27.大一番
腐葉土の重なる大地に座し、息を殺す中年ドワーフ男。
ロクシオ特製のランタンが放つ小さな明かりさえ消して数刻、グランは新月の漆黒に溶け込んでいた。
「……ようやくお出ましかぁ」
獲物の登場を待ち続けていたグランは、遠くに足音を捉えて呟き、ゆっくりと立ち上がる。
その背中には、家宝の大剣に埋め込まれた朱の宝玉が、グランの漲る闘志に呼応して淡い光を放っていた。
「南大陸なら空の主。そんなお前も、北大陸じゃあ、闇に紛れて生き長らえるのがやっとってか。……だが、てめぇの命も今日までだぜ!!」
グランは、腰に下がるランタンのつまみを回して光量を最大に。力いっぱい森の、小さな空へと放り投げた。
賢者ロクシオの手によって、至高の魔道具として洗練されたランタン。
刻み込まれた術式と込められた魔力によってそれは、ふわりふわりと宙に浮かび、湖畔を昼間までとはいかなくとも、夕暮れ時程度の明るさに照らす――
「……グォオオオ!!」
環境の急変に驚き、呻き声を上げて反射的に瞼を閉じたターゲット。その名を、ドラゴン・タートル。南大陸から迷い込んだ空の覇者の成れの果てだ。
グランの料理宿近く、小さな湖を餌場とする元火竜の手足は、頑強故に重量のある甲羅を支えるために、太く、短く進化していた。
大きければ大きいほど勇壮で、誇りの象徴とされる翼だって失われている。他の魔獣に発見されるリスクを増やす飾りなど、不要というわけだ。翼が甲羅に変容したのでは、とグランは推察しているが、その真偽は不明のまま。
体躯だって変化している。押し固められた筋肉質な身体は、南大陸のジャングルに生息するゾウくらいだろうか。亀ならば十分大きいのだが、火竜としては、幼竜に近いサイズだ。
新月の、風のない夜にだけゆらりと湖畔に現れ、水と小魚でひっそりと腹を満たすドラゴン・タートル。普段は穴蔵に潜んで魔力を完全に遮断し、甲羅に手足と首をすっぽりと埋めて岩石に擬態して生きながらえている。常に威圧感を放ち、無駄な戦闘を避けるアルク一行とは、邂逅しようがなかった魔獣。
そんなドラゴン・タートルを発見したのは、ロクシオの誕生日祝いに蛍を一匹捕まえようと、夜に紛れて湖畔を探索した時の偶然であった。
「……くっく。どこまでも俺と似てやがる。チキン同士、決闘と洒落込もうぜぇ!!」
穴蔵での隠遁生活に、新月の夜のみの行軍。目もまた、すっかり退化してしまっているらしい。長い時間を掛け、ようやくランタンの眩しさに慣れたドラゴン・タートルが、大きな瞼をゆっくり開く。
ランタンでの目くらましを利用して、グランが不意打ちを仕掛けるチャンスはいくらでもあった。
両名共、この北大陸では狩られる側。圧倒的弱者である。勝つためには、なんだってやるべきだろう。だが、誇り高きドワーフの戦士として、『傑剣』の二つ名持ちとして、何より、勇者の師という看板に恥じる戦いをしてはならない。そんな小さなプライドがまだ、グランの中で息をしていた。
一呼吸吐いたグランは背負った大剣を抜き、それを大地に突き刺してドラゴン・タートルに手招きをする。
「非礼の詫びだ。……先手は譲るぜ、兄弟」
視線がぶつかった。グランは闘士を剥き出しにしている。
ドラゴン・タートルとて、先祖は空の王者、南大陸の覇者である。誇り高き遺伝子が、脈々と受け継がれているのだ。売られた喧嘩は買わねばなるまい。
「フシュゥウウウー……――」
覚悟を決めたようにドラゴン・タートルは大きな鼻からたっぷりと息を吐く。そして、短い両手両足に力を溜め、鋭く大地を蹴った。
「久々だが、このヒリつく感じはやっぱ滾んなぁ! ……四番目に強い戦士にも意地があるンだ! てめぇのことは、きっちり料理してやるよぉ!!」
瞬く間に詰まる間合い――
湖の深いところにいる魚を獲るために進化した長い首をにょきっと伸ばし、ドラゴン・タートルは小柄なドワーフ男を一飲みにしようと、大きな口を開ける。口の中では、湖に住む堅牢な鱗の魚を食べるために進化した、オリハルコン並みの強度を持つ鋸歯がギラギラと光っていた。
随分長く生きているのだろう。その刃はところどころ欠けている。老い先短いという覚悟と諦念が、ドラゴン・タートルのプライドに火をつけたのかも知れない。
「……そこまで似なくてもいいだろぉ」
グランは言葉を吐き捨てた。どうにも自分と重なっていけない。
が、情こそが最大の敵であると、アルク達には口酸っぱく指導してきたのもまたグラン自身だ。
「その俺が、流されちまっちゃ駄目じゃねぇかぁ!!!!」
グランは、足下に地母神の加護を凝集。寝かせた大剣の腹を盾とし、気合いの乗ったドラゴン・タートルの攻撃を堂々と受け止めた。
ドラゴン・タートルの猛攻。堅守のグラン。
互いの鋼が交錯する度に火花が散った。角度を変え、テンポを変え、幻惑のステップを交えながら老獪の亀は咬合のラッシュを仕掛ける。
百、二百……攻撃は重なるが、グランは全てを受けきった。
疲労だろうか、ドラゴン・タートルが動きを止めた一瞬。大剣の柄を両手に持ったグランは、高々と跳躍。
攻守交代だ。地母神の加護を大剣の刀身へと移すグラン。出会った日にロクシオが修復してくれた朱の宝玉が、剣の重心で水を得た魚のようにギラギラと輝いていた。
「喰らいやがれぇえええーー!!」
咆吼迫撃。空中で大剣を大上段に振りかぶったグランは、ドラゴン・タートルの弱点である眉間に狙いを定める。
宙に浮かぶランタンが、中年ドワーフ男を鼓舞するように、傷だらけのその背を照らしていた――




