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38.聖女の希望

「……せんせ、あのね」


 長い沈黙を破り、重々しく口を開いたのはマリアリア。


「言うなッ――!!」


 慌ててグランは声を張り上げる。


「わたしも、ね。もうすぐ死んじゃう、みたい」

「だから、言うなって……。俺は一体、どんな顔すりゃいいんだよ」


 とうに悟っていたことだ。それでも本人から聞くと堪えてしまう。グランはがっくりと項垂れた。


「なあ、マリアリア。本当にこれが最後なのか? お前にも、もう会えないのか?」

「うん。今回も、ね。いっぱい、いっぱい、わがまま、言った、の。さいごの、わがまま」

「もっと大事な時に取っとけよ」

「そんなの、ない、よ?」

「……メシ、作るぜ。冥土の土産だ」


 グランは立ち上がって調理台の前に立ち、いつかの誕生日に、三人に贈られたエプロンを身につけた。


 手に持つ包丁。柄には手の脂が染みこんで黒くなっているが、刀身には錆び一つ無い。今も続くロクシオの魔法の効果だ。


「帰ったら、ね。聖櫃に入って、お祈りしながら、眠る、の。きっともう、起きられない、ね」

「なあ……マリアリア?」


 グランの手が止まった。少しでも早く三人の腹を満たしてやらねばと、一時も休まなかったその手が。


「どした、の? せんせ?」

「お前はもう十分世界に尽くしただろぉ! 死ぬときくらい好きな場所にいて、好きなもの食べたっていいんじゃねぇか!? ひよっこ騎士共なんて、俺が全員蹴散らしてやるぜ! お前達の部屋、いつも綺麗にしてあるんだ。どうせ眠るってんなら、いつもの寝床でだって――……」

「あり、がと。……やっぱり、わたし。せんせのこと、ほんとに、大好き。恋、してる、よ」


 台所に立つグランの腰に両腕を回して抱きつき、消え入るような声でマリアリアは呟いた。


 マリアリアの目尻から染み出す僅かな熱が、厚手のチュニックを通り抜けてグランの肌に伝わってくる。


「ちっ! 揃いもそろって、師匠の事をからかうんじゃねぇよ。……くたばる前のロクシオにも、似たようなことを言われたぜ」

「……知ってる、よ。ロクちゃんも、本気。わたしも、本気」

「畜生……ッ! 俺だって、お前達の気持ちにゃ気づいてたさ! だが、田舎のドワーフと聖女様だ? 至大図書館の令嬢とだぁ? 俺に何が起こせたってンだ! ……無力なんだよ、俺は! 戦士としても、人としても……――!!」


 こみ上げてくる激情。熱い。雫が落ち、乾いた無垢のまな板に溶け込んでいった。


「せん、せ。せん……せ」


 マリアリアの腕に、さらに力が込められていく。


「なあ、マリアリア? お前には『眼』があるからよ。知ってンだろ? 俺が北大陸に残った本当の、理由」

「見ないよう、に、してた、よ」

「ったく、優しすぎなンだ。お前は」

「えへ、へ」

「……怖かったのさ。近くで背中を見ていたら、嫉妬でどうかなっちまうんじゃねぇかって。どうしようもないくらいに差がついてたってのに、まだ張り合おうとしてやがったんだ! 下らねぇプライドを守るためにお前たちを避けて、はぐらかして、逃げ回って! 一度だって、真剣に向き合おうとしなかった」

「ちがう、よ? せんせ、は、ね。ロクちゃん、も、わたし、も。傷つけたく、なかった、の」

「結果として、一番傷つける道だった……ってか。ちっ! 死んでも消えねぇ業だぜ」


 得意の舌打ちすら、澱む。


「……ねえ、せんせ? せんせは、生まれ変わり、信じて、る?」

「わかンねぇ。……だがよぉ、アルクやロクシオが今もどこかにいるってンなら、信じてみたくもなる」


 顔を上げて涙を呑んだグランは、精一杯の言葉を絞り出した。包丁は、ヒバの上で休む。


「わたしは、ね。信じてる、よ」

「さすがに聖女様は信心深いぜ」

「関係、ない、の。ただ、そう、思いたい、だけ」

「……なあ、マリアリア。お前はまた、聖女に生まれてぇのか?」

「ううん。ふつーの冒険者が、いい、な。せんせのごはん、ね。みんなと、いっしょに、食べる、の。おいしいねって、いいながら」

「ずいぶん酷じゃねぇか! 俺にだけ……まだ、生きろって言うのかよ」

「うん。まってて、ね。せんせ」


 抱きついたまま動かないマリアリア。


 包丁を手に、グランは手先だけで調理を始める。

 こんこんと小気味のいい音だけが鳴っていた。


「ねえねえ、せんせ。今日は何、作ってるの?」


 ふっと、腰の重みが消えた。


 何度も何度も聞いた言葉だ。見えずとも、マリアリアの表情や所作までもが、グランの瞼には鮮明に浮かぶ。


「お前達の好物さ。ドラゴン・タートルのスープを仕込んであってな……いや、下位種のドレイク・タートルだが。さすがの俺も歳でよ、もうドラゴン・タートルを狩ることも、甲羅を砕く事も出来なくなっちまったンだ。……なあ、マリアリア? 汁物だったら、今のお前にも――」


 恥ずかしそうに片目を閉じ、ゆっくり振り返ったグラン――


 その唇に、柔らかく、確かな熱を帯びた何かが触れた。


「せんせに、祝福、ね?」


 唇に人差し指を添えたマリアリアは薄目で、恍惚とした笑みを浮かべている。


 窓から差す茜色の光を受けた彼女は、いつか辺境の教会で一緒に見た、ステンド・グラスの美の女神よりも眩く輝いていた。


「……ば、ばっか野郎! 聖女様の祝福だとぉ? 俺なんかじゃ、百回生きても返しきれねぇよ!」


 とても直視できない。思わず調理台に向き直るグラン。


「待ってるって、約束、して。それで、じゅうぶん、だよ」

「わぁったよ。……新しい、盟約だな。お前と、俺の」

「うん! ありがと、せんせ。スープ、楽しみ」


 背後で、確かに椅子を引く音が聞こえた。振り返らずとも、グランには分かる。そこはいつも、マリアリアが座っていた位置だ。


 グランは息を吐いて心を静め、ひとまずは料理に集中することに決めた。


  ▽


「ほぉら、出来たぞ!」


 ドレイク・タートルのスープをなみなみと注いだ器を二つ持ってグランは、ゆっくりと振り向いた。


 が、そこにはもう、人の影は無く――


「マリアリア……? なあ、マリアリア……?」


 グランは器を持ったまま、慌てて外へ出た。あれだけ仰々しかった騎士達の姿も、森からすっかり消え去っていた。それはまるで、春の夢。


「違う……。夢なんかじゃねぇ」


 確かにマリアリアはそこにいた。彼女が愛用したコロンの香りが、薫風とともにグランの鼻腔をくすぐったから。


 みっちり詰まったレシピ棚の前の床に、転移魔法のスクロールが開かれ、落ちていた。


 ロクシオのクセ字だった。

コタエアワセの章。聖女マリアリア編、完結です。


明日夜、最終話を投稿いたします。

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