28.少しだけ違う朝
「ふぁーああ……。おはようございます、グラン先生」
「ああ、おはようアルク。その様子、ぐっすり眠れたみてぇだな?」
グランが営む料理宿の外には、南大陸の家と全く同じように、地獄の業火にも耐える赤熱煉瓦で組んだファイヤーピットが設置されている。
熾った炭と大型のドッヂ・オーブンを使って料理をしているグランの許へ、寝間着姿のままのアルクが、大あくびを隠さずやってきた。
鍋をくるりと一混ぜするグランのすぐ隣に、迷わず腰を下ろすアルク。炭火に手をかざしてもみ合わせ、その熱を体中に行き渡らせてゆっくりと口を開いた。
「……はい、とっても」
「くっく……。さすがは勇者様だぜ。魔王に挑むって日に、夜に出かけた師匠をほったらかしてぐーすかぴーすか眠ってやがるんだからよぉ」
「その僕達の師匠ですよ? 心配なんてする必要なんてありません」
「おーおー。嬉しいことを言ってくれるねぇ」
バシバシと、いつものようにグランはアルクの大きな背中を叩く。加護まで使って力一杯叩いてみるが、やはり彼の体はびくともしない。
「おはよ、せんせ。とっても、いい香り、だね?」
次に現れたのは、マリアリア。アルクと同じように寝間着姿で、眼を擦りながらふらふらとグランの許へ近づいてくる。マリアリアは、これが通常運転だ。
「ああ、おはよう、マリアリア。ったく、お前達はいつまで匂いに釣られて集まって来やがるンだ?」
「……いつまでも、だよ」
グランを挟んでアルクの反対側に腰を下ろし、秋桜色の頭をグランに預けた。マリアリアお気に入りのコロンの香りを、いつもより強く感じた。なぜだか早くなる、グランの鼓動。
「おはよう、グラン師……。昨日の夜、この辺りで地震があったか知らない?」
わざとらしく二人の間を割り、近くもなく遠くもない絶妙な距離に、お気に入りのスツールを持ち出して腰を下ろしたロクシオ。先の二人と同様に寝間着のままであるが、彼女にしては珍しい。
「オイオイ、ロクシオもかよ!? お前達、揃いもそろって寝間着姿とはな……。気が緩んでんじゃねぇのか?」
「そんな事無いわ。むしろ逆。本当に漲っているの。……そんなことより、質問に答えなさい、グラン師。地震が起こらなかったのかって、私はそう聞いているのだけど?」
「……さぁな。地震なんざ、俺は感じなかったぜ。夢でも見てたんじゃんねぇのか?」
「そう。ならいいわ」
「ったく、寝ぼけたヅラに妄言とは、先が思いやられるぜ。裏の井戸で顔洗って中で待ってな! 朝メシ、もう少し時間がかかるからよぉ」
「はーい」「ふぁーい」「分かったわ」
生返事だが素直に立ち上がり、井戸の方へと三人は向かう。
「ガキの頃のまんまだぜ……。っ痛てて」
グランはふぅと息を吐き、身体のきしみを誤魔化すように、目一杯両手を突き上げて伸びをした。
「……よぉし、完成だ」
味見を終え、ファイヤ・リザードの手袋を嵌めたグラン。一番大きいドッヂ・オーブンの把手を両手で持ち、よろめきながら家に入る。
顔を洗い、すっかり身支度を調えて三人は、既にそれぞれの座席に着いていた。ロクシオの顎で促されたアルクがすぐさま走り寄り、グランとドッヂ・オーブンの重さを分け合う。
見れば、ダイニング・テーブルの中央には、ドッヂ・オーブンを置くための鋳鉄の五徳が既に据えられている。ばかりか、四人分のランチョンマットも。その上には、白磁のスープ皿に平皿、カトラリーまでもがセットされていた。
「お前ら……? 今日はヤケに気が利くじゃねぇか」
「えへ、へ」
着かない足をぱたぱたさせ、マリアリアははにかんだ。
いつもの朝食では、無垢の木皿にマグカップが並ぶくらいだし、夕食だってこうはいかない。しっかりテーブルを飾るのは、銘々の誕生日くらいのものである。
「本当だね。マリーの言うとおりだ。優しくていい香りがする」
「わたし、すごい、でしょ?」
「……なるほどな。お得意の予知夢ってヤツか」
五徳の上にドッヂ・オーブンを下ろしたグランは手袋を外し、マリアリアの髪をかき交ぜた。
「それ、いい加減に止めなさいよ、グラン師。マリアがどれだけ苦労してその癖っ毛を整えてると思ってるの?」
「かっか! つい癖でな。すまねぇ、すまねぇ」
離そうとするが、マリアリアの小さく真っ白な手が、グランの手を掴んだ。神聖力が満ちているのか、かなりのパワーだ。膂力にはまだ自信のあるグランとて、ぴくりとも動かせない程の。
「ロクちゃん。うらやましい、の?」
「ば、バカ言ってんるじゃないわよ! 私は、マリーの事を心配してっ! はぁ……もういいわ。どうぞお好きなだけいちゃつきなさい」
探るような目線を送るマリアリア。珍しく声を荒げ、ロクシオはすぐさまそっぽを向いた。
「はっは! こんな日くらい、素直になりやがれってんだ!」
マリアリアに引き連れられ、グランは唇を尖らせているロクシオの艶やかな黒髪を、両手でガシャガシャと荒く揉む。
「……わかった、わかったわよ! だから、それ以上は止めて! 止めないとその汚らしい髭、燃やし尽くすわよ!!」
ほんのり頬を染め、しばらくは大人しくしていたロクシオだが、やはり髪が乱れるのは気に入らないらしい。
北大陸にやってきてからも手入れを欠かさなかった黒の長髪は、窓から差し込む朝のオレンジ色の光を受けて艶深く輝いていた。
「もう……。梳かし直しじゃない。髪が乱れると、気分が下がるのよ。……帰ってきた時はもう少し、丁寧にね」
「……お、おう」
もう二度と触るなとでも言われると思っていたグランにとっては、意表を突かれた気分だ。隣ではマリアリアが、向かいではアルクが口元に手を添え、にへへとほくそ笑んでいた。
「そんなことより朝食よ、朝食! ……初めの香りね。とっても美味しそうだわ」
「さすがに、賢者様は鋭いぜ」
グランは、得意気に口端をあげた。




