36.賢者の髪飾り
「……忘れるもンかよ。散々悩まされたからなぁ。……オルサック名物、『大好み焼き』だぜ」
まだ動揺のおさまりきらないグランの声は、所々裏返った。
それを聞いてロクシオは優しく、それでいて悪戯にくすりと笑うのだ。
「好物の事なんてすっかり忘れていたから、とっても驚かされたわ。でもね、あの『大好み焼き』には一つだけ違っていることがあったのよ」
「……食感、だな? あの時はマリアリアのアイデアで、雲雲鳥の卵でメレンゲを立てて似せたが、答えは未だに分からねぇ」
「教えてあげる。……この場所の秋蛍には、ある花に集まる習性があるのよ。ほら、見て――」
ロクシオが指さす先には、山吹色の小さな光の球が無数に舞っていた。皆一様に、白い泡のような花を目指している。
「あの花……なるほどぉ! 竜骨芋ってわけかぁ!!」
「ふふっ。正解よ、グラン師。オルサックではジネンジョをたくさん摺って入れて、大好み焼きにあの膨らみを出しているの」
「ちっ! こんなに近くにあったとはなぁ。ってことは、今までどや顔で紛い物を出してたってワケか……。すまなかったなぁ、ロクシオ。俺も、まだまだだぜ……」
「わざと黙っていたのよ。私のために皆が知恵を絞ってくれたことが、本当に嬉しかったから。あの時はじめて、誰かのために勉強しようって、魔法を使おうって思えた。……だから、ね。禁術を使うことだって、命を削ることにだって少しの躊躇いもなかったわ。……今の、今までッ――!!」
思い出話に感極まったのか。口元を抑え、ロクシオは再び噎び泣く。
「ロクシオっ!」
迷わずグランはロクシオの小さな身体を抱き、力一杯引き寄せた。
熱い眼差しと、潤んだ瞳がぶつかる。
自然に近づく紅と朱――
ふれあいかけたその時。秋蛍が一匹、二人の唇の、ほんの僅かな隙間を通り抜けていった。
「もう! ばっかみたい!」
グランの巨体に力一杯手を突き出すロクシオは、泣き笑いだ。
「やめよ、やめ! 最後の思い出が貴方とのキスなんて、冗談じゃないわ!」
「ちっ! 危うく雰囲気に呑まれちまうところだったぜ! おーおー! 蛍に救われたってヤツだぜ!」
顔を背ける二人。しばらくの沈黙。
乱舞する蛍の隙間を縫い、一陣の山風が枯れ葉を揺らして走り抜けていった。
「きっと、マリアの仕業ね。……困った子だわ」
ロクシオの呟きは、風に流れて消えていく。風下にはグラン。
「最後のお願いよ、グラン師。あの子を、マリアを大切にするって約束して」
「……ンなこと、俺の心一つじゃないだろう。マリアリアは今、教会に軟禁状態じゃねぇか。会いたくても会えない。アイツだって、出たくても出られねぇ。ひょっとしたら、死ぬまで――」
「そうね。だけど断言するわ。マリアは必ずもう一度、グラン師に会いに来る。あの子にとっても、貴方の事が心残りなのよ。……私と、同じでね」
唇の前に人差し指を立て、ロクシオは片目をぱちりと閉じて微笑んだ。
「なら、連れて来ればいい。今年はまだ一月あンだろ。また三人で、一緒にメシを――」
「それは無理ね。私の魔力、もう空っぽなの。最後の魔法……さっき使っちゃったから」
「最後の、魔法だとぉ!? 大陸間転移魔法か? それとも、この半纏……?」
「どっちも違うわ。その程度の魔法、私にとっては呼吸と同じですもの」
戯けるようにロクシオは肩を竦めた。
「ちっ。可愛げのねぇ……。なら、なんの魔法だってンだ!」
「正直になるだけの、ほんの小さな魔法よ。アルみたいな勇気を、振り絞るための魔法。……私にとっては、ダントツの最高難度」
「勇気……だと? まさか、さっきの言葉――」
鼻先を止めておく。ただ、それだけの。
「……魔毒はもう、心臓近くに来ているの。来年どころか、明日だって迎えられない」
「嘘だって言えよ! 今なら特別に許してやる!」
ロクシオは眼を閉じ、静かに首を左右に振る。
「だからね、グラン師。私は、貴方の心の中にいてはいけないの。貴方にとっての魔毒にはなりたくないのよ」
「……ロクシオぉお!」
必死に堪えていた感情があふれ出す。グランの声が涙で澱みはじめた。
「ほら、泣かないの! らしくないわ! 貴方はバカで、真っ直ぐで、いつも笑ってて、弱っちいくせに……偉そうに私たちの事を叱るんだから!」
「お、俺って、そんな風に思われてたのかぁ?」
「そうだけど? 他にはー……。ええ。いつも優しくて、何より料理上手!」
ロクシオは片目をぱちりと閉じ、人差し指をグランの鼻先に突き立てた。
「結局メシ目当てかよっ! ちっ! アルクにも同じような事を言われたぜ」
「だって、貴方からそれを取ったら、何も残らないでしょう?」
「……悔しいが、返す言葉がねぇぜ」
「ふふっ。分かったならさっそく準備よ! 私ね、最後の晩餐は貴方が作った『大好み焼き』って決めているの。モクモクドリの卵を使った、ね」
「ンな勝手な!? ヤツはいつでも卵を産むわけじゃ――」
今日は一日、モクモクドリの姿を見なかった。彼女が卵を産む時はいつも、物陰に隠れて力を溜める。
「おぉ……。さすがの強運だぜ……」
グランの口から、思わず言葉が零れた。
「お尻をひっぱたいてでも産ませなさい! これは命令よ!」
「わぁったよ! …ったく、相変わらずのわがままお嬢様で困るぜ」
「……バカね。最初で、最後のわがままじゃない」
「かも、知れねぇな」
「わがままついでに聞きなさい、グラン師」
「まだあンのかよ!?」
「私のお墓は、お店の裏庭に作ること! 貴方とマリアリアの行く末を眺めながら、いちいちちょっかい出してやるんだから!」
「だから、俺はガキに興味がねぇって――」
「ふぅん。今のマリアを見たら、きっと驚くわよ」
悔しそうに言い捨て、ぴょんと大岩から飛び降るロクシオ。着地すると、わざとらしく胸に手を当ててうずくまった。
「あー! あー!! 心臓が、シンゾウガイタクナッテキター!!」
「お、オイオイ! 大丈夫かよ!」
慌てて岩から飛び降りたグランは、ロクシオのすぐ側で屈む。後ろ首に、細く小さい両腕が回り――
いつの間にか消えていたランタンの灯。
明かりのない夜空には、箒星がよく落ちる。
「……――最高の、思い出ね」
月を肩に乗せ、星屑の煌めきをちりばめて髪飾りに。
歯を見せてにししと笑うロクシオの美しさには、半端な女神ではとても敵いそうにない。
「……先に行って待ってるわ。たっぷり炭を熾こしておくから。落ち着いたら追いかけてきなさい」
グランの鼓動は高鳴っていた。
唇に残るのは、ドワーフよりも僅かに高い、ハーフエルフの体温だ。
コタエアワセの章。賢者ロクシオ編、完結です。




