35.賢者の本音
「……五分三十二秒。まあまあ優秀ね」
「だろ? 何かあったときゃ、お前はいつもここにいるからなぁ!」
料理宿のほど近く。全方位が開けた眺めの良い丘の天辺に鎮座する巨大な岩。よじよじと登ってグランは、ロクシオのすぐ隣に腰掛けた。
岩の大きさに対して具合の良い平らなスペースは意外と狭く、女性二人が並ぶのがやっとなくらいだ。肩が触れあうが、ロクシオは譲る気配を少しも見せない。
「狭いわね。ここ、マリアと二人なら丁度いいのに」
「かっか! 麗しの聖女様の代理が、ゴツいジジイですまねぇな」
ひんやりした岩の上、ロクシオにぴったりと身体を寄り添えるグラン。触れあう肩から、人肌の温かさが伝わってくる。
二人の背中を、ほわほわと浮かぶランタンが仄赤い光で照らしていた。
「……ねえ、グラン師。気付いていた? 私がここに来なくなった、本当の理由」
「本当の、だとぉ? 研究と執筆が忙しくなりそうだって、前にそう言ってやがったじゃねぇか。まさか、違うってのかぁ?」
「うん……」
小さな肩が、余計に窄んでいく。ロクシオがしおらしくなるのは、嘘で塗り固めていた不都合な事実を暴露する時と決まっている。
グランは高鳴る鼓動を誤魔化すように、大きく息を吸った――
「ロクシオてめぇ、何を隠してやがるンだ? ……言えよ。力になりてぇ」
「力にですって? 笑わせないでよ。グラン師如きでは、もうどうにもならないわ」
諦念を湛えた瞳はどこまでも遠く。ロクシオは、たおやかに黒の長髪を耳に掛ける。
「だろぉな。お前に処理できねぇ事が、俺がどうにか出来るとは思っちゃいねぇさ。……だがよぉ、聴いてやるくらいは出来るぜ。お前は今日、それを打ち明けるために来たんじゃねぇのか?」
「一番は、貴方の誕生日をお祝いするためよ。それは揺るがないわ」
「ありがとよ。とンでもなく嬉しいが、弟子が隠し事したままじゃあ、喜びきれねぇってな」
「……私、ね。新しい年を迎えることが出来ないの」
「ンなッ!? ま、まさか! アルクと同じ――」
ゆっくり首を左右に振るロクシオ。艶の深い黒髪がなびき、揺蕩うランタンの光を映して琥珀色に煌めいた。
「アルのとは違うわ。加護無しの私に『器』は無いから、彼とエリシスの力にはなれなかった」
「だったら、なんだってンだ!」
「私のは……いわば魔毒。自然の摂理をねじ曲げる魔法を使いすぎた反動ね」
「ばかな、ンなこたぁ聞いたことねぇぜ! 魔法には、反動を空間に逃す術式が組み込まれているはずだろぉ!」
「一般的には正解よ。偉いわ。よく勉強したのね」
穏やかに両の口端を緩め、グランの頭をぽんぽんと優しく叩くロクシオ。反対にグランは、ぎちちと音が鳴るほどに歯を食いしばっていた。
「もう……。ある強度の魔法までは確かにそう。だけど、私が旅の最後に使っていたのは、副作用が不明な禁術ばかりだった」
「バカなッ! 禁術は使うなって、あれほど――」
「仕方が無かったのよ! 魔王と戦うために必要で……ううん。勇者と聖女に張り合うため、かな?」
虚空に向かって足を放り投げるロクシオは、無邪気に笑った。長年ともに暮らしたグランとて初めて見る、幼子のような笑顔で。
「お前が誰よりも努力家なのは知ってるぜ。……才能で、あの二人に及ばなかった事もだ」
「……そう。お互いに、無才は辛いわね。けれど私には幸い、それを補う『禁術』があった」
「オイオイ、まさか! 俺を追い出したのは、『禁術』の使用を止められないように――」
「いいえ? 単にグラン師が足手まといだったからだけど?」
肩を震わせ、悪戯っ子のようにくすくす笑う様子はもう、いつものロクシオだ。死が差し迫った悲愴感など、微塵も感じさせない。冗談だとさえ思えてくる。
「ちっ! 正直過ぎんだろ! 少しくらい取り繕っても罰は当たらねぇだろぉが!」
「ふふっ。相変わらず、グラン師は揶揄い甲斐があるわ。……それじゃあ、正直ついでにもう一つ、大切なことを伝えておこうかしら」
「ンだよ、自分が死ぬってこと以上に、大切なことがあるってぇのか!」
「ええ。もっと、ずっとよ――」
静かに頷き、漆黒の瞳を真っ直ぐグランに向けるロクシオ。胸に手を当て、大きく息を吸い込んだ。
「――……好きよ。貴方が好き。この世界に最初で最後。私が心を開けるのが唯一、貴方なの。グラン師」
「がっ!? がががが……――」
言葉にならない言葉がグランの口から飛び出した。顔から火が出そうになるほど熱い。鼓動だって高鳴りっぱなしだ。
年甲斐も無いと言われればそうかも知れないが、亀の甲で耐えられる事に限度があるのはかつて、ドラゴン・タートルで実証済みである。
「ふふっ! 何よ、その間抜けな顔!」
「ちっ! ちっ! その手にはのらねぇぜ! 嘘を吐くときのお前のクセは、熟知してんンだよ!」
けたけた嘲り笑うロクシオに、どこかがっかりした自分がいる。ほとぼりを冷ますようにグランは、平手で自らの頬を扇ぎながら思いを巡らせた。
いつものように、ロクシオの鼻先は動いていただろうか?
「しっかり引っ掛かったあとじゃ、少しも説得力が無いわよ。もう……冗談に決まってるじゃない。どうして、どうしてこの私が、貴方なんかの事を好き……に……――」
いや、動いていなかった。
「どうして、私、こんな……時に。嘘、嘘よ! もっと早く素直になっていれば、やりなんて幾らでもあった……のにぃ……――」
「ろ、ロクシオ……?」
「いやに……なる、わ。……賢者なんて言っても、全知全能には、ほど遠いのね。自分の心さえ、分からないなんて。あーあ……。マリアみたいな力が、私にもあったら、なぁ」
嗚咽を漏らしながらもロクシオは、なるべく平静に、冷静に言葉を紡ぎ続けた。
「それが無いから、お前はお前なんだぜ、ロクシオよ」
晩秋の夜風が一つ、小さな身体の身震いを誘った。グランは魔法が込められた半纏を脱ぎ、そっとロクシオの肩に。
エルフの尖った耳先に、ぽっと灯が灯る。
「優しい言葉も! 行動だって……! もう止めて、やめてよぅ……。あと一年、あと一年なのに! 私、もう……子どもじゃ……ないん……だ、から」
「……そうか、三十になるってぇのか。だがよぉ、弟子の事は、いつまで経っても心配なもンだぜ?」
「弟子……か。本当に、本当にバカな人。こんなチャンス、二度と無いのよ……――」
「かっか! これは死んでも治らねぇヤツだぜ」
声を殺し、肩を震わせるグラン。
ロクシオの頬を雫が一筋、乾いた岩肌を濡らした。
「……ねえ、グラン師。覚えてる? 皆が私にくれた、初めてのプレゼント」
沈黙を破るように口を開いたのはロクシオだ。




