3.鉄の意志を砕く音
「やはり……だめだ」
沈黙を切り裂いたのは、グランの小さな呟き。
「え!?」
「ああ。確かにドワーフにとって髭は大事だぜ。だが、俺はガキの未来の方が、ずっと大事だと思っている。……なあ、考え直さねぇか? 『勇者』の使命なんて、放っておけばいいじゃねぇか。お前達は強く、才能もある。五年もギルドに通えば、南大陸なら無双だろぉ。俺が保証してやる!」
「南大陸なら? そんなの、何の意味もないわ!」
魔法使いのロクシオが、グランに詰め寄る。
「北大陸の生物は悪魔だ! 一体一体が化け物なンだよ!」
「……ふぅ。期待外れだわ。とんだ臆病ドワーフじゃない」
「ちっ! なんとでも言いやがれ!」
グランとロクシオの視線がばちばちと交錯する地点に、小さな勇者アルクが割って入った。
「グラン先生。僕達、大人に言われたから行動しているんじゃありません」
「あぁン? 好き好んで死にに行くってンのかよ!?」
「死ぬつもりはありませんよ。『外れ者』が魔王を倒して英雄になれば、身分、種族、階級……そんな、凝り固まった世の中を変えられるんじゃないかって、本気で信じているんです! そのために、覚悟を決めて城を出ました」
そう言って少年は、懐から巻物を取り出して広げた。
紙面は細かい文字で埋め尽くされており、中央にはでかでかと、小国の国家予算を超えるほどの金額が記されている。
「証文……? 間違いねぇ、悪徳公爵と族長の印じゃねぇか!? てめぇ! そいつぁ俺の……――」
「はい。ヘルハウンドとの戦いで壊滅したドワーフ王国の生き残りが、街に移住した際にかかった費用、一切合切の借用書です。グラン先生が未だに利息を払い続けている借金。……何度読んでも酷い。奴隷契約とも呼べる内容ですね」
「ガキが! おちょくってやがンのかぁ!? 分かってンならとっとと失せろ! そいつのせいで俺は忙しいンだ!!」
「……貸付人のドドル公爵。彼は、あちこちで違法な金貸しを行っていましたよ。全ては白日の下となり、つい先日、父によって断罪されましたが」
「はぁ!? 公爵っていやぁ、上級も上級だろ! ヤツの汚ぇやり口は、債務者全員が理解していたさ! だが、何も出来なかったンだ……。国家ぐるみで隠蔽してるって噂もあったほどだぜ!」
「お恥ずかしいことに、その噂は事実でした。四番目とはいえ一応は王子である僕が、兄上や大臣、有力貴族の力を借りて裏を取りましたから。関与していた官僚、大臣と順に外堀を埋めれば、ドドルも尻尾を出しましたよ。公爵家への特例査察では、言い逃れできないほどの証拠が次々と」
「……うそ、だろ? なら、俺の家族は! 生き残った仲間達は!」
「自由です。ヘルハウンドに対する防波堤となってくれたドワーフは紛うことなき英雄。相応しい待遇で受け入れる約束を、王国政府に取り付けてあります。……兄上達に、とても大きな借りを作ってしまいました。王宮にはどのみち、僕の居場所はありません」
戯けるようにアルクは、その小さな肩を竦めた。
「ば、馬鹿な……。見ず知らずのドワーフのために、王族がそこまでするだと? 信じられねぇ……。だ、だが、それと弟子入りとは話が――」
「グラン先生の功績に、僕なりに応えたかった。それだけですから」
そう言って、アルクはにっこりと微笑んだ。
「ねえ、ねえ、せんせ。ここ、いたい、の?」
二人が話をしている間、グランの周りを回って何かを確かめていた秋桜色の聖女マリアリアが、グランの腰に両手を添える。
「あ、ああ? 嵐の中心で災害をまき散らしてやがった暴竜との戦いでな。奴のブレスを正面から受けたときにやっちまったのさ。人生いち重かったぜ。何かと不便だが、名誉の負傷って――……な、なにぃ!?」
マリアリアが添えた両手が淡く輝いたかと思うと、グランを長年苦しめ続けた鈍痛がたちまち消えて無くなった。
グランの動きを制限するばかりか、寝返りを打つ度に激痛を走らせ、夜中に何度も目覚めさせてきた、忌まわしい怪我の痛みが。
「動く……? それに、痛みがない、だとぉ!? 教会にだって通ったんだぜ! 完治するには、聖職者の寿命を十年削る程の神聖力が要るって話だっンだ! 俺が一生かかっても払いきれない『寄付』を求められて……ま、まさかお前、寿命を――」
「えへ、へ。わたし、だいじょぶ、だよ?」
まるで疲労した様子もない。マリアリアは両手の人差し指を頬に添え、可愛らしく膝を折って見せた。
「マリーの神聖力は、どれだけ使っても人間としての寿命が先に来る、と言われるほどに多いんです。安心して下さい、グラン先生」
「……揃いもそろって、本当に年端もいかねぇガキかよ。さっきの手合わせといい、大人びた物言いといい、噂以上の規格外だぜ」
理解が追いつかなくなると、何故だかおかしく思えてくる。グランの頬は自然と綻んでいた。
「ねえ、グラン師? この剣、魔銀製よね。それも、かなりの純度とみるわ」
知らぬ間に部屋の奥へと入っていたロクシオは、壁に立てかけてある大剣の材質をノックして確かめている。
「……ご明察。そいつぁ、俺の家門、クルス家に代々伝わる家宝なンだ。だが、森を溶かしまくってた呪竜を切ったときに呪われちまってな。今じゃあ紙すら切れないナマクラさ。溶かせば少しは金になるって、何度も言われたが。……ゴミだと分かっていても、どうにも踏ん切りがつかなくてな」
「そう。魔道具店には?」
「もちろん行ったさ。だが、どいつも匙を投げた。魔法特性に損傷はなく、修理は鍛冶屋の領分だってな。ンな訳あるかってんだ! 鍛冶は、オレ達ドワーフの専売特許だぜ!」
「ふぅん。王都には、詐欺師みたいな魔道具店しかないものね」
「はぁ……? そいつぁ――」
「とんでもない誤診だって言ってるのよ。呪われているのは刀身でなく、中に埋め込まれている朱のオーブで間違い無いわ」
「オーブ、だとぉ? なるほど、重心が若干前に寄っているのは、そいつの影響ってわけか。妙だとは思っていたンだ」
「重さで気付くだなんて……。実力は確かみたいね、安心したわ。……術式を書き換えて呪いを解いてあげるから、よく見ておきなさい」
ロクシオが大剣の腹に樫の長杖の先端を向け、何やらポツポツと唱え始めると、剣の重心の辺りから、黒い靄が沸き立ちはじめた。
魔力に呼応して魔銀の刃が透け、ロクシオが言った通り、大剣の重心に埋め込まれた小さな球体――朱のオーブ――が見えた。
誇らしげにほくそ笑むロクシオは、詠唱を続ける。
やがて朱のオーブの周りに魔方式が円環を成すと、オーブは黒い衣を脱ぎ、本来の輝き――朱色の光を蓄え、淡く発光を始めた。
「ほら、これが本当にナマクラかどうか、試してみなさいよ」
ロクシオが魔力を操作して大剣をふわりと浮かし、グランの手元にそれを移動させた。
「手に馴染む……。前に持ったときは、力を吸い取られる感じがしたが……。まさかな」
大剣を下段に携えたグランは腰をゆっくりと落とし、無言のままそれを一振り。
軽く振ったのにだけだというのに切っ先から剣閃が波状に飛び出し、遙か遠くの大木を一刀両断にした。
「すげぇ……。完全に性能が戻ってやがるぜ。いや、呪竜を倒したとき以上じゃねぇか」
その様子を見たアルクは目を見開き、マリアリアは指先をあわせて感嘆のため息を漏らし、ロクシオは誇らしげに鼻からすんと息を吐いた。
「さすがはグラン先生だ! 剣技も剣圧も、ダントツの南大陸一だって、メルティン団長が何度も言っていましたよ!」
「メルティン? ああ、あのひよっこか。あいつは修行の途中で逃げやがったんだ。くっく……あれが騎士団長とは、世も末だぜ」
天頂の満月を眺めるグランは、家宝の大剣を背に収めて声高らかに笑う。
「……もう一度お願いします、グラン先生。僕達を先生の弟子にして下さい」
「おねがい、せんせ」
「頭を下げるのなんて、これで最後よ」
三人は背筋を伸ばし、グランに深々と頭を下げた。
横柄な印象があるロクシオでさえ微動だにせず、グランの次の声を待っている。
顎髭を撫でながら、グランは逡巡していた。
アルク、マリアリア、ロクシオの三人には大きすぎる借りが出来た。志だって立派だし、境遇にも共感できる。自身もドワーフであり、迫害もされて生きてきたのだ。
しかし、ここで弟子入りに応じることは、彼らの死地に送る決断に他ならない。北大陸の恐ろしさを、グランは他の誰よりも知っている。
四人はそのままの格好で、ただ時が流れていく。
ほうほうというフクロウの鳴き声をきっかけに、固辞の意を決したグランはゆっくりと口を開い――
『ぎゅるるうるる……――!!』
が、ひどく間抜けな幼魔獣のうなり声によって、その決心はひっくり返ってしまった。
咄嗟に顔を上げた三匹の子どもの反応は様々だ。
アルクは片目を閉じて右手で後頭部を掻き、ロクシオは赤らむ頬に両手で風を送って誤魔化そうとしているし、マリアリアはただでさえ締まりの無い顔を、へろりと溶かしていた。
「ば、バッカヤロウ! 食事を疎かにするとは、戦士としては三流以下だろぉ!! 道理で全員華奢なワケだぜ……。ちっ! 死にに行く戦士は見過ごすが、腹を空かせたガキは放っておけねぇんだよ、俺は」
「先生、それじゃあ――」
「いいの、せんせ?」
「……け、計算通りよ。当然の帰結ね」
「最初の教えだ、よく聞け! 筋力も体力も、技術も精神も魔力も一切合切! 美味いメシと十分な睡眠から始まるンだ! 腹一杯食って、気が済むまで寝て、ぶっ倒れるまで訓練! ンで、腹一杯食ってまた泥のように眠る! それが俺のやり方だ! 俺の弟子になるからには、身分もクソも関係ねぇぞ! 大部屋に雑魚寝して、鍋からメシをかっ喰らうンだぜ? ……坊ちゃん達に出来るかい? 嫌ならとっとと帰りなぁ!」
高貴な育ちの三人には、動揺の一つくらいはあるだろう。グランは三人に、試すような言葉と視線を投げかけるのだ。
「そんなのって……。憧れの生活です!!」
「いっぱい、寝られる、の?」
「ふぅん。なかなか魅力的じゃない」
だが、そこにあったのは、今日一番で輝く六つの瞳。一点の曇りもない。
「ちっ! どこまでも変なヤツらだぜ。これも、何かの縁ってか……――」
とうとう観念したグランはたっぷりと息を吐き、首をゆっくりと左右に振った。
「弟子にするからには、絶対にお前達を食うに困らせねぇぜ。……それから、俺を倒すまでは絶対に北大陸には行かせねぇ。いいな?」
「絶対に達成してみせるわ」
「……さっそく訓練だ。ガキども、中に入りな!」
警戒を解いて見せる背中越しに、わちゃわちゃと賑やかな子ども達の声が聞こえる。
ささやかな空気の揺れが、なぜだかこそばゆい。
グランにとってそれは、本当に久しぶりの感覚だった。