32.勇者の焦燥
「老けたうえに縮んだなぁ! オイ!!」
「三年ぶりに会った愛弟子に、いきなりそれですかぁ!!」
勇者アルク達による魔王討伐後。北大陸の魅力にすっかり取り憑かれたグランは南大陸への帰還を拒否し、客が一人も来ない料理宿の店番をしていた。
魔王の魔力の帳が消え、大陸間の行き来が出来るようになったロクシオの転移魔法を使い、しばらくはグランの店へ足繁く通っていた勇者一行。それぞれの立場が忙しくなるにつれ、自然と脚は遠のいていき――
五年が経った今では、年に数度、一人ずつが来るか来ないか、といった具合だ。勇者アルクは実に、三年ぶりの来店である。
「……もう! 人並みに傷つくんですからね。僕だって」
年甲斐もなく、ぷくりと頬をふくらませるアルク。その様子をみて、グランはけらけらと笑う。
重大な使命を果たしたアルク。だが、救世の勇者たる威光を放つどころか却って幼くなった。よく言えば素直に、悪く言えばワガママに。それは、肩の荷が下りたから、という理由だけではないらしい。
「かっか! すまねぇすまねぇ!」
すっかり細く小さくなったアルクの背中を、昔と同じようにバシバシとグランは叩いた。衝撃で、その身体は前後に大きく動く。五年前は、大岩のようにびくともしなかったはずだが。
「い、痛いですって、先生! 僕の身体、昔とは違うんですよぅ――」
「おぉ! そうだったぜ! ついクセでな。……許せよ、アルク」
急激な老い。アルクの身体は萎縮し、顔だって皺だらけ。美しく艶のあった銀髪も痛み、すっかり寂しくなっている。
五十を超えたグランよりも遙か年上の風貌。ヒューマンで言えば、平均寿命の七十歳を過ぎた老人にさえ見える。そんなアルクはまだ……二十五になったばかりだ。
「魔王を『説得』した代償……だったか? 重いな」
「僕が納得して受け容れたんです。後悔は一つもありません」
「お前が良くてもッ! ……ちっ! いつだって割を食うのは若いヤツらじゃねぇか。チクショウ! 俺にもう少し力が――」
「そうだ! 先生!!」
グランの言葉をかき消すように、手をパンと叩くアルク。張り上げた声だって、もう掠れてしまっている。
「僕はね、最期に……先生に文句を言いに来たんです!」
「文句、だとぉ? わざわざ、こんなに遠くまでかぁ?」
「……忘れたとは言わせませんよ? 魔王城に行く朝に、僕達に持たせてくれたお弁当のことを――」
「あぁ! 『爆弾おにぎり』のことだなぁ! くっく……アイツは最高だっただろぉ?」
「はい! ドッヂ・オーブンで焚いたお米は冷めてもふっくらつやつやで、本来の甘みが引き出されてい――……じゃなくって!! おにぎりの具に、あんなのを入れるなんてヒドいって言ってるんです!」
「かっかっか! 『スパイシィの灼熱トウガラシ漬け』は、辛ければ辛いほど上物だってなぁ! あいつぁ、大当たりなんだぜ!!」
しかめ面のアルクをよそに、グランは腹を抱えてげらげらと笑う。
……決戦の日。グランが一行に渡したおにぎりには、四つの味があった。
シャケ・コンブ・おかかといった定番具材。そして、グラン秘蔵の酒肴『噴火魚の灼熱トウガラシ漬け』。一つのおにぎりに一種類ずつ、たっぷりと詰め込まれていたのだ。
「先生の言う『大当たり』を引いたロクシーに分けてもらいましたが……。アレは、辛いなんてモノじゃあなかったですよ!?」
「確かに辛いぜ。だが、味は間違い無いはずだ」
「はい! 後から旨味が追いかけてきて、滅茶苦茶おいし……――ああもう! 調子狂うなぁ……。四人がかりでしっかり完食しましたけどね!」
「魔王も含めた四人、ってか。その言い口。アレが魔王と打ち解けるきっかけになったみてぇだな?」
「そ、そんなの全部結果論ですよ! もしもエリシスがアレを引いていたら……今でも想像する度、肝が冷えるんです」
「……安心しな。それはねぇ」
「え!? だけど、おにぎりの見た目は全部一緒で――」
「くっく……。冥土の土産に教えておいてやるぜ。ロクシオが『大当たり』を引くことは、俺の計算通りだったンだ」
鼻の穴をいっぱいに広げ、したり顔のグランは続ける。
「ポイントは順番だ。……見た目がきんちょのマリアリアが一番はじめに選ぶのは分かってた。アイツには『眼』があるだろう? なら、好物の鮭を選ぶに決まってる」
「それは理解できますが……。その次が問題ですよ! いつも通り僕が最後だとしても、残るロクシーとエリシスの順番、どのおにぎりを選択するかだって、わかりっこありません!」
「かっか! 魔王が女だと聞いて、ちょいと焦ったがな。それでも次はロクシオに決まってるンだ。なぜなら……あいつは、じゃんけんで負けた事がねぇ! 飛び切り運がいいンだ」
「そんな理由でっ!? そういえば、僕も勝ったことがない……」
「だろう? 負けず嫌いのロクシオなら、順番を決める手段にじゃんけんを選ぶことはわかりきってる」
「で、ですが先生! それでもロクシオが『大当たり』を引くとは限らないじゃないですか! マリー以外の全員に、アレを引く可能性があったはずです!」
「簡単な理屈だぜ。ロクシオは、一番食い意地が張っていやがるンだ!」
「はぁ? 食い意地?」
突拍子もない言葉に、アルクは目と口をぽかんと大きく開けた。
グランは、アルクの真っ直ぐなところが何より好きだ。確かに見た目は変わり果てたが、食い入るようにグランを見つめる空色の瞳の輝きは、今でも一点の曇りもない。
「『大当たり』のおにぎりの大きさをよぉ、微妙にだが大きくしておいたのさ! ロクシオの食い意地センサーがそれを見逃すはずはねぇ……だろぉ?」
「そんな……ことで?」
「僅か一センティだったがな。恐れ入るぜ」
「確かに、あの時のロクシーに迷いはなかった……。もう! 僕が悩んだ五年を返して下さいよぅ!」
グランの両肩を掴む小さな手。
今となってはびくともしないのはグランの方だが、アルクの動きに合わせて前後に揺れてやる。
師の気遣いを察したアルクはゆっくり手を止め、再び言葉を絞り出した。




