによぉ!」
「あんまり二人が仲良さそうにしているものだから、声をかけるタイミングがなかったのよ。それにしても、この程度の隠微魔法で欺けるなんて。……貴方、本当に『傑剣』のグランなの?」
「はっは! 一本取られちまったかぁ! ……だが、俺はよぉ、仲間と信じたヤツらにゃあ、背中から刺されても文句は言わねぇって決めてるのさ。家では心も体も、装備は全部外してるンだ」
口端を上げ、戯けるようにグランは小さく肩をすくめる。
気恥ずかしく思えたのか、ロクシオはそんなグランの瞳から、すっと目線を逸らした。
「……炭、準備完了よ。注意はしたけれど、グラン師が焼いた大事な炭、二袋も灰にしちゃったわ。弁償するから至大図書館のおじいさまに請求書を回しておいて。好きな額を書くといいわ」
「金なンざいらねぇ。弟子のケツを拭くのは師の責任って、大昔から決まってンのさ!」
グランは笑いながら玄関近くのロクシオに歩み寄り、剣ダコでゴツゴツの手を、黒く輝く天使の輪の上にそっと添えた。
「止めてよ……。ニンニクの匂いが髪に付くじゃない」
「嫌いか? いい匂いだと思うンだが。まあ、ここには小さいが風呂もある。湯で流せば綺麗さっぱりだぜ! ああ、練習がてらに薪にも火をつけておいてくれや」
「嘘!? この家、個室のお風呂があるの!?」
曇りがちだったロクシオの黒の瞳が、快晴の夜空のようにキラリと輝く。
「ああ、そうだぜ。……ロクシオ、風呂好きか?」
一流の戦士であるグランが、ロクシオの一瞬の高揚を見逃すはずはない。そのギャップが愛おしく、思わず鼻先から、すんと息が漏れ出した。
「な、何よ。王都の大衆浴場じゃ、のんびり出来なかったってだけよ! ……別に、好きとかじゃないわ」
「なら、今日は風呂無しでいいか? メシが住む頃には夜が明ける。一眠りしてからでも――」
「身体が冷えちゃったのも、煙臭いのも、ニンニクの匂いが付いたのも……全部全部グラン師のせいよ!」
「ほう? それで?」
「……ついでだからお湯、湧かしてあげてもいいわ」
「くっく……。それじゃあ、風呂担当はロクシオに決まりだな。火傷すンなよ」
「誰に向かっていっているの? ……大きなお世話よ」
「ああ、そうだロクシオ。風呂は四十三怒で頼むぜ。熱めがドワーフ流なんだ」
小さく頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向いたロクシオを、グランが呼び止める。
「嫌よ。お風呂の温度は四十一怒。こだわりがあるの」
「なら、間をとって四十二怒でどぉだ! それで手打ちにしねぇか?」
「……仕方ないわね。私、優しいから」
「くっく。気遣いに感謝するぜ、ロクシオ」
ロクシオは小さく挙げた右手をひらひらと振り、再び外へと歩みを進めた。
「上手くやりましたね。グラン先生」
隣ではアルクがにやりと口端を上げ、肘先でグランの腰辺りをつついている。
「ああいう手合いは、上手く乗せてやるのがいいのさ」
「せんせ、ロクちゃん、仲良し。うれしい、な」
よく分かっていないマリアリアは、目を線にしてゆっくりと何度も頷いていた。
「マリアリアには、そう見えるのか?」
「うん!」
「あいつが一番手強いと思ったがな。ま、焦りゃあしねぇさ。……さて、アルク?」
「はい。先生!」
「野菜の皮むきは、全部済んだんだな?」
「バッチリです!」
「よーし。それなら次は、納屋から一番デカくて黒い鉄鍋を持ってきてくれ。そいつは黒鉄大鍋っていってな。ドワーフ伝統の調理器具なンだ」
「ドッヂ・オーブン……本で読んだ事があります! 代々受け継がれる、何よりも大切な家宝――」
「ああ、ソイツだ。くれぐれも慎重に頼むぜ?」
「一番大きいやつですね……。はい、分かりました!」
▽
程なくして、青葡油が何層も塗り重ねられて黒光りする鋳鉄製のドッヂ・オーブンを、両手をいっぱいに広げて抱き、よろめきながらアルクが戻ってきた。
八歳のアルクは身長百二十センティほど。その様子は、鍋が歩いているかのようだ。
「せ、先生ぇ……。これで、合っています……か?」
「ああ。間違いねぇ。ありがとよ、アルク」
厚さ六ミリィで直径六十センティ、重量は五十キルォにもなる大型の鉄鍋だ。
グランの生家、クルス家に代々受け継がれており、グランも当初、張り切って実家から持ってきたのだが、一人暮らしには大きく、遠征に持って行くには重すぎるので、長年納屋の肥やしになっていた。
使用せずとも、焼き入れや油引きといった基本の手入れは欠かさなかった。
ドッヂ・オーブンはブラックポットとも呼ばれ、その黒の深さが、ドワーフの誇りと甲斐性の表れとされているからだ。
『ツルハシと……ええい、ダイヤモンドもくれてやる! だが、俺のドッヂ・オーブンだけは、それだけは勘弁してくれッ!』
――という言葉が刻まれた石碑が、滅亡したドワーフ王国の中心に今も建っていることからも、その執着の深さが窺い知れる。
「せんせ、これから、どうする、の?」
「よーく見てろよ。こっからは早業だぜ」
ロクシオは風呂焚きに向かったばかりだ。
残るまんまるな丸い四つの瞳が開演への期待に煌めき、調理台のグランの手元と黒い鍋の底を、交互に見つめていた。
慣れない視線がどうにもくすぐったく、グランは袖を捲って自らの頬を叩いた。ぱんという乾いた音が板張りの隙間を抜けて闇夜に消えれば、調理開始だ。
グランは手を洗って水気を払うと、下ごしらえの済んだ巨大な鳳凰鳥を両手で鷲掴みにして鍋の中央に放り込んだ。入りきらない部分は、無理矢理に押し込む。バキバキと、骨の折れる音が聞こえるが、躊躇うことはない。
次に、アルクが皮を剥いたぶつ切りのニンニク、タマネギ、ニンジンを大きめにざくざくっと切り、洗っただけで皮ままの拳骨芋を両断して、それも鍋の隙間に投入。
鳳凰鳥の腹の中に入りきらなかったハーブを鍋の中にまんべんなく散らし、全体に軽く塩を振ってオリーブオイルを回しかけると、ドッヂ・オーブンの重い鉄の蓋をゆっくり閉めた。
「よぉし、完成!」
「おわり、なの?」
「グラン先生? 僕は料理に関して造詣が深くはありません。ですが、これでは料理と言うより……――」
調理時間はおよそ三分。パットが豆鉄砲を食ったような二人の反応は、全く予想通りである。グランはにやりと口端を上げた。
「手間をかけりゃあ、美味くなるとは限らねぇンだぜ? 剣や魔法だってそうさ。努力の方向が間違っていたら、マイナスに働くことさえある」
「な、なるほど……。メルティン団長にも、似たような事を教わりました」
「あンの野郎! そいつぁ、俺の受け売りだぜ!」
グランは上機嫌に、真上を向いて豪快に笑う。
「もちろんそれだけじゃねぇぞ! なんたって、手入れの行き届いたドッヂ・オーブンは、魔法の鍋とも呼ばれてるからよぉ!」
「鍋に魔法……? まさか、魔道具!? ですが、未熟な僕には魔力が感知できません」
目を見開いて魔力を探ったアルクは、がっくりと肩を落とした。
「かっか! そりゃあそうさ! コイツは至って普通の鉄鍋だからなぁ!!」
「普通? 魔法が、普通……ですか?」
「まあ見てなって! 炭と時間と相棒が、とんでもねぇ美味を連れてきてくれるからよ! おい、アルク。今日の最後の課題だぜ――」
グランは、鳳凰鳥と野菜の分、僅かではあるが重量の増したドッヂ・オーブンを顎で示す。
無言で小さく頷くと、アルクは把手を両手に持った。
「外のファイヤーピットだ。ロクシオが炭を平らに広げてやがる。その上に直接、その鍋を置くだけでいい」
「分かりました!」
マリアリアが先行し、玄関の扉を開けていた。
うんしょとドッヂ・オーブンを持ち上げたアルクは左右によろけながらも、確実にファイヤーピットへと進む。マリアリアが心配そうに手を伸ばすが、アルクは首を左右に振り、一人で歩みを続けた。
その様子を眺めていたグランはくすり笑うと、飲みかけの酒に栓をして、荒縄を徳利の首に縛って肩にぶら下げた。お気に入りのグラスを、忘れず左手に。
今日は久々に、賑やかな食卓になりそうだ。グランの顔は自然と綻んでいた。