8.5.傑剣とスッポン
本編9話の前日譚、全2話です。よろしくお願いします。
「……よぉし。これがあれば、あいつらに腹いっぱい食わせてやれるぜ。アルクだけじゃなく、最近じゃロクシオのヤツも遠慮なく食うようになりやがったからな」
頭に巻かれた魔道具のライトがささやかに照らす坑道に、グランの低い声が響き渡る。
かつてドワーフの集落が点在していた岩山の奥深くで、グランは巨大焜炉を作るための珪藻土岩を採掘していた。
「しっかし、見つかって良かったぜ。これだけデカい珪藻土岩、ここ以外じゃあ、まずお目にかかれねぇンだ――……っと」
グランの独り言に、懐中時計がちりりと鳴って応えた。
日の出も日の入りも分からない地中では、時計は必須。グランが身につけているこの時計とライトは、倉庫の奥深くで眠っていた物だ。それを、此度の冒険のために引っ張り出してきた。
「……ちっ。もう二日間も潜ってンのかよ。ドワーフっても、俺にはやっぱり採掘は向いてねぇぜ」
自嘲気味に鼻をすんと鳴らしながら、グランは立ち上がった。
ドワーフ史上最強の戦士として名を馳せるグランだが、今回の得物は家宝の大剣ではない。岩壁に立てかけられたアダマン鋼製のツルハシが一挺。ヘッドライトの光を反射して黒く輝いている。
「よし。さっさと帰るか。ガキ共が腹を空かせて待ってやがる……――って、らしくねぇか」
ふと零した自分の言葉に苦笑い。
切り出した珪藻土岩を両腕いっぱいに抱え、グランは足早に坑道を後にする。
▽
狭い坑道を抜けるとそこには、岩山の中とは思えない空間が広がっていた。
天井の天辺は見上げるほど高く、大地の魔力を取り込む永続魔法の太陽が、時間とともに色を変えながら輝いている。
夕暮れ時を思わせるオレンジ色の「陽光」が、かつてグランの一族も住まっていたここ、第二十一集落を優しく照らしていた。
「……親父、お袋。ゆっくり休んでてくれ。俺は、うまくやってるからよぉ」
道すがら、グランは小さな墓石の前で足を止め、跪いて手を組んだ。
石の下には、ヘルハウンドとの戦いで命を落とした一族や仲間が眠っている。
討伐の報酬を全て使い、グランは手厚くその亡骸を葬った。守れなかった、せめてもの罪滅ぼしとして。
「これ、返しとくぜ、親父。やっぱ俺にはうまく使えねぇや」
父の墓前に、一族に伝わる業物のツルハシを立てかける。採掘や鍛冶を生業とするドワーフにとって、槌とツルハシ以上に大切な道具はない。
隣を見遣る。母の墓前には、グランが往き道に供えた一輪の青い花が鮮やかに彩りを添えていた。聖女の祝福だろうか。二日経っても、水がなくともそれは、相変わらずの美しさで咲き誇っている。
つい、グランの口元は緩んだ。
「本当はよぉ。生きてるうちに、渡したかったンだ……」
花のことなどよく知らないグラン。だが、家の庭先でマリアリアが育てているこの名も無き花のことは、見た目も香りも好きなのだ。
「――それじゃあな、お袋。またちょくちょく来るからよ」
立ち上がったその時、不意に懐かしく芳ばしい香りが、グランの鼻をくすぐった。
「……風、だとぉ?」
地下では吹かない、優しい風に乗せられて。
「ばッ! この香り……! まさか?」
風に導かれるように、香りに惹かれるように、グランは荷物も持たずにドワーフ集落を駆け出した。
体が、足が記憶している方向。どんな日でも自然と行き着いた、あの場所へ。
▽
「……お帰り、グラン。手、洗うんだよ」
土を固めて作った無機質な我が家に、優しい声が残っていた。
「お、お袋……?」
見間違えるはずもない。調理台の前、いつもそこにあったその姿を。
思わずグランは駆け寄り、震える両手を伸ばし――
「――……!?」
しかし、その手はすり抜ける。ひんやりした空気が、指先からこぼれ落ちていくばかり。
「ははっ。もう、いくつになってもお馬鹿だねぇ、アンタは。魂に触れるわけないでしょう? 触れるんだったら、とっくに私がアンタのことを抱きしめてるよ」
母はくすりと笑った。いくつになっても子どものようにグランを揶揄った、記憶のままのイタズラな表情で。
「魂……だとぉ? 何の冗談だよ、お袋! じゃあその料理は何だ! 香りまで虚像だってぇのか?」
「不思議だよねぇ。どうしてか、料理だけは出来ちまうのさ。食材は掴めるし、道具も手に取れるんだよ」
母は、見せびらかすように左手に持ったタマネギを掲げた。
怖々伸ばしたグランの指先も、確かにそれを現世の物だと認識する。タマネギの側面から、母の鼓動が伝わって来る、グランにはそう思えた。
「一体、何が起こってやがる……?」
「アンタ、坑道に潜る前、お花を供えていってくれたろう? きっと、その力だね」
「ンなっ!? マリアリアの? そうか! 聖女の……奇跡」
「ほんと、大したもんだねぇ。アンタが今、面倒を見ている子だろ? 帰ったら、私からも感謝を伝えておいておくれよ。いつか、アンタに振る舞ってやろうと思っていた、とっておきのスープ。作る機会をもらえたんだよ」
「スープ?」
グランは少年期のように、母の真隣から鍋の中をのぞき込んだ。
「こいつぁ、滑亀のスープ。ドワーフ戦士の勝ちメシじゃねぇか!」
「……母さん、戦いのことはよく分からないけどね。アンタほど強い戦士は、ドワーフの歴史上一人もいないんだってね。いっつも男たちが噂していたんだよ。母さん、それが誇らしくってねぇ」
「何が強いもンかよ! 俺は! お袋……俺はっ! 一族を誰一人守れなかったンだ!!」
思わずグランは、声を荒らげた。
「バカ言うんじゃないよ。しっかり守ってもらったさ。ドワーフにとって一番大切な誇りを、ね。……それに、一族は滅びてなんかいないだろ? アンタが、生きてくれてるじゃないか」
母はただ、鍋に浮かぶアクを掬い続けている。
「……ぐっ!」
「それに、アンタのおかげでね。私達、あっちでも結構良い暮らしが出来ているんだよ」
そう言って母は窓の外、自らが眠る墓を向き、ぱちりと片目を閉じた。
「たったそれだけのことで! 償いを終えた気になって、目を逸らしていた俺はッ――」
「おぉーい! グラぁあン!! こっちにも顔出しやがれぇぇえ!!」
グランの言葉を塗りつぶすように、集落の中央から怒号が聞こえた。
「今の声、親父!? お、お袋! まさか、親父も戻ってやがンのかぁ?」
「ああ、ああ、そうさ。奇跡は一人分だったんだけどね。どっちがアンタに会いに行くか揉めたから、半分こにしたんだよ。そのせいで私の時間も半分。おかげで仕込みは大慌てさ。この料理、うんと時間がかかるっていうのにね」
ぷくりと頬を膨らませる母だが、その口端には笑みが浮かぶ。
「……そうか。安心したぜ。相変わらず仲がいいみたいでな」
「それも、アンタのおかげなんだよ」
「ん?」
母の呟きは、耳まで届かない。思わずグランは首を傾げた。
「何でもないさ。ほら、早く行っておいで、グラン。父さん、アンタと一緒にやりたいことがあるって、聞かなかったんだよ」
「やりたいことだぁ? 想像もつかねぇぜ。……ああ、声の方向、共同鍛冶場だな。久しぶりにクソ親父の顔でも拝んで来るとするか」
「あの人、堪え性がないからね。ほら、早く行っておやり」
「俺は足も速いンだ」
「知ってるよ」
「……休みながら調理するんだぜ、お袋」
「誰の心配してるんだい。十年早いよ」
「かっか。なるほど、なるほど。そいつぁ遠いぜ」
グランは、焜炉に向き直った母の背中をチラリと見て、それから共同鍛冶場の方へと駆け出した。
母の料理の完成を待つ間に、里で大人に構ってもらう。
そんな幼少期の日常を思い出していた。




