31.今宵も貸し切り
いつも食べるペースの遅いマリアリアが、白磁で隠した顔を現した。
ドラゴン・タートルのスープを具ごと綺麗に平らげ、普段食べているパンとサラダ、目玉焼きも完食。最近飼い始めた山羊に似た魔獣の乳だって綺麗に飲み干して、四人は揃って食後の祈りを済ます。
「それじゃあ、先生。僕達はそろそろ――」
テーブルに手を突き、三人はぱらぱらと立ち上がった。
「……畑の野菜も収穫期を迎えてな。肉や魚の情報も集まってきた。お前達の好物、そろそろ完璧に再現してやれそうなンだ」
一人座ったまま顔を伏せ、グランはぽそぽそと言葉を紡ぐ。
「せん、せ?」
「『熟成鳳凰鶏のまるごとハーブ焼き』に『オオコノミヤキ』。それから『エビ・フライ!』……だったな。毎日仕込んで待ってるぜ。だから、いつでも帰ってきやがれ。逃げ戻っても大歓迎だ」
顔を見合わせ、同時に口端を上げる勇者、賢者、聖女。
「……そう。それは楽しみだわ」
「ぜったい、もどる、ね」
「『ドラゴン・タートルのスープ』も忘れないでくださいよ、先生」
「ったりめぇだ。……ああ、弁当の握り飯。持ってけ」
ロクシオの恒温魔法が刻まれた魔道具――大きな竹の編みカゴ――を、グランは棚から取り出した。
中には、笹に似た葉の包みが四つ。いつも持たせているモノよりも遙かに大きな、直径二十センティにもなる巨大な爆弾おにぎりが収められている。
「せんせ。ひとつ、おおい、よ?」
マリアリアは渡されたカゴを覗き、ぽやりと首を傾げた。
「ああ、なんてこと。グラン師も、ついに耄碌――」
「してねぇよ! ……そいつぁ。魔王の分だ」
「魔王……の?」
「昨日よぉ。一人で湖に座って考えてたンだ。それから、ドラゴン・タートルの眼を見て思ったンだ。奴さん、ただ寂しいだけかじゃねえかってな。……案外、腹が減っているだけかもってなぁ」
「寂しさに、空腹……。十二年前の僕達と同じだ……」
「美味いメシ食って話せば、意外な解決法が見つかるかもしれねぇ……なンてな」
「お気楽ね。魔王を直接目にしたら、そんな事とても思いつかない。……だけど、グラン師が言うと、不思議とそんな気がしてくるわね」
「かっか! これこそが調理師の戦法だぜ。ま、有り体に言えば、『俺の魂だけでも連れて行ってくれ』ってところだなぁ!」
「せんせと、いっしょ!」
「仕方ないわね。……ところでこのおむすび、中身は全部一緒なんでしょうね? 好みに合わないと、逆に喧嘩になっちゃうわ」
「くっく……。この期に及んで具の心配とはな。食い意地の張ったロクシオらしいぜ……」
「な、なによ! 仕方が無いでしょ、楽しみ……なんだから」
「ありがとよ。そりゃあ具はもちろん……ああ、アルク、耳を貸しやがれ!」
何やらアルクに耳打ちをする、悪い顔をしたグラン。楽しそうに語るグランとは裏腹に、アルクの顔は青ざめていく。
「そ、そんな!? 先生! もし魔王が――」
「何度も言っただろう? 食事は仲良く、楽しくってな! 大丈夫だぜ。味は保証してやるからよぉ!!」
「先生らしいですね……。分かりました。先生の気持ち、必ず彼女に、魔王エリシスに伝えます」
「エリシス? まさか、魔王って女、なのかぁ!?」
「そうですよ? 話していませんでしたか?」
「初耳だぜ……。ま、まあ、何とかなンだろ」
「何か問題ですか、先生?」
「いや、何でもねぇ。エリシスって嬢ちゃんに、よろしく伝えておいてくれ」
「承りました。……よし。行こうかロクシー、マリー」
「いってくる、ね。せんせ」
「元気でいるのよ、グラン師」
「……ンだよ、今生の別れってワケじゃねぇだろぉ! お前達が、俺の弟子が負けるなんて、あり得ねぇ! いつも通り、腹空かせてて帰ってきやがれ!」
グランの声を聞き、一瞬ほくそ笑んだロクシオが転移魔法を発動。たちまち三人から笑顔が消えた。
放たれるオーラは超越者のそれだ。戦闘では、もう指一本触れることは出来ないだろう。グランはすっと手を掲げ、ただ見送るのみ。
瞬きの後。そこにはもう、誰もいない。テーブルには四人分の食器だけが残されていた。いつものように。
「よし! さっそく仕込みだ、仕込み!!」
平手で自らの頬を打つグラン。パンと乾いた音が、家の中に響く。
ひょっとしたら、日の高いうちに帰ってくるかも知れない。そんな事を考えながらグランは腕まくり。汲み置きの井戸水に手を浸す。まずは今朝の後片付けからだ――
▽
約束の十日後が過ぎてしまった。
痺れを切らせたグランは、ドラゴン・タートル戦ですっかり刃こぼれした家宝の大剣を傍らに置き、砥石を水桶の中に放り込んで腕を組んでいた。
「……俺に、俺ごときに、何が出来るって言うんだ」
悩めるグランが水を含んだ砥石を掴んだ、その時――
窓の外、魔王が放つ濃密な瘴気の影響で、絶えず鉛色の雲に塗りつぶされていた北大陸の空に、初めて色が現れた。
玄関から飛び出すグラン。
視界いっぱい。南大陸の秋晴れを彷彿とさせるような、抜けるような蒼が四方八歩に広がっていく。
「やりやがった……か。全く、ハラハラさせやがってよぉ!」
立ち上がったグランは目尻に浮かぶ雫を拭い、もう一度空を眺めた。
まるで、テッポウユリのつぼみが天頂を向いて開いたかのようだ。遠く魔王城を中心に、幾筋ものもの虹の橋が放射状に架かっている。
それは伝承にある、魂の解放そのものだ。きっと魔王エリシスは、全てを受け容れて敗北したのだろう。
「おおっとぉ! こうしてる場合じゃねぇ! ロクシオが魔力を使い果たしたとすれば……転移魔法が使えるのは、半日後ってところだ。あいつら、大一番の後はやたら食うからな。今日の仕込みは途中だったか……ちっ! ギリギリじゃねぇか!」
吐き捨てる言葉とは裏腹に、グランは愉悦に笑った。なにしろ、一人の食卓は寂しい。
刃こぼれのままの大剣を雑に放り投げ、桶の底から砥石を引き上げるとグランは、鼻歌交じりで調子よく、お気に入りの牛刀を研ぎ始めた。
「貸切中」の札が風で踊り、こんこんと小気味よく、無垢の扉を叩いている。
お読みいただきありがとうございます。
第二章、終了です。




